新本格ミステリ30周年インタビュー新本格ミステリ30周年インタビュー

長大な『暗黒館』があったから、『深泥丘奇談』が出てきたところもあるんじゃないですか。上手いこと肩の力を抜いて書けたという。

綾辻そうですね。『Another』にも同じことが言えて、あれも一人称小説ではあるんだけど、『暗黒館』や『最後の記憶』に比べるとだいぶ肩の力が抜けていて、それが良い意味での軽みにつながっています。

今や『Another』は綾辻さんの代表作として数えられるものになりましたよね。

綾辻あの時期(’09年)に『Another』を発表できたのは大きいですね。世代を超えて、新規の若い読者がたくさん入ってきてくれた。そういう間口の広さがある作品なんですね。

少し前にご自分で好きな作品は? という質問に『暗黒館』『Another』『深泥丘奇談』と答えられていましたね。初期の作品は出てこないのかと思いましたが。

綾辻いや、初期の作品もそれぞれに好きですよ。『Another』は、デビューから20年以上たってあれを書き上げた自分は偉いなあ、という意味で。あ、そういえば『Another』はこのたび、パチンコ化もされたのです(笑)。本格ミステリ作家としては史上初かも。『深泥丘』は、私小説的でありながらリアルから離れていて、身体が少し宙に浮いている感じで……なかなか他にない味の連作だろうという。だからほんと、好きなんです。
『暗黒館』については、『暗黒館』それ自体に愛着があるのと同時に、あの大長編に包含されてしまう「館」シリーズの全作品が好き、というニュアンスも込めています。――にしても、「館」シリーズというのは変わったシリーズですね。作品ごとに〝型〟が違っていて、名探偵も相対化されている。

名探偵のシリーズではないですからね。

綾辻そもそも『十角館』が変化球ですから。『水車館』は正統派の本格ミステリをめざして書いたんですが、『人形館』になるとまた異様な変化球だし……。「本格」という枠組みの中で毎作、いろんなアプローチを試みてきたつもりです。

最近だと『十角館』の英訳版も評判いいようですね。

綾辻英訳版――『The Decagon House Murders』の刊行はやはり感慨深かったです。小規模の出版だったにもかかわらず、ワシントンポストに書評が載ったり、『PW』誌(注1)の年間ベストミステリに選ばれたりと、けっこう注目されたみたいで。

2015年のことですね。

綾辻『そして誰もいなくなった』へのチャレンジとしてポジティヴに評価されたり、『EQMM』誌(注2)で“Honkaku”という言葉が紹介されたりもしました。もっと日本の「新本格」を読みたい、という英語圏のミステリファンもいるようです。新本格の台頭期にはしばしば、「海外では今どき、こんな謎解き小説など見向きもされていないのに……」と、訳知り顔で否定する人たちもいたんですよね。「だからどうなの?」ということが事実として確認されただけでも、なかなか愉快でした。
『十角館』を書いたとき、ミス研の学生たちのニックネームをどうするかでちょっと迷ったんです。オリジナルのペンネームを作るか、「エラリイ」や「アガサ」という欧米の有名作家の名前を使うか。結果として後者を選択したのは正解だったわけですが、英訳されて『The Decagon House Murders』になると、それがさらに効果的に働いたことになりますね。英米の読者にしてみれば、大学生が「エラリイ」とか「アガサ」とか呼び合っていても、日本人が読むほどには違和感がない。むしろ入りやすい、読みやすいでしょうから。
 訳者のウォン・ホーリンさんはオランダの大学で日本学を専攻していて、大学院時代に京大に留学して、そのときミス研にも入会していたという人なんです。たまたま僕も遭遇したことがあって、そこで彼の修士論文のテーマが「初期新本格」だと聞いて、びっくりしたものでした。その後、幸運な巡り合わせがあって、帰国したホーリンさんが英訳を担当してくれることになった。彼の訳文がとてもいい、という評判も聞こえてきますね。