一人旅の途中ですみれが消息を絶ったあの震災から三年。 今もなお親友の不在を受け入れられない真奈は、すみれのかつての恋人、 遠野敦が切り出す「形見分けをしたい」という申し出に反感を覚える。 親友を亡き人として扱う彼を許せず、どれだけ時が経っても自分だけは彼女と繋がっていたいと悼み続けるが――。
劇場アニメ『君の膵臓をたべたい』に『やがて海へと届く』が登場
彩瀬 映画、拝見しました! すごいびっくりしました! 『やがて海へと届く』が『君の膵臓をたべたい』の映画に登場させてもらえたのはもちろん嬉しかったのですが、刊行の時期から数年しか離れていない本が同時代の映画の中に登場するというのは、あんまりみたことがなかったので、「こういうこともできるんだ」と新鮮な気持ちになりました。
住野 僕は『やがて海へと届く』を読んだ時点からずっとツイッターで、『君の膵臓をたべたい』の主人公に読んでほしい一冊をあげるなら『やがて海へと届く』だって言っていたので。今回アニメの中でそれを実現させられて、彼に贈ることができてよかったです。
彩瀬 ありがとうございます。はじめて『君の膵臓をたべたい』を読んだときには、主人公が『やがて海へと届く』のような作風の本を読んでいるイメージはなかったのですが、映画で彼が読んでいる場面を観て、彼自身への印象が変わりました。作中の「ある悲しい出来事」に対して、主人公が気持ちに折り合いをつけて活路を見出していくシーンでは、『やがて海へと届く』が過去の読書体験の一部として彼の中で機能できているだろうか、少しでも役に立てていたら良い、と祈るような気持ちになりました。フィクションの人が、現実のものを読んで変化する、という不思議な体験をしました。
▲『やがて海へと届く』が、住野よるさん劇場アニメ
『君の膵臓をたべたい』に登場したシーンがこちら。
© 住野よる/双葉社
© 君の膵臓をたべたい アニメフィルムパートナーズ
『やがて海へと届く』との出会い
住野 『やがて海へと届く』を読んだきっかけは、彩瀬さんと共通の担当さんからオススメされたからです。彩瀬さんという作家さんがすごい、と聞いていて。それでたまたま書店さんで単行本を手にとりました。「惨死を越える力をください。どうかどうか、それで人の魂は砕けないのだと信じさせてくれるものをください」という帯の文章を見たとき、本から手が伸びて胸倉をつかまれたような気持ちになったんです。これはすごそう、と思って読んでそこから彩瀬さんの本をわーと読む時期に入りました。
彩瀬 ありがとうございます。「惨死を~」という言葉は、本を書く前から絶対にどこかに入れないといけないと思っていました。
住野 『やがて海へと届く』を読み終わった瞬間、天を仰ぎました。すごい……って。それで共通の担当さんにめちゃくちゃ長い感想メールをお送りしたんですけど。僕が最初に思ったのは「こんなにも人の心に寄り添おうとしている小説を書いている人が、ちゃんと生きているのか」と。ぼろぼろなんじゃないのかなって。
彩瀬 笑。
住野 僕は『やがて海へと届く』を読んで、姿形も知らない彩瀬まるさんという方が、体操座りで座っている読者の横にそっと座って、「大丈夫、みんな傷ついているから」と言ってくださっているイメージを持ちました。この本は多くの人にそれがなされる本なんだろうって思ったら、人の苦しみを再理解して「こういうことにも傷ついていいんだよ」というような物語を描かれている優しい方が、こんなに苦しみに満ちた世界でちゃんと生きておられるのかな、と心配になりました。
『やがて海へと届く』ができるまで
彩瀬 『やがて海へと届く』を書くとき、最初に担当さんから執筆依頼を受けた時は、「震災で感じたことを何か入れてもらえたら」というご依頼だったんです。でもいざ書き始めると、「何か」ってとても難しくて。それだったら「感じたこと」や「これだけは書かなきゃだめだって」思ったことを正面から書くものにしようと思ったんです。「何を絶対に表現しなくてはいけないのか」――。私は一人旅の途中で被災したんですが、地震で沿岸部を走る電車が止まったあと、とりあえず宿をとろうと隣駅まで歩き出しました。土地勘もないから、わかりやすい線路沿いをゆっくり歩いてのんびり行こうって思ったんです。それに線路沿いの道を見たときに私は「好印象」をもった。明るくていい感じに林もあって、歩きやすそうで。でもたまたま地震でその道の端が欠けていたんです。工事の人に「道が欠けていて危ないから内陸に入って」と言われて。それで別の道を歩いていたときに、後ろから津波がきたんです。
その経験があるから、あっちにいったら死ぬ、という道が「超いい感じの道」だっていうことを知っていたんです。自分がそっちに行っていても全然おかしくなかった。じゃあ、自分がその道を歩いていって、普通に津波にのまれたら、はじめは「悲しい」と思うけど、そのあと、何を思うんだろうって。私は死んだ人の声はわからないけれど、「自分がその場で死ぬ想像」はできたんです。
私がもしあそこで死んだとして、苦しかったり家に帰りたい、といろんなことを思うだろうけれど、その先に何か物語はあるのだろか……。そう打ち合わせを担当さんとしているときに、でもきっとずっとその場所にいようとしないし、きっと歩くよねって話に行きあたりました。「死者は歩く」という思想を持ってもいいじゃないか。すみれも歩き続けるし、その苦しい瞬間にとどまっていないように努める、というのをまず書かなければいけないと思いました。
それをまっとうしていった結果、さきほど住野さんがおっしゃってくれた、傷ついた人の近くにいける話になれたのかなと思いました。ありがとうございます。
『やがて海へと届く』への思い
住野 僕は『やがて海へと届く』は、死の恐怖が1%減る小説だと思っていて。それは、苦しいところにとどまっていないだろうなっていうことを描いてくださっていたから。そういう思いから、文庫化の際の帯コメントを書かせていただきました。
彩瀬 ありがとうございます! あんなに素晴らしい帯コメントを!
