大野 自分はロックというポジション柄、常にボールを追い掛けてラックに頭を突っ込んでいたので、勝てるぞとは思っていなかったけれど、途中で得点の経過を見ているときに、ああ、やれているなという嬉しさはありました。前半、僅差で折り返したときは、向こうがいら立っているというか、少し違うぞと思っているのが感じられました。
試合中にラックでマットフィールド選手(ヴィクター・マットフィールド 2007年大会MVPで大野選手の一歳年上の38歳 ポジション・ロック)が地面にいたので、いらつかせようと思ってマットフィールドの顔を押さえ付けて立ち上がったのです。ちょっとせこいですけれども。仕返しにかかってくるのではないかと思ったのですが、そういうことはなくて、彼は紳士でしたね。自分の器の小ささを思い知らされました(笑)。
大友 大野さんの交代は後半15分ぐらいでしょうか。
大野 ベンチに下がってからは、一番近い所で見ている観客としてジャパンを応援していました。ゴロー(五郎丸)がトライしたとき、ジャパンのプレーがあれだけきれいに決まるならいけるかもしれないと感じました。
スクラム選択の真相
大友 最後の時間に相手陣に怒涛の如く攻め込んだわけですけれども、ペナルティーを狙わないでスクラムを選んだときは、どのようにベンチで見ていたのですか。
大野 どのプレイを選択するかを決めるのはキャプテンのリーチやグラウンドにいる15人です。あのとき南アフリカが1人シンビンで少なかったですよね。われわれはスクラムに自信があったので、僕もスクラムで当然だと思いました。
大友 ベンチからも行け、行けという感じですか。
大野 そうですね。けれども、スタッフは違ったみたいで、同点狙いもあったみたいです。グラウンドにいるスタッフがペナルティーになった瞬間にエディーさんの指示でキックティーをゴローに持っていこうとしたら、リーチに「要らない」と言われたらしいです。
選手が感じたスタジアムの雰囲気
大友 スタジアム中がすごく盛り上がって日本の応援をしていたと思うのですが、選手にはどのように聞こえていたのでしょうか。
大野 最初の国歌斉唱のときは、南アフリカのほうがとても盛り上がりました。スタジアム中が南アフリカが勝つと思っているのだろうという雰囲気が伝わってきました。でも試合が進むにつれて、会場がジャパンのホームのようになって、自分たちもとても勇気をもらいました。
大友 スタジアム全体にジャパンコールが巻き起りましたね。
大野 イングランドのファンは公平でどっちが得点しても大歓声でした。けれども後半、ジャパンが勝つのではないかと観客が思い始めたときの異様な雰囲気はすごかったです。
意気消沈する南アフリカのロッカールーム
大友 試合後の南アフリカの選手との交流の感じはどうだったですか。
大野 スカルク・バーガー選手(サントリー・サンゴリアス所属)や、JP・ピーターセン選手(パナソニック・ワイルドナイツ所属)はすぐ日本のロッカーに来て明るい感じでしゃべっていました。
大友 彼らはジャパンのロッカーまで来たのですか。
大野 ええ。それほどショックはないのでは、という感じでした。自分はマットフィールド選手とジャージを交換してほしかったので、ひとりで南アフリカのロッカーまで行きました。ドアを開けた瞬間、お葬式かというぐらいシーンとして、まずいところに入ってしまったと思いました。でもやはりジャージを交換してほしかったので、マットフィールド選手のところに行ったら真摯に対応してくれて、しっかりジャージを交換してもらいました。
大友 その後はもう長居してはいけない雰囲気でしたか。
大野 逃げるように帰ってきました。今あまり行かないほうがいいと皆に忠告しました(笑)。
大友 帰ったホテルでも大歓迎されたんですよね。
大野 もうスタジアムを出るときからです。バスが発車した瞬間、バスの周りはファンの人に囲まれて、南アフリカのジャージを着た人もすごく祝福してくれて。
大友 南アフリカに勝って人生が変わった感じがしますか?
