講談社文庫

□2016年10月号目次

原点は漢詩との出会い

── 浅田さんが描き続けてきた激動の近世中国をテーマにした小説群は、いまでは壮大な歴史エンターテインメントとして人気を博しています。その嚆矢ともいうべき『蒼穹の昴』が刊行されて二十年ということもあり、改めて本シリーズの誕生についてうかがいたいのですが。

浅田 『蒼穹の昴』は書き下ろしで一八〇〇枚の小説です。皆さんご覧になったことはないと思いますが、手書き原稿一八〇〇枚って、人間は持ち運べません。腰痛めます(笑)。それで、当時は婦人服の販売をやっていたので、営業のワゴン車で講談社まで運び、台車に原稿を載せて、昔の講談社の本館の入口までゴロゴロと押して行った。入館手続きをしようとしたら守衛さんに「納品は裏にまわって」っていわれて。納品? 出入りの業者か何かかと思われたんでしょうね。ま、納品といわれれば納品には違いないかと、納得して裏から入ったんですけど、すれ違う人がみんなじろじろ見て通り過ぎて行くんですよ。

 あとで気がついたんですが、二十年前の当時すでに原稿執筆はワープロやパソコンが主流で、手書き原稿なんて出版社の社内でも珍しい存在になっていたんですね。

── 『蒼穹の昴』は清朝末期を舞台としていますが、この時代の中国を書こうと思われた動機を教えてください。

浅田 私が生まれて初めて衝撃を受けた文学体験が〝中国〟なんです。中学一年になって授業で漢詩を習いましたが、そのとき「世の中にこんな美しい文学があるのか」と感激したんです。

 それで図書館に通いつめて中国関連の書物を読みあさったんですが、そのなかに、当時、京都大学の現役教授だった宮崎市定先生の著作がありました。これがまたすばらしかった。昔の学者は文章がうまいものだからその文章に魅了されてしまって、小説を読むより面白かった。私が初めて買った全集は、鷗外でも漱石でも谷崎でもなく、古本屋で見つけた『宮崎市定全集』でした。

 宮崎先生の専門分野は近世中国、つまり明代と清代における科挙制度と官僚システムでした。だから自然にこうしたことに興味がうまれましたし、その面白さにすっかりはまってしまいました。宮崎先生の著作を読みながら『儒林外史』(呉敬梓)も読んだなあ。これは科挙について書かれた有名な小説ですが。

 いずれにしても、私が中国史の中でもとりわけ清朝に対して魅力を感じ、『蒼穹の昴』の執筆にもっとも大きな影響を与えたのは宮崎先生の著作だったということは間違いありません。

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