拙著『伽藍堂の殺人』は、「堂」シリーズにおける転換点となる作品だ。
お読みいただければわかると思うが、これまでの3作『眼球堂』『双孔堂』『五覚堂』を通じて積み上げてきたもの──物語の性質であったり、登場人物の性格であったり、シリーズのイメージであったり──をすべてひっくり返してご破算にするような出来事が起こっている。
率直に言って、そうした展開がいいか悪いか、実は、僕自身にはわからない。
だが、そうすることによって生み出せる何かがあるのではないか、とは考えている。アンフェアか、ルール違反か、反則か、裏切りか、どういう言葉を用いるのが適切かはわからないが、いずれにせよこのシリーズには、そういう不愉快な転回があってこそ初めて意味を持つこともあるはずだ、と、そういうふうに考えている。
かつて、科学の世界にはこうした転回があった。
もっとも有名なものは、天動説から地動説への転換だ。今でこそ当然のこととして考えられている地動説も、昔は異端だった。「我々を中心として天は動く」という価値観を持っていると、それを「自分たちも動いているのだ」という価値観へシフトさせるのは容易なことではない。当時のあらゆる科学的知見から地動説の正しさを確信していたガリレオ・ガリレイでさえ、2度の異端審問にかけられ、最終的に終身刑(すぐ軟禁刑に減じられたが)を受けたという事実は、「それでも地球は動く」という名言とともに、つとに知られている(本当にこの言葉をつぶいたかどうかには諸説ある)。
あるいは、相対論だ。マイケルソン・モーリーの実験によって、光は常に一定の速さを持つように見えるという謎が提示されたとき、多くの科学者は混乱をきたしたが、かの有名なアルバート・アインシュタインは、そのむしろ光が常に一定の速さを持つという事実こそがスタート地点であると前提を転回し、特殊相対性理論を構築した。
もちろん、拙作をこうした偉大なパラダイムシフトになぞらえるつもりはない。僕が書いているものは、こうした偉大な挑戦とは異なる、単なる思い付きか、よくて試行錯誤の範疇のものである。したがって、不愉快ではあるもののこの転回が正しいと主張するつもりもないのだが、とはいえ、科学のような「絶対的なよりどころ」の存在しない、すなわち「正しい、正しくない」の存在しない小説であればこそ、それが一定のルールの上に立つミステリの体をなすものであるということを差っ引いても、ひっくり返ること≒転回することが許容される余地はあると考えている。
もっとも、物語とてひっくり返ったままでは収まりが悪いのは確かだ。
先述のとおり、本作は転換点であり、見方が180度裏返っている。この裏返りを、次作『教会堂の殺人』と、その次に控える2作(このシリーズは全7作を予定している)によって解消していくつもりでいる。
解消するといっても、原状復帰するわけではなく、この「堂」シリーズならではの地点へと着地するつもりだ。お読みになられている方々にあっては恐縮だが、もうしばらく、この不愉快な回転と転回の物語にお付き合いいただければ幸いだ。
某国立大学建築学科卒業。『眼球堂の殺人~TheBook~』(講談社ノベルス、のち講談社文庫)で第47回メフィスト賞を受賞しデビュー。著書に『LOST失覚探偵(上中下)』(講談社タイガ)、『アールダーの方舟』(新潮社)、『暴走』(KADOKAWA)、「猫又お双と消えた令嬢」シリーズ、『災厄』、『CRISIS公安機動捜査隊特捜班』(原案/金城一紀)(角川文庫)、『不死症』、『幻屍症』(実業之日本社文庫)などがある。
謎のBT教団ゆかりの島に四人の主要登場人物、十和田只人、宮司兄妹、善知鳥神は一同に集められ、シリーズ第四弾『伽藍堂の殺人』は幕を開ける。
X県のローカル紙、デイリーX記者、脇宇兵は宮司司に語る。
「……宮司さん、『BT教団』って知ってます?」
「BT教団? うん、聞いたことはあるな」
俺は、胡乱(うろん)な記憶を脳みその奥から引っ張り出す。
「確か……戦後、雨後のたけのこのようにできた新宗教のうちのひとつだったはずだ。タイショーなんとかっていう教祖が、世界平和を理念に掲げて作ったとか……」
「ちなみに教主は……昇待蘭童(しょうたいらんどう)という変な名前の人物ですね。側近の信者以外には決して姿を見せない謎の人物で、男か女かも判然としていません。大胆にも潜入取材を試みた先輩記者いわく、全身を頭からすっぽり覆うような白い装束を纏っていたため、小柄だったということ以外は何も解らなかったそうです。一時は、たくさんの信者を抱え、一大勢力を誇っていたそうですが、今はまったく下火です。何しろ昇待蘭童が、教団の財産を全部持ったまま、いなくなっちゃいましたからね」