住野 人ってわりと年をとっても、死ぬのが怖いまま生き続けるって聞いたことがあって。ずっと怖いかもしれないけど、その恐怖をほんの少し、たとえば死の間際に『やがて海へと届く』を読んだことで、「あ、こうなるのかもしれない」って思えたり。たとえば、僕の身のまわりの人が死ぬときに、彼は苦しいところにとどまっていないだろうなって思えることで、死への恐怖が減らすことができるかもしれない。そんな思いで「いつか旅立つその前に、この本と出会えて良かった」というコメントとさせていただきました。
彩瀬 住野さんはやっぱりすごいな。コメントの力がすごいと思いました。言葉で人を捕まえる力が、ものすごいですよね。
住野 帯コメントの依頼をいただいたとき、一瞬でコメントを送り返したんですけど、実は帯コメント依頼がきていないずっと前からすでに考えていたんです(笑)。
自分が頼まれると思っていたわけじゃなくて、たとえば、自分が書くとしたらこうするだろうなって。大好きな本や大好きな音楽があると、大体「僕が推すならこう推す」というのを思うんですよね。
彩瀬 わかります。私も考えることあります(笑)。私ならもっといい文書くのに! とか。
住野 めっちゃ思います(笑)。
2人が描く人と人との関係性
彩瀬 『青くて痛くて脆い』を書いたとき、『君の膵臓をたべたい』の読者を殴ってやるような気持ちで書いた、と以前おっしゃっていたけれど、私は読みながら「本当にやってるー!」って思いましたよ(笑)。「男性が女性に甘えて、その甘えが許されることを期待している」という男性主人公の小説はたくさんあると思います。でも男性が女性に対してひどいことをして、かつそれに対して一切の赦しだとか甘えの虚飾を用いずに完遂される小説はこれまでも読んだことがなくて新鮮に感じました。同時に「傷ついてもいいんだ、傷つくことは恥ずかしいことじゃないんだ」って強く思えるのが素晴らしいなって。
住野 ありがとうございます。最初はもう少し甘やかしラストのパターンもあったんですけど(笑)。僕と担当さんが「こんな主人公が救われていいはずがない」と思いまして。 自己投影だと思うんですけど。自分にも主人公みたいなところがあるから、この子を甘やかしたら「自分が救われるに足る」みたいで嫌だったんです。だからちゃんと主人公にもいろいろと考えてほしいなと思って、このようなラストの流れになりました。
彩瀬 『やがて海へと届く』は、以前に別の担当さんから「友人という立場である主人公が、親族よりも彼氏よりも故人への気持ちが強い」という捻じれの現象は辛いでしょう、という感想をいただきました。1人の人が亡くなった時、近親者の悲しみがもっとも深いはず、友達はその人たちよりも落ち着いた風に見せなければいけない、近親者が泣いていなかったら泣いてはいけない、みたいな、悲しみを揃えようと、調整しようとする気持ちがありますよね。でも私は、友人だったら、仕事相手だったら、喪失の悲しみは親族や恋人よりも浅い、なんてことは絶対にないと思うんです。
住野 『君の膵臓をたべたい』は、ある場面で主人公が「僕が泣くのはお門違いだ」と思うシーンがあるんですけど、そう思わなければいけないっていうのは辛いだろうなぁと。『やがて海へと届く』の真奈ちゃんのことを考えているとそう思います。「自分よりももっと辛い人がいるはずなのに」という状況は……。
彩瀬 「こういうものだと思っている」関係性を分解して再検討したい、というのが私の本にも住野さんの本にも、そういう欲求があるのかなって思いました。
2人の死生観について
住野 僕、いろんなインタビューでも言っているんですが、『君の膵臓をたべたい』に登場する彼らは今、日本のどこかで生きているっていう感覚で小説を書いているんです。だから彼が『やがて海へと届く』を読んでいるのは、僕の中では違和感はないことだと思っています。次回作の主人公「三歩」は「住野よるの本を読んだことがある」という設定だったりして。いつかどこかで会えるかもしれないという距離感がすごくやりたいなと思っていて。
彩瀬 おもしろい!
