講談社文庫

ミステリー・ベスト10


毎年恒例の「文庫翻訳ミステリー・ベスト10」。

読者、作家、評論家、翻訳家のみなさまから、今年もたくさんの熱いメッセージが届きました。
ベスト10には、名だたる探偵や敏腕刑事、フレッシュなヒーロー、ヒロインが顔を並べています。
今年の勝者ははたして?

続きはIN★POCKET11月号をご覧ください

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『地の底のヤマ』探検ブック1


特別対談 大沢在昌×西村 健 ヤマを語ろう!

三池炭鉱と軍艦島。奇しくも同時期に、炭坑が舞台の話題作を発表したお二人には、数々のご縁がありました。秋の夜長に、創作秘話を語っていただきます──。

―まずお二人のご縁からお願いします。
大沢 私は彼のことを、いつも西丸と、日本冒険小説協会時代のあだ名で呼んでいるんですが、西村さん。
西村 いえいえ。西丸でいいです(笑)。
大沢 冒険小説協会に入ったのは、何年?
西村 私が大学三年の時なので八六年ですね。
大沢 新宿のバー「深夜+1」が出来て。
西村 五年目ぐらいだったと思います。
大沢 志水辰夫さんとか船戸与一さんとか北方謙三さん、そして俺もよく店に顔を出してたな。カウンターにいたのは馳?
西村 いました、いました。
大沢 今をときめく馳星周が、まだ大学生のバイトでカウンターを手伝っていて、夜な夜な俺たちの「売れない」「売れない」という愚痴を聞いててさ。
西村 はい(笑)。
大沢 作家にだけはなるものじゃない、と思ったらしい。当時西丸はすごくシャイだったな。
西村 恐れ多くて近づけなかったです。それにしても内藤陳会長(俳優)の存在は大きかった。
大沢 あの八〇年代っていうのは、内藤会長と北上次郎さんがいなければ、冒険小説とかハードボイルドっていう言葉が人口に膾炙することはなかった。二人は我々書き手にとって大恩人。そして、日本冒険小説協会大賞ね。あれが欲しくてさ。
西村 ええ。
大沢 第一回が北方謙三の『眠りなき夜』。
西村 次が『檻』ですね。二回連続で。
大沢 その後も、俺は欲しくて欲しくてしょうがなくて。で九〇年の『新宿鮫』でも取れず、九一年の『毒猿(新宿鮫・)』でも取れず、結局最初に受賞する『心では重すぎる』までずいぶんあった。そのあと『闇先案内人』、それから『狼花(新宿鮫・)』『絆回廊(新宿鮫・)』。全部で四回か。まだ文学賞なんかに縁がなかった頃、唯一取れそうなのが冒険小説大賞だった。確実に、ここにこの小説が好きな人たちがいて、その人たちが喜べば賞になるんだっていう確信めいたものがあった。
西村 そうですね。
大沢 だから欲しかったね。たぶん西丸も小説家になった時、やっぱり冒険小説大賞とるのが最初の目標だったと思うんだ。
西村 会長から「よくやった」って言ってもらえるのが夢だったです。
大沢 俺、ほめられた記憶ない(笑)。
西村 私は毎週のようにお店に行ってましたから。また大沢御大が出す時に限って、船戸御大がボンとでかいの出すんですよね。で、いつも二位になっちゃう(笑)。
大沢 船戸さんの『砂のクロニクル』ね。その時「大沢の『毒猿』が受賞しなきゃおかしいだろ」とか言って認めないんだ。授賞式で『砂のクロニクル』って言われてんのに、船戸さん、「おまえ行け」って(笑)。
西村 はい(笑)。
大沢 とにかく、当時あそこは「永久初版作家」だった俺にとって、実に心強い味方だったな。

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