「そんなことがあったか……」
脇は、肩をすくめた。
「1980年頃のことらしいです。忽然と教主がいなくなったせいで、残された信者たちはちりぢりばらばらになり、日本中にあった施設も、ほとんどを手放してしまったんですね。もっとも、一部の熱心な信者は、これを『幽隠』と呼んで、いまだ信心を続けているようですが……」
「だが、そのBT教団が、伽藍島とどう関係があるんだ?」
「知りたいですか? ……知りたいですよね?」
俺の問いに、脇はふふんと鼻を鳴らし、得意げに言った。
「実はですね、宮司さん。この昇待蘭童率いるBT教団が現在でも所有している施設ってのがいくつかありまして、何を隠そうそのひとつが」
「この伽藍島なんですよ」
それは、昭和30年代初めのこと。
バラックが建ち並ぶ貧しい下町の路地裏で、通行人たちに、ある奇跡を見せる者がいた。
その奇跡とは、ひとつのリンゴが、腕の中 で二つに増えるという不思議な術。驚く人々にその増えたリンゴを分け与えると、こう言った。
──数の神秘を信じなさい。さすれば、人は物理法則をも凌駕できるのです。
この人物こそ、のちにBT教団の教主となる昇待蘭童その人だった。
まだ貧困に喘ぎ人生に絶望する者も多かった時代、昇待蘭童はそうやって、人々の前で食料を増やしては、希望とともに人々に分け与えていったのだという。ペテンだと糾弾する者もあったらしいが、一方でそれがマジックであると看破できた者もおらず、いつしか昇待蘭童は「奇跡の人」という枕詞とともに、人々に知られるようになっていった。
やがて、昇待蘭童の周囲に集まった信者たちが、この奇跡を世界 に知らしめるべく、平和の名のもと教団を組織しようと考えたとき、昇待蘭童はこう言ったという。
──教団名は「バナッハ― タルスキ数秘術教団」としましょう。
(シリーズ第1作『眼球堂の殺人』より本文引用)
38歳。「只の人」という名前とは真逆の、
どこをどう切っても只者ではない人間だ。
「ぼさぼさの髪。あご一面の無精髭」 「べっこう縁の眼鏡の奥には色素の薄い大きな瞳」 「学生だった20歳の頃、当時知られていたある未解決問題を証明」 「今後の日本を背負う数学者だ、とまで言われていた」 「28歳の時、彼はなぜか、突如失踪」 「どこへ消えたのか、親しい友人も、家族でさえも、知らなかった」 「心を病み、死を選んでしまったのではないか?」
だが、幸いなことに、その心配は杞憂だった。
すぐに、十和田の噂が……
「ニュージーランドの学会で共同研究発表」 「モンゴルの学者の論文に共著者として彼の名があった」 「オーストリアの社会福祉施設に彼から寄付があった」
そんな噂が、世界中から聞こえてきたのである。
やがて現在、何をしているのかが明らかに……
「鞄一つで世界中を旅し、訪れた先で各地の数学者の家に
無理矢理押し掛けては、共同研究をしているらしい」
いつしか世界の数学者たちは、
十和田のことをこう呼ぶようになっていた。
「放浪の数学者」
そんな彼のもとへ、世界を代表する建築学者・
「小生の新居『眼球堂』をお訪ねいただきたい。日程は三日間。各界の才能にも多数おいでいただく。きっと貴殿も満足するだろう。」
宮司司とは……!?
宮司司は警察庁キャリアで階級は警視。
16歳年下の妹、百合子はT大学大学院在学で
十和田只人のファンである。
新キャラクターである彼が、ある目的のため、
Y市Y湖畔の奇妙な建築物「ダブル・トーラス」
に十和田只人を訪ねて車を走らせるところから、
第2作『双孔堂の殺人』は始まる。
(以下、本文より)
最後に、百合子はちくりと言った。
「(中略)それより、そんなに私のことばかり気にしていると、
いつまで経っても結婚できないままになっちゃうよ。
……ねえ、聞いてる? お兄ちゃん」
俺──宮司司が、ひとり十年落ちの車で向かっているのは、
Y湖畔に建てられた「ダブル・トーラス」と呼ばれる建造物だ。
元々は美術館として設計されたその巨大で奇妙な館は、
現在ある男の私邸として使われているという。
男の名前は、降脇一郎。
善知鳥神について「眼球堂の殺人事件」で十和田はこのように語っている。
「善知鳥神を一言で表すならば、これぞまさに『天才数学者』だ」 「そう。それも、僕が十人束になって掛かっても敵わないくらいの、まさに『千年に一人の天才』だ」