池井戸潤★60分特別インタビュー 02

作家紹介 60分特別インタビュー

不祥事
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空飛ぶタイヤ(上)
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空飛ぶタイヤ(下)
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多くの読者に読んでもらいたい。そのためには工夫が必要だった

──その課題は、作品づくりにどういう影響を及ぼしましたか。

  会社や銀行という組織を書くことを目的にした小説ではなく、そこで生きている人たちを書かなければ駄目だ、と気づいたわけです。銀行の内側の暗い部分を炙り出してみせるのではなく、自分はエンタメ作家なんだから、もっと痛快で、単純に「ああ楽しかった」と言ってもらえる作品を書こうと。課題に対する自分なりの答えとして書いたのが、『シャイロックの子供たち』です。

──「そこで生きている人たち」を描いていくために、小説の書き方も変わったのでしょうか。

 登場人物に対する考え方が変わりました。彼らに対してリスペクトが生まれたんです。それまでは誤解していた。作家は小説世界の神であり、自分のプロットの通りに全ての登場人物を動かせばいいと思っていたんです。だけど、そういう創作において、登場人物は、プロットを進行させるための駒でしかない。

 でも読者は、登場人物に感情移入しようとしている。日常生活に有りがちなリアルな人間像とリンクさせて読んでいます。隣に座っている同僚と同じく、悩んで、笑う人間。すべての人には当然人生があって、いろんな理由から、今そこに存在している。決して、作者の思うままに動かせる駒ではありません。

 一旦、そのことに気づいたら、登場人物をどう描くかがまるで変わりました。僕はある意味、彼らの人生の記録係でしかないと思う。作家が神で、プロット通り動かせばいいなんて考えるのは、作家の思い上がりですよ。

──一般的に、ミステリ小説は破綻なく作り込まれたプロットに肉付けをして、理路整然と展開させていくもの、という印象があります。

 ミステリを含むエンタメ小説を作る上で、いちばんやりがちなミスは、キャラクターの破綻だと思うんですよね。たとえば、「真面目で絶対ミスしないような慎重な人」として描写しておきながら、肝心なところでポカをやらせて事件解決のきっかけを作らせたり。プロット重視の創作では、そうした失敗をしがちです。話の展開としては理路整然としていても、登場人物の動きが随所に不自然でご都合主義だったりする。この人がこの場面でこんなこと言うかな、こんなことするかな、と疑問に思わせてしまうのは小説の破綻です。登場人物の不自然な言動が積み重なると、当然、読者は感情移入できないし、違和感だけが残ってしまうでしょう。

──『シャイロックの子供たち』以降、「登場人物へのリスペクト」を意識しながら、小説を組み立てていくようになったのですね。

『シャイロック~』は、ある一つの銀行を舞台にした連作短編で、視点人物を十人ぐらい出しています。彼らの人生を描くんだという意識を持つ一方、倒叙形式など、いろんなミステリ小説の手法を使って物語を作っています。だけど、事件の謎解きをするのではなく、人間の内面や心情、つまり、外側の事象を整理しただけでは分からない場所に謎を置いた作品です。それまで小説の書き方をずっと模索してきましたが、『シャイロック~』でその謎が解けた。あの作品は、そういう意味で今の僕の原点です。

「花咲舞」と「半沢直樹」は、こんな発想から生まれたキャラクター

──『シャイロックの子供たち』の少し前に書かれた『不祥事』と『オレたちバブル入行組』には、共通点がありますね。

 その二作は、エンタメ性を強く出して、漫画みたいに面白がってもらえる作品を目指しました。主人公の「花咲舞」や「半沢直樹」は、ギリギリはずさないぐらいにデフォルメしたキャラクターで、彼らがありえないドンパチを巻き起こす。まさにチャンバラ劇のパターンです。

──『不祥事』の花咲舞は、池井戸さんの作品には珍しい女性主人公です。

 女性の内面や心情を描くのは、オッサンの作家には不可能です(笑)。オッサンが書いた若い女性の内面小説なんて、気持ち悪くて読めません。

 だから、『不祥事』の花咲舞は、内面を描写していない。そして言動は、どっちかっていうとオッサンぽい。人物重視ではなく、漫画的なエンタメ作品です。この手のものを読むと、「こんな銀行員はいない」なんて言い出す人がいますが、そりゃいませんよ(笑)。現実にはできないことをキャラクターがやってしまうところに、面白さがあるんだから。

──その『不祥事』がこの春、「花咲舞が黙ってない」というタイトルでドラマ化されますね。主演は杏さんです。どんなところを楽しみたいですか。

 ドラマと原作である小説は全く別物だと思っています。小説のプロットやキャラクターを使うといっても、建物をスケルトンにしてから、もう一度装飾し直すようなものです。映像業界のクリエーターたちが、どんなドラマにするのかなっていう、クリエーターとしての興味がいちばん大きいですね。また、杏さんがあのキャラをどう演じるのか、観るのがとても楽しみですよ。

──あと、『不祥事』と同じく同ドラマの原作となっているのが『銀行総務特命』です。この作品には、短編ごとに謎解きをしていくと、後から全体を飲み込む大きな謎が浮上するという仕掛けがほどこされています。

 これは「週刊現代」に連載されたものです。週刊誌という媒体を意識して、サラッと読めて純粋に面白いミステリにしようと。銀行内部で起きたスキャンダラスな事件を、特命を受けた男が解決していくという話を、サスペンスタッチで書きました。もう『銀行総務特命』のような、銀行が舞台の連作ミステリを書くことはないでしょう。

──ミステリの手法を使いながらも、謎を人の内側にもってくる、という書き方に変わったからですか。

『シャイロックの子供たち』を書き終えた時点で、僕が「銀行ミステリ」の連作短編でやれることは全て終えました。これからは、もう少し書くものの幅を広げて、銀行員以外の世界に踏み出そうという気持ちになったんです。それで取り組んだのが『空飛ぶタイヤ』でした。

──『空飛ぶタイヤ』が直木賞の候補になったとき、井上ひさしさんが選評で、「すごく古典的な物語設計、だけど細部が新鮮で面白い」というような事を書かれていました。先ほどの話でいえば、大枠は古典的なパターンを使いながら、細部で池井戸さんらしさを出した物語だと思います。手に汗握る展開で読ませ、大きな感動とともに終わる傑作です。

『空飛ぶタイヤ』で古典的な枠組みを使ったのは、誰が読んでもわかりやすいものにしたい、と思ったからです。「結末は何となく予測できる」、そう言ってもらいたかった。オチはそれほど重要じゃないんです。むしろ読んでいるその瞬間、ページをめくるその時に、ドキドキしてもらいたい。そこが作家として工夫のしどころですよね。そして、その古典的な構造に、会社の業績とか、大会社の厭らしさといった、あまりエンタメが使わない題材をくっつけたところが、「新鮮」と言っていただけた部分かもしれません。小さなものが大きなものに立ち向かうという、分かりやすい対立のドラマの中に、企業の矛盾や、そこで働く人々の葛藤を入れ込んでいる。でも、最後は痛快に終わる、エンターテインメントの典型的な構造です。

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