大野 自分の人生が変わったかどうかは分からないのですけれども、日本ラグビーは確実に変わりました。
先輩日本代表からのメッセージ
大友 南アフリカに勝ったあとに日本から大先輩のメッセージが届いたとのことですが。
大野 釜石シーウェイブスの伊藤剛臣大先輩からです。1995年の145点失点の記憶を消してくれてありがとうというメッセージでした。(第3回南アフリカ大会で、日本はNZ相手に17対145の敗戦を喫した)
大友 その悔しさを晴らしてくれたと。剛臣さんがその試合に出ていたわけではないですけどね。
大野 タケさんは1999年の第4回ワールドカップ・ウェールズ大会で、パブで飲んでいたら知らない白人にからまれて、日本代表の選手だと言ったら、145点の話題を出されて笑われて、それが悔しかったと言っていました。「それを消してくれてありがとう、あなたたちは神になりました」と書いてありました。
サモア戦前に届いたサプライズ
大友 大野さんが出場したもう一つの試合、サモア戦ですが、今までサモアにPNCで勝ったことはあっても、やはりフィジーやトンガのようなアイランダーのチームはワールドカップになると違ってきたし、必ず勝つと確信は出来ませんでした。結果は、ほぼ完勝と言っていいと思うのですけれども、あの試合はどういう感覚で戦ったのですか。
大野 ある意味、南アフリカ戦よりもサモア戦の前のほうがとても緊張しました。南アフリカの次のスコットランド戦で大敗してしまって、やはり日本のラグビーは弱いのかという印象を持った人がいるかもしれない。だから、その次のサモアで勝つか負けるかで、また日本のラグビーの人気が上がるか、そのまま下降線をたどるのかが決まる。日本のラグビー界にとって本当に大事な一戦になるという思いがありました。
大友 チームメイトはどうでしたか?
大野 今回の日本代表の選手は皆タフな集団だったので、それほど目に見えてナーバスになっている選手はいなかったです。しかもサモア戦の前の日びっくりすることがありました。ホテルでミーティングをやっていたら、団長の稲垣(純一)さんが「天皇陛下からメッセージが来ている」というんです。
大友 すごいですね!
大野 南アフリカ戦を見たチャールズ皇太子が天皇陛下にメッセージを送って、天皇陛下がこのメッセージをぜひ日本代表の皆さんに紹介してほしいという感じで来たようです。
大友 それは多分報道陣には教えられてなかったと思います。力が湧いてきますね。
大野 それこそ天皇陛下も期待してくれている嬉しさがあります。
勝ち切ったアメリカ戦
大友 サモア戦のときにはボーナスポイントが取れなくて、アメリカ戦の前に、結果的にもう決勝トーナメントに行けない状態が決まっての試合になってしまいました。大野さんはあの試合ではメンバーには入っていなかったのですけれど、一緒にチームの中にいて最後の試合に臨むチームの雰囲気はどうでしたか。
大野 トーナメントに行けないからといって意気消沈している選手は誰もいなくて、3勝してベスト8に進出するに値する結果を残して帰ろうという気概はチームにみなぎっていました。
大友 大野さんはあの試合はベンチの外で見ていたと思うのですが、最後のアメリカ戦の戦いぶりはいかがでしたか。
大野 素晴らしかったです。PNCでやったときには前半ものすごい圧力を受けて、それが後半まで響いて結局負けたのですが、やはりワールドカップも同じように、彼らはすごい勢いで来ていました。世界で一番強いプレッシャーのチームと言えると思います。ジャパンはそれをしっかり耐え切りました。ベストなゲーム運びではなかったですけれど、ワールドカップでアメリカに勝つのは本当に大変なことなので、それを達成してくれた選手たちを誇りに思います。
勝因はコレ!
大友 ワールドカップで勝てた要因としては、大野さんの実感としては何が良かったのでしょうか。
大野 やはりエディーさんの下でのハードワークです。それしかないです。けれども、あれほどのハードワークをできたのは恐らく日本人だからだと思います。あのメニューを外国の選手にやらせようと思ったら、恐らくやらない、できないと思うのです。その忍耐力、我慢強さは日本人特有のものです。それをエディーさん、スタッフがしっかり理解して自分たちに課してくれたのでこの結果が達成できたと思います。
大友 エディーさんに次のコーチ先、ストーマーズでもヘッドスタートをやるのですかと記者が聞いたら、南アフリカではやらない、誰もやらないからという返事でした。
大野 きっとそうです。スカルク・バーガー選手が言っていたらしいですが、エディーさんが来ても、南アフリカのラグビー文化を最重視するそうです。自分たちのラグビーを簡単には変えないということです。
トレーニングしながら体重増
大友 エディージャパンの練習のすごさはいろいろ報告があります。選手たちは当然、前からウェイトトレーニングをやっていたはずなのですけれど、ほとんどの選手がさらに体重が増えたんですよね。
大野 そうですね。僕は2015年になって一気に体重が増えました。4月から代表合宿が始まったのですが、先シーズンのけがを引きずっていて、約1ヵ月ずっと別メニューでウェイトトレーニングに特化した練習をしていました。それこそ1日に4回ウェイトトレーニングをするような日もあったりしたので、今年1年で体重が5キロぐらい増えました。でも、それで走れなくなったとか、そういうことはなかった。
大友 きちんと走れるようにできたというのは、ウェイトをしながら、やはりランニング用のメニューも怠らないということですか。
大野 ローイング、ボートを引くフィットネスとか、バイクフィットネスとかをやっていました。
大友 そういうのを一緒にやることで速い動きを落とさないで、なおかつ体重を増やしていったのですね。
大野 そうです。
「Beat the Boks」毎日がオールアウト
大友 宮崎合宿中の地獄のメニューはやはりすごかったのですか?
