講談社文庫

『ぴんぞろ』戌井昭人

第38回野間文芸新人賞受賞作家が描く平成チンチロリン放浪記

人生成り行き、出たとこ勝負。

戌井昭人です。『ぴんぞろ』という文庫本が出ます。〝ぴんぞろ〟とは、チンチロリンというギャンブルで、サイコロの目が⚀⚀⚀とそろったことをさす言葉なんですけど、このチンチロリンをきっかけに男が温泉場に流されたり、浅草をウロついたりと、いろんなところをウロウロするお話です。どうぞよろしくお願いします。

『ぴんぞろ』文庫化記念戌井昭人 動画インタビュー
ここからは、動画未収録(オフレコ)です。
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戌井さんにとって浅草とはどんな街ですか?
戌井
学生時代に、仲見世近くの団子屋さんでずっとアルバイトをしていました。店の倉庫があるんですが、営業が終わったあと、酒を飲みに行って、そこに泊まったなんてこともありました。まだ常盤座って演芸館も営業していました。2階のバルコニー席みたいなのがあった劇場だったんですよね。僕の高校生のころにはもう演芸はやらなくなっていて、映画を上映してた。斎藤寅治郎(“喜劇の神様”といわれた映画監督)特集なんて観た記憶があります。いまでは外国人観光客で大賑わいですけど、まだ再開発前だから、あのころの6区を眺めてたら、これはダメになってく街だなとつくづく思いました。それほどさびれてたし、人もいなかった。いたと思うと喰い逃げのおっさんで、ふだん喰ってないもんだから難なく店のおばちゃんにつかまってぶん殴られたりしてました。そんな街でしたけど、ちょっと路地に入ってのぞいていくと、「何だコレ!」みたいな光景がたくさんあったんです。
──
というと?
戌井
たとえばおじいちゃんばっかりが集まる店があって、話を聞いたら戦争で出征中にソッチに目覚めちゃった人たちなんだと(笑)。軍隊という男所帯でともに死線を潜るうちに愛すべきは女ではなく男だ、とこうなったわけですね。ようするにおじいちゃんのゲイバー。ほかにもヤクザとその情婦とテキヤと路上生活者とヤク中が1枚のカウンターに並んで座っているホルモン焼き屋とか。だから「ぴんぞろ」は現代の浅草という設定ではあるんですが、そこには僕が目撃した昔の浅草も色濃く反映していると思います。
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今井が派遣される温泉地にはどこかモデルがあるのですか?
戌井
一応伊香保温泉をイメージしたんですけど、群馬県のあそこらへんっていう程度です。作中の温泉街は伊香保温泉みたいに情緒もないし大きくもない。田舎道をバスに乗っていて、唐突に、 ○○温泉↑って小さな看板があったりして、「え、こんなところに温泉街があるの?」と思って矢印の先を目で追っても、それらしい雰囲気がまるでない。そんな温泉街をイメージしました(笑)。
──
戌井さんの読書の原体験を教えて下さい。
戌井
学生のころに読んだ井上靖の『しろばんば』。母親の妹で、女学校を出たばかりの新人教員で、主人公が慕っていた女性が死んじゃうんですよね。本当に悲しくて、舞台が伊豆の湯ヶ島なんですけど、聖地巡礼しちゃいましたもん。う~ん、「ぴんぞろ」に結びつかないなぁ(笑)。あ、でもその後は色川武大、深沢七郎とか、あとビートニクにはまってケルアックとかブコウスキーとか読みあさりました。ビートは文学的に衝撃を受けてというようなものじゃなくて、自分がウロウロするのが好きでその口実にもってこいだと(笑)。ま、かっこつけていただけなんですけど。旅行に行くときもリュックじゃダメだ、肩がけのずた袋でここんところに寝袋をつけて、とか。
──
本以外では戌井さんが影響を受けたものはありますか?
戌井
アメリカンニューシネマですね。『カッコーの巣の上で』とか『イージー・ライダー』とか。クルマで荒野の国道を走っていて、ようやくたどり着いたダイナーに寄って、薄いコーヒーを飲みたい、段ボールみたいな硬いステーキを喰ってみたい、そんなのが自分の中でかっこいいなと思うことだったんです。今アメリカはまったく違う国になっちゃったけど。
──
浅草にしても、アメリカにしても、失われた良き時代への憧れがあるのでしょうか。
戌井昭人
戌井
そうですね。色川さんがいた浅草も、永井荷風の浅草も、リアルタイムで僕は知らない。でもそうした人たちが入り浸っていた飲み屋とかそば屋とか、飛び飛びに残っているんですよね。ウディ・アレンの映画で『ミッドナイト・イン・パリ』ってあるじゃないですか。夜な夜な1920年代のパリにタイムスリップして、フィッツジェラルド、ポーター、ヘミングウェイ、ピカソ、ダリら、そうそうたる顔触れに遭遇するんです。浅草を歩くとき、僕は僕だけの「ミッドナイト・イン・浅草」をしているのかもしれない。色川さんや永井荷風はもちろん、殿山泰司さんがいて、田中小実昌さんがいて、それぞれの時代の浅草をうろついてみたいという気持ちは強くあります。
──
最後に「ぴんぞろ」のラストで二人になった今井とリッちゃんは、この後どうなったのでしょうか。
戌井
どうなったんでしょうね。幸せになって下さいとしかいいようがない(笑)。今井は成功しそうにないしなあ……。でもリッちゃんはルリ婆さんからしっかり仕込まれているし、あんだけ踊れるんだから浅草に出てくればロック座の面接を受けて、やがて人気者になりますよ、きっと。ってことは、今井は結局……ヒモか(笑)。
「IN★POCKET」2017年2月号より一部抜粋 >「IN★POCKET」2017年2月号の詳細はこちら
プロフィール
  • 戌井昭人(いぬい・あきひと)1971年、東京都生まれ。'95年、玉川大学文学部演劇専攻卒業。文学座研究所を経て、パフォーマンスグループ「鉄割(てつわり)アルバトロスケット」を旗揚げ。のち作家となる。'09年『まずいスープ』、'11年『ぴんぞろ』、'12年『ひっ』が芥川賞候補に。'13年『すっぽん心中』でも芥川賞候補となり、翌年に第40回川端康成文学賞を受賞。同じく'14年『どろにやいと』で5度目の芥川賞候補。'16年『のろい男 俳優・亀岡拓次』で、第38回野間文芸新人賞を受賞。近著に『酔狂市街戦』がある。
  • 戌井昭人

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