藤沢周平が描いた獄医・立花登に挑戦!

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今も人気の高い、藤沢周平の名作「獄医立花登手控え」。
昭和57(1982)年に中井貴一主演でドラマ化された
同シリーズが、このほどNHKで「BS時代劇」としてよみがえった。
若き主人公を演じる溝端淳平に、
藤沢作品の魅力と制作現場の舞台裏を訊いた。

NHK-BSプレミアムでドラマ化放映中!

溝端淳平
溝端淳平(みぞばた・じゅんぺい)

1989年6月14日生まれ。和歌山県出身。27歳。2006年、『JUNONスーパーボーイコンテスト』グランプリ受賞をきっかけに芸能界入り。主な出演作品に、ドラマ『生徒諸君!』『BOSS』『新参者』、映画『麒麟の翼~劇場版・新参者~』『高校デビュー』『君が踊る、夏』『珍遊記』など。2015年秋には、蜷川幸雄の舞台『ヴェローナの二紳士』に主演した。'08年からトーク番組『誰だって波瀾爆笑』で司会を務めている。

原作の持つさまざまな魅力に気づいた

──今回のドラマで、溝端さんは念願だった時代劇初主演を果たされました。それまで、溝端さんにとって時代劇とはどんな存在だったのでしょうか。

溝端 パッと思い描くのは、祖母との思い出ですね。祖母が時代劇ファンで、小さいときから一緒に観ていた記憶があります。子どもながらにラストがどうなるかっていうのはもう分かっちゃっているんですけど、それでも主人公が悪代官を成敗したりすると、毎回ふたりで大喜びしたものでした。
『水戸黄門』、『銭形平次』、『鬼平犯科帳』……。人気時代劇はひととおり観ていると思います。なかでも『暴れん坊将軍』は一番強く印象に残っています。僕の実家は和歌山県、紀州です。紀州人にとって主人公の(徳川)吉宗公は特別な存在。わが町のヒーローなんです。ほかのどのキャラクターよりも身近に感じるし、肩入れしたくなる存在でした。夕方になると毎日再放送がOAされていて、小学校から帰ると祖母と一緒に観るのが日課でした。本放送を含めると僕の〝暴れん坊〟時間は、そうとう長時間になるはずです(笑)。
 その祖母も4年前に他界してしまい、「立花登」となった僕を見せてあげられなかったことはすごく残念です。もし今も元気だったら、きっと喜んでくれたと思います。

──今回のドラマの原作に使用されているのは、藤沢周平の短編連作集「獄医立花登手控え」シリーズ全4巻のうちの1、2巻です。原作をお読みになって、どんな感想を持たれましたか。

溝端 表紙を見たらメインタイトルの『春秋の檻』(第1巻)がバンと書かれていて、サブタイトルの「獄医立花登手控え」が小さく並んでいて……。表紙を見るかぎり漢字ばっかりで、お堅い感じの小説なのかなって躊躇しました。でも、読んでみると文章はわかりやすくて、とっても面白い。一気に読めました。
 水戸黄門や暴れん坊将軍、遠山の金さんは、じつは身分の高い人がそれを隠して庶民を救うという勧善懲悪の話。それとはまるで違って、主人公の登は東北の小藩の次男坊で、江戸に出てきて叔父の家で肩身の狭い居候生活を送るちょっと情けない身分です。事件の謎は解明されるんだけど、それで一件落着というわけでは決してなくて、何か考えさせられたり切なくなったりするような余韻が残る、とても素敵な小説だと思いました。
 1話1話がミステリーであり、そのなかに世話物の人情話があって、しかも全体を通してみれば登の成長物語でもある。いろいろな要素が計算され尽くして組み立てられていますよね。とても感動しました。

「BS時代劇 立花登 青春手控え」(c)NHK

──主人公の立花登を演じるうえで、ヒントになるようなことはありましたか。

溝端 ヒントになったというよりも、正直なところ、ちょっと困ったなと思いました。主人公はある意味、見本のような好青年ですよね。何かコンプレックスを抱えていたりダークな部分があったりするとつかみやすいんですが、そうしたところがないんです。だからとりあえず、登の内面にアプローチすることはひとまず脇に置いておいて、居候先での登と、起倒流柔術の達人である登、この2つに注目しました。
 居候先の小牧家の人々は登にとって江戸の家族みたいなものですから、小牧家の場面では素の人間味が出やすい。でも叔母の「松江」やいとこの「ちえ」には下僕同様に扱われるんですけど(笑)。そうであるなら、この虐げられっぷりを徹底してやろうと思いました。
 僕の実家もかかあ天下で、姉貴が二人いましたから、その点は苦労しないで等身大でやれたかなと。(松江役の)宮崎美子さんも(ちえ役の)平祐奈さんも、もともと温かくて優しくてかわいらしい雰囲気をお持ちなので、深刻な意地悪にみえないんです。だから楽しめました。
 起倒流は柔術ですから素手で相手と闘います。敵は刀や匕首を持っているから圧倒的に不利な状況ですけど、それでも勝つ。そこに説得力を持たせるためには相当キレのある高度なアクションが必要です。柔術の達人という登の側面を演じるためには、これをしっかりやらなければならないと思いました。