住野 『君の膵臓をたべたい』の主人公は、桜良の「出来事」でめちゃくちゃ悩むと思うんです。「自分じゃなくて、なぜ彼女だったのか」と。だから『やがて海へと届く』が、主人公の心の決着とまではいえなくても、考え方のひとつになればと思って、彼に読んでもらいたいとずっと思っていたんですよね。
彩瀬 ご自身の作品のキャラクターではなくて、知り合いの1人として語ってらっしゃるのがすごく印象的です。
住野 会ったことのない友達という感覚があるんですよね。彩瀬さんはそういう感じというよりは、脳内の登場人物という感じなんですか?
彩瀬 うーん、「こういう人たちがいることは知っている」という感じかな。過去の自分の一側面かもしれないし、「こういう人に会ったことある」かもしれないし。
住野 なるほど。リアルタイムかどうかはともかくとして、どこかにはいる人……。
彩瀬 そうですね。リアルタイムでは考えてなかったかな。住野さんと登場人物との関係より、私はちょっと遠いかもしれない。『やがて海へと届く』に登場する遠野くんは、すごく私に似たタイプ。私が生死について考えた時、遠野くんのような「なんとか決着の道を見つけて、なるべくはやく日常に帰還したほうが健全なんじゃないか」という思想がわきやすかったんですけど、そう思いながらも「行き詰まり感」もあって。遠野くんの言うことをまっこうから否定するような主人公を据えたほうが、たぶん物語が広がっていくんだろうな、と思っていました。遠野くんの写し鏡のような思いで、主人公の真奈をつくりました。
住野 ぼくは完全に主人公の真奈の考え方に近いです。
彩瀬 そうなんですね!
住野 凄惨な事件があったときに、亡くなってしまった人に対して何もできない自分に、関係ない罪悪感を抱いてしまうんですよね。その人たちに何ができるかなと思ったとき、祈ることしかできないですが……。最初『やがて海へと届く』の帯にあった文章「惨死を越える力をください。どうかどうか、それで人の魂は砕けないのだと信じさせてくれるものをください」を見たとき、自分が抱いているような悩みを持っている主人公だなぁと思って読み始めたんですよね。真奈ちゃんは「苦しみがともなっていなければ真実ではない」と思っていますが、すごくよくわかるんです。自分は、ある程度不幸じゃないといけないと思って生きていて。それはたぶん、いろんなものを助けられなかった自分への言い訳だな、と。そういうのが『君の膵臓をたべたい』にもつながっているんだろうなと思います。
彩瀬 負担や不幸が人の共同体で、なるべく公平であるべきだって――
住野 思いたくはないけれど、思っちゃうんです。幸せの絶対量は世の中で決まってるような考え方をしてしまっていて。ある程度の不幸を背負わないと怖いって思ってしまうんです。同時に自分の感じている不幸が、世間一般では不幸じゃないとみなされた時に、「不幸じゃないんだ自分は」と思いこんじゃうんですが、これを抱えている人も多いなと思っています。『やがて海へと届く』にも内包されているテーマかなと思います。わりとちゃんと生きられる人が多くなってきた現代、「持つことの苦しさを感じる人たちが多い」中で、『やがて海へと届く』が世に放たれるというのは、すばらしい現代小説だなと思うんです。
彩瀬 ありがとうございます。以前お会いしたときにも「持つ人の苦しみ」に言及してくださいました。それを聞いて、「そうか私が気になっていたのは、そういうことだったのか」と自分でも腑に落ちました。
住野 僕、『やがて海へと届く』のタイトルも素晴らしいと思います。
彩瀬 タイトルを決めるのは実は苦しかった……。そう言っていただけて良かった。
住野 音としても気持ち良いし、ラストまで読み終わったときに、このタイトルしかないと思いました。自分もやがて、海へと届いたらいいなって。
(2018年12月対談収録)
(2018年12月対談収録)