大野 「Beat the Boks」というのがあったんですが、自陣22m内マイボールからスタートする実戦形式の練習で、自陣22m内からノーミスで相手陣10mラインまで戻すことができたらクリア、ミスがあれば相手ボールになりディフェンス練習から同じことを繰り返す、というものでした。 ただ、その「ミスがあれば」というのが本当に些細なことで、すぐエディーさんが「はいミスが起きたので相手ボール」と指示していたので、とにかくきつかったです。
大友 日課のヘッドスタートも大変だったと聞いています。毎日練習を終わると体力的には相当大変でしたか。
大野 一日の体重の幅が大きかったです。朝の練習を終えて体重を測ると3キロ落ちていて、ご飯を食べて2キロぐらい戻って、また午前中の練習をして3キロ落ちて、またご飯食べて2キロ戻って、3キロ落ちてという感じで、何とか元に戻して寝て、また次の日も同じ繰り返しという毎日でした。
強い体に育つ秘訣
大友 日本の未来の選手の方々なにかアドバイスありますか。
大野 そうですね、たくさん動いてたくさん食べてください!
大友 子どもの頃はやはりよく食べていましたか。
大野 食べていたと思います。
大友 大野さんの強い体をつくったのは新聞配達と牛乳を飲んでいたことだといわれていますね。
大野 実家が酪農家だったので、水代わりに牛乳を飲んでいたということもあります。米に野菜に地元で取れた新鮮なものを食べられたのは、今の体をつくるのにすごく役に立っていると思います。
大友 自分の家で取れたばかりのものだから、本当に新鮮。
大野 今考えるととてもぜいたくなことだったのですけれども、子どものときはそれが当たり前過ぎて、ありがたみを感じていなかったですね。
釜石の夢、東北復興の夢
大友 大野さんは福島県郡山市出身ということで、私が書いた『釜石の夢 被災地でワールドカップを』の中にも何ヵ所か登場していただいています。『釜石の夢』は釜石だけではなく、東北の出身ラグビー選手の活動にも焦点を当てています。大野さんは震災の後ずっと東北への思い、福島への思いをラグビーや復興活動にぶつけてきた。やはりその思いは今回のワールドカップでも強くあったのですか。
大野 前回、2011年のニュージーランド大会では、チーム全体でラグビーを通して被災した方たちにメッセージを発信したいという思いで臨みました。けれども、いい結果を残すことができずにふがいない思いで帰ってきたので、今回こそはという思いもありました。
大友 試合に勝った後、大野さんが東北の皆さん・被災地への言葉を発してくれたのが、私も復興支援に関わってきた東北の人間の一人としてすごく嬉しかったです。大野さんのところにも東北から応援の声が届いていたのですか。
大野 東芝(所属チーム・東芝ブルイブルーパス)が年に1回いわきに復興支援に行っています。そこで交流するようになったいわきBlue Bravesというクラブチームの方たちがいます。自分が大学のときに福島選抜に選ばれて一緒にプレーした先輩たちもプレーしていて、そういう方々からもメッセージを頂いたり、中学、高校の同級生からも連絡を頂戴しました。福島もラグビーで盛り上がっているということを知って、私もすごく力をもらいました。
大学からラグビーを始めて代表に
大友 ファンの皆さんはご存じの方も多いと思うのですけれども、大野さんは高校まで野球部でいながらレギュラーではなかったのですね。自分は野球よりもラグビーに向いていたというのはありますか。
大野 向いていたかどうかはいまだ分からないのですが、自分はパスもキックも上手くできない、けれど、試合中に一回もボールを触らなくてもチームの勝利に貢献できるのはラグビーのいいところだと思っています。大学から始めた自分が日本代表になれたのはそういうラグビーの特性があったからこそではないかと思います。
大友 本当にとても励まされている感じです。何かできないことがあっても、自分ができることをやれば、これだけのことができるというメッセージを大野選手は常に出してくれていますね。ワールドカップの話ももっと聞きたいところもありますが、トップリーグの見どころもぜひ伺いたいと思います。
トップリーグも世界レベルの戦い
大野 今年は各チーム、ワールドカップが終わった後ということもあって、世界中のビッグネームが入ってくるので、後半戦になればなるほど彼らがチームにフィットしてきて脅威になると思います。選手としてはその辺も留意しながら闘っていかないといけない。
大友 今年入る外国人選手で特にこの人と当たってみたい選手とかいますか。
大野 NTTドコモ・レッドハリケーンズに入る南アフリカ代表のエベン・エツベス選手(204センチ、117キロ、ポジション・ロック)です。巨人が集まるチームで代表に選ばれて、それこそマットフィールド選手からいろいろ教え込まれていると思うので、その選手がトップリーグでどういうプレーをするのか、じかに見てみたいです。
大友 恐らく向こうも、相当やりたがっているでしょうね(笑)。
大野 頑張ります(笑)。
エディーHCの実像とは?