──起倒流柔術の道場を取材されたそうですね。

溝端 継承されている先生は90代のご高齢で、70代のお弟子さんと2人で型を披露してくださいました。起倒流柔術は合戦場を想定した実戦的な格闘技ですから、鎧を身につけているというのが前提なんですね。だから襟や袖をつかまないんです。それでもヒョイヒョイと投げちゃう。まるでマジックです。そのうち2人してダダッと転がったりするんですけど、素人目にはどっちが投げて、どっちが投げられたのかも見分けがつかない(笑)。それで途方にくれていたら、先生が「起倒流柔術は戦場の柔術。何をやってもいいんですよ」ってアドバイスしてくださったんです。殺るか殺られるかの闘いですから、投げ技はもちろん、打撃OK、眼つぶし・金的もありなんだと。それを聞いて、型にこだわらずに自由な発想でアクションを考えることにしました。
 ただ、ちょっと自由すぎて失敗したこともありました。神社での撮影だったんですが、境内にある大木の幹に相手の腕を叩きつけて持っていた匕首を落とす、というシーン。その撮影プランを聞いて、「それなら刺し出された匕首を眉間ギリギリでかわして、ここ(幹)に突き立てさせて、その柄を手で払って飛ばすっていうのはどうですか」って提案したんです。そうしたら、今までノリノリで撮影していたスタッフが、急に静まり返っちゃって。リアクションがあまりになさすぎたんで、もとの撮影プランどおりに撮ったんですけど、帰りに殺陣師の方に聞いたんですよ、「僕、なんか変なこといいました?」って。そうしたら小声で「溝端君、だめだよ、世界遺産の京都の神社の木に穴開けちゃ」「あ、そっか」(笑)。

「溝端淳平」九割苦しくても一割の面白さがあれば、その一割を心から楽しめるようになった。
悩し葛藤する、珍しいタイプの主人公

──このNHK-BS時代劇は松竹太秦の時代劇制作チームが関わっています。京都での撮影も初めてだったんですよね。

溝端 そうです。松竹オープン(松竹撮影所)と東映京都撮影所、両方使って撮影したんですが、松竹作品を東映で撮るというのは、時代劇の歴史上初めてのことだったそうです。スタッフも松竹、東映の混成チーム。みなさん担当している自分の仕事にプライドを持っていて、職人気質なんだけどそれに固執はしない。録音部の人が風を起こすのを手伝ったりするんです。専門外のことでも、その場で最善と思われることを自然にやっている。その姿勢には感動しましたし、勉強になりました。
 さっきの大木に匕首を刺すアイデアの言い訳をさせてもらうと、東京ならスタジオを出て時代劇が撮れるロケ地までいくのに数時間はかかるんです。でも、京都は撮影所を出て10分もあれば、江戸時代の風情が色濃く残るロケーションがごろごろあるんです。だから東京ならロケバスでいったんクールダウンできるんだろうけど、あのときは撮影所のノリのまま現場に入っちゃったんだと思うんですよね。もうあんな提案はしません、安心してください(笑)。

──「初めは登の内面へのアプローチは脇へ置いた」というお話でしたが、登の人物像は演じながら創り上げていったということでしょうか。

溝端 そうですね。その意味では、第3話「女牢」が大きな転換点になったと思います。全編通じてそうなのですが、登は自分で事を起こして周囲をかき回すということがないですよね。何かしら事件が起きて、それを受けて行動する。いつも受け身で、そこが登のつかみどころのなさの理由のひとつでもあるんですが、この第3話では、登自身に起こる〝事件〟が描かれていて、しかも内容が凄絶。原作でも僕がもっとも好きな1話です。
 登が好感を抱いていた、もしかしたら恋をしていたかもしれない年上の女性が女囚になって牢に入れられる。処刑前夜、登は請われてその女囚を抱く。明日死んじゃう人を抱くんですよね、しかも牢屋のなかで。その後、登は、女囚を死に追いやった金貸しを復讐のために呼び出して、さんざんに殴りつける。たとえば女囚を抱くことを決断したとき、翌日女囚が刑場に向かう後ろ姿を見送ったとき、金貸しをぶちのめしたとき、登は一体何を考えていたんだろう。殺そうと思えば殺せたのに、登は倒した金貸しの頭の横の地面を、拳が血まみれになるまで殴り続け、命を奪うことまではしなかった。そして登が土砂降りの雨に打たれるままにたたずむシーンで第3話は終わります。
 主人公がこんなふうに葛藤したまま終わる時代劇なんてないですよね。まるでシェイクスピアのハムレットみたいに、主人公が苦しんで、結局答えを見出せない。何かで心の中をえぐられる感じがあって、それを感じたときに登に少し近づけたような気がしました。

「BS時代劇 立花登 青春手控え」(c)NHK
蜷川幸雄さんに全否定されて

──そんな登を、多彩な共演陣が支えています。

溝端 共演者のみなさんには、本当に助けられていると思います。たとえば小