この物語のヒロインは、探偵のすべてを知りたいが探偵にはなりたくないと語った女性、紗崎玲奈である。まずはその想いからしてユニークだが、彼女の個性はそれだけではない。
探偵事務所社長の須磨がまず着目したのは、その外観だった。「黒髪はストレートで長く、小顔には少しばかり吊りあがった大きな瞳と、すっきりと通った鼻すじがあった。肌は透き通るほどに瑞々しく、まだ高校生か、大学入学したてと思える」というのだ。きれい事ばかりではない私立探偵の世界には、異質な外観である。そして単に異質なだけではない。須磨が玲奈に面談で告げるように、「探偵は平凡な面持ちこそ適任」であり、その美貌は、ある理由によって探偵には著しく不向きなのである。
紗崎玲奈がその美貌に宿す表情もまた特徴的であった。物憂げなのである。いささかの子供っぽさもない物憂げな表情なのだ。あるいは無愛想な仏頂面。入学を認められた際にも、せいぜい「微妙な安堵のいろが浮かんで消える」程度だ。紗崎玲奈がそうした表情を纏うようになった理由を、読者は、彼女が探偵学校に入ろうと思った動機とともに知る。本稿では、探偵業の闇の部分が、彼女をそうした気持ちにさせたのだけ述べておこう。その理由を知れば、表情が消えたのにも納得する。知れば紗崎玲奈が愛おしく思えてくる。いかに無愛想でも、それでもとことん彼女を支持する気持ちになるのだ。
対探偵課。 それが彼女の所属する部署である。「よくいえば業界の自浄、悪くいえば同業者潰し」を担当する部署だ。他の調査会社の悪事を暴き、叩きつぶす。こうした役割こそが本書の中心になっているのだが、そのユニークなアイディアを、松岡圭祐は思い付きのまま作品に投じるのではなく、強固なものにしっかりと仕立てている。玲奈の想いだけでなく、須磨の考え方や、彼がそう考えるのも自然という調査会社業界の状況などを的確に語り、“対探偵課”にリアリティを与えているのだ。
そしてその対探偵課の唯一のメンバーとして、玲奈は闘う。相手もプロの探偵だけに、油断は全く出来ない。お互いの手の内を知り尽くしているだけに、極めてハイレベルな駆け引きが行われることになる。それも命懸けで。そんな現場に、紗崎玲奈は自らの意志で飛び込んでいったのである。
作者のシリーズ物は、凝った設定に特色があるが、その中でも本書は飛び切りであろう。なにしろ悪徳探偵を追う探偵である。日本にも私立探偵小説は多く、主人公の探偵が悪徳探偵と対決するという話が、ないわけではない。でも、悪徳探偵専門の探偵というのは、初めて聞いた。よくもまあ、こんな面白い設定を考えつくものだ。
しかし、読み始めてすぐ、こんな探偵がいてもおかしくないと思うようになった。探偵業界の現実が、克明に描かれているからだ。冒頭、「スマPIスクール」の新期生へ須磨の授業という形で、探偵に関するあれこれが簡潔に説明されていく。これが実に興味深い。たとえば合法的な捜査手段のところに書かれている、「全国中高生制服データベースも、女子ばかりが充実して男子がほとんどないのは難点ではあるが、学校の特定に役立つ」という一文などは、制服マニアの趣味嗜好を満足させる他に、そんな方法があるのかと、感心してしまうほどである。ノン・シリーズの『ミッキーマウスの憂鬱』や『ジェームズ・ボンドは来ない』などに顕著だが、実在の場所や実際の出来事を盛り込み、ストーリーに現実感を与えるのは、作者の得意とする手法だ。それが本書にも、存分に生かされている。だからこそ、破天荒な設定を納得させるだけの、物語としてのリアリティを獲得しているのである。
しかも、この設定をベースにしたストーリーが、ムチャクチャに面白い。詳しく書けないのが残念だが、ミステリーならではのサプライズを、何度も味わうことになるのだ。
主人公の魅力も見逃せない。自分たちの仕事の邪魔になる玲奈の命を、悪徳探偵は本気で狙ってくる。それを承知の上で、彼女は危地に向かうのである。アクション・シーンも容赦なく、ずたぼろになりながらも闘うことを止めない玲奈を、応援せずにはいられない。その一方で彼女は、頭脳派でもある。悪徳探偵といっても、粗暴な者もいれば、知性の持ち主もいる。玲奈と悪徳探偵の頭脳戦は、双方一歩も引かぬ名勝負。最終的には玲奈が勝つと信じながら、手に汗握ってしまう。
でも、才色兼備にして文武両道の玲奈が、その力を見せれば見せるほど、彼女の哀しみが際立ってくる。ありあまる可能性を、ただ悪徳探偵を潰すためにだけ傾注している生き方が、痛ましくてならないのだ。探偵稼業を恐がりながらも、玲奈に惹かれていく琴葉の視点が、それを強調している。タフでハードな鎧の下には、癒せぬ傷を抱えた魂が隠れていた。その事実も玲奈の、たまらない魅力になっているのだ。
(20代女性)
(60代女性)
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(40代男性)
(10代男性)