大友 今年はワールドカップイヤーということで、取材中、エディーさんは今まで以上に私たちメディアに対してはナーバスになっていたことは特に感じたところです。選手にとってはどうですか。エディーさんは去年と比べて変化はありましたか。
大野 少しナーバスすぎるのではないかという感じはありますけれども、もうずっとナーバスなので(笑)。
大友 病気してソフトに変わるかと思ったら、意外と変わらなかったですよね。
大野 全然変わらなかったです。
大友 ワーカホリックなままです。取材して感じるのは、選手に対しても、私たちメディアに対しても、自分で学ぼうとしない人は嫌いですよね。ですから逆にこちらも試されている感じはします。同じことを何度も聞いたりしたら、あなたには答える必要はないとなるので、やはりそこはこちらも緊張感を持ってやらないといけないところを多々感じます。もちろん選手はもっと大変だと思いますが。
ラグビーを支える、そして盛り上げる
大野 大友さんは2005年、ジャパンが南米に遠征に行ったとき日本からただ1人取材に来てくれましたよね。本当に日本ラグビーを盛り上げようと頑張ってくれている方だと思います。2012年に仙台でトップリーグ・オールスターチャリティマッチがあった年、仙台にあいさつ回りに行ったときもご一緒したのですが、一生懸命に復興に向けての活動をしようという気持ちが伝わってきました。
大友 ありがとうございます。私も大野さんにそう言っていただけるだけで嬉しいです。私も同じ東北出身(宮城県気仙沼市)で、中学時代は新聞配達をしていて野球部の補欠で、本当に大野さんの活躍がどれほど私の生きる力になっているか、その恩返しをしなければいけないのです。南米遠征のとき、大野さんは代表になって2年目くらいですね。その頃の大野さんをあちらで見たのもすごく幸せでした。そういえば、そのときは五郎丸選手の代表デビューでもありました。
五郎丸選手と大野さんは日本代表の二大男前として有名ですけれども(笑)、大野さんからみて五郎丸選手はこのワールドカップはどうでしたか。
大野 もともとすごい選手だったのですけれども、このワールドカップの期間中さらにプレーヤーとしても、人間としても伸びました。それこそ前回のJKジャパンのときは、彼はメンタルの弱さを指摘されて代表から外されていたのですが、今回のワールドカップは恐らく世界中のどの選手よりもメンタルが一番強い選手に成長したと思います。
大友 五郎丸選手と大野選手だけではなくて、いろいろな代表選手がテレビに出て、皆のいろいろなキャラクターが表に出るようになって、見ていてとても楽しいですね。
大野 形はどうあれ、日本中の皆さんにラグビー選手が露出するのはとてもいいことだし、これでラグビーを少しでも知ってくれて会場に足を運んでくれれば、万々歳です。自分もワールドカップに劣らないよう頑張りますので、ぜひ、トップリーグを応援していただけるよう皆さんにお願いしたいと思います。
『釜石の夢 被災地でワールドカップを』
被災地が夢を見ることは許されないのか? ラグビーの町・釜石は復興か、招致かで揺れる。伝説のV7戦士が、被災地では実現不可能と思われたW杯招致に向けて立ち上がった。市民と協力して不可能に挑戦する。東北出身のラガーマンたちの復興への尽力も描いた書下ろしノンフィクション。定価:本体650円(税別)
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