── 警視庁公安部の捜査官にはどうすればなれるのですか。
濱 希望したら配属されるというものではありません。まず入庁して巡査を拝命すると警察学校の初任科の講習を受けます。それからいったん現場を経験しますが、1年以内にまた警察学校で、今は呼称が変わっているかもしれませんが、現任補習科(現・初任補修科)という講習を受けます。つまり新人時代に2度の講習を受けるのですが、2度とも成績上位10パーセント以内に入ると公安講習の受講推薦名簿に掲載されるんです。その名簿から年に20名くらいが選抜されて公安講習に進むんです。警視庁は所轄が102あって、そのほかにも本部や機動隊がありますから、けっこう狭き門なんです。
私の場合は当時の管理職の方から、公安部巡査として呼んでやるから公安講習を受けなさい、といわれて。それで受けることになったのですが、公安講習は最初の1ヵ月間は座学で、あとの2ヵ月間が各課での現場講習となります。ここで私が巡査のままなら公安部に配属になったのでしょうが、この講習を受けている間に巡査部長試験に合格してしまったんです。それで留置業務、看守のようなものですね、これをやりました。将来的には公安部配属を見据えた人事で、ホシの扱い方を覚えなさいという意図があったようです。その後警備一課で機動隊や潜入捜査を経験して警部補になり築地警察署勤務になりました。当時の築地署の副署長が公安に長くいた方で、私を推薦してくれて、警察庁や内調に出向したのちに本部の公安部公安総務課勤務となりました。
── 公安の捜査官に求められる資質とは何ですか。
- ▲「ワッペン服」(腕に旭日章がついている)とよばれる捜査服姿の濱さん。これは濱さんの私物で、オウム真理教の拠点、第一サティアンへ強制捜査に踏み込んだ際、実際に着用したもの!
濱 すごく勉強ができる秀才でも、人と話すのが苦手だったり仲間作りが下手だったりしたら向いていないですね。あとセンスも必要。膨大な情報から何を読み取り、読み取ったことを何とマッチングさせるのか。そして出来上がった報告を、ルーティンで直属の上司から順繰りにあげていって決裁を待っていたら迅速な対応なんかできません。誰に報告すれば最も効率的で有用かを判断できるセンスが必要です。知るべき人を見分けられるのは、情報を取ってきた人しかいないからです。
── 階級という厳然としたヒエラルキーがある警察組織では、直属の上司を飛び越えて然るべきところへ報告するというのは難しいのではないですか。
濱 刑事警察も含めてですけど、私服組っていうのは階級で仕事しないんです。もちろん上司はたてますけど(笑)。そんな風土はとくに大阪府警なんかに感じますね。部として公安が組織されているのは警視庁だけなので、大阪府警の場合は警備部公安課ということになりますが。今年5月、渋谷暴動事件の容疑者と見られる男を逮捕しましたよね。府警の公安課は2000年に重信房子(日本赤軍元幹部)を逮捕した実績もあります。
── 先ほど濱さんの経歴を聞いていて思ったのですが、今月上巻が刊行される『カルマ真仙教事件』の主人公「鷹田正一郎」の経歴とほぼ同じです。「鷹田」は濱さんの分身と考えていいのですか。
濱 近い存在、ぐらいです(笑)。
── しかし「カルマ真仙教」が「オウム真理教」を指すことは、固有名詞こそ変えていますが起こした犯罪の時系列と内容が同じなので容易に推測できます。濱さんはこれまでインテリジェンス小説を書かれてきましたが、実際に起きた事件を題材にするのは初めてだと思います。
濱 そもそも私は物書きになるなんて思ってもみなかったんです。警視庁を辞めたときにある出版社から少年犯罪の本を書いてくれと依頼があった。提言書みたいなものでノンフィクションです。原稿は書き上げたんですが、刊行されないまま宙ぶらりんになっていたものを講談社が出してくれたんです(『警視庁少年課事件ファイル』駒田史朗名義)。その際に編集者から「小説も書けるんじゃない?」と言われて。それで書いたのが『警視庁情報官』(2007年刊)でした。以降の小説はすべて私の妄想の産物です(笑)。小説を発表してからも、私にはオウムを題材にしたものを書こうという発想はなかった。
でも昨年、天皇陛下が「お気持ち」を表明されて生前退位を示唆されましたよね。あれを聞いて思ったのは「ああ、平成が終わるんだ」。そしてあらためて私にとっての平成という時代を顧みたとき、喉に刺さった小骨のような存在があったんですね。それがオウムでした。一連の刑事裁判で13人の死刑判決と5人の無期懲役判決が確定し、2011年に一旦終結。2012年には逃亡を続けていた3人の容疑者もすべて逮捕され、裁判が再開されました。しかしこれでオウム真理教に絡む問題が完全に終結したと思っている人はいないでしょう。それほどオウムが抱える闇は深いんです。
── 國松孝次警察庁長官狙撃事件(1995年3月)は未解決で時効を迎えてしまいましたし、教団幹部の村井秀夫が刺殺された事件(1995年4月)も犯行の背景は不明のままです。
濱 ほかにも教団を脱走した岡崎一明(確定死刑囚)に対して、なぜ麻原彰晃はあれほど弱腰だったのか。また、犯罪に加担した者がすべて逮捕されたわけでもないし、本来なら厳罰に処されるべき人物が短い刑期を終えて世の中に解き放たれてもいます。さらに最も大きな謎は、生前村井が教団の資産は千億円といっていたけど押収されたのは百数十億、あとの九百億円近くはどこに消えたのか、ということ。そうしたことも含め、現代に残されたオウムの闇に光をあてて白日のもとにさらすことで、私のなかにわだかまっていたオウムはようやく終わるし、平成という時代の終焉を迎えられるんだと思いました。それがこの小説を書こうと思った最大の理由です。
── 上巻の前半で、まだ二十代の「鷹田」が友人の新聞記者からダライ・ラマに会った日本の宗教家がいることを聞きます。これが、「鷹田」がカルマ真仙教に関心を抱くきっかけとなっていますが、このエピソードは濱さんご自身の経験なのですか。
濱 いや、そこは少し違います。私がオウムとダライ・ラマの接触を知ったのは内調時代です。そこで宗教関係の調査をしていて、中国との関係性を洗っていたんですが、その過程で複数の日本人が面会しているという情報に接して、麻原彰晃という名前もそのとき知りました。
── では内調に出向した「鷹田」が、京都のバーで、カルマ真仙教幹部の「早池」や「村本」がそこに出入りしていることを聞き込みます。このエピソードはいかがですか?
濱 それは実体験です(笑)。基本的には私が体験したことは大きな脚色はせずに盛りこんでいきました。
── 捜査陣の視点からみた一連のオウム真理教事件を読者は目撃するわけですね。
濱 そう思っていただいてけっこうです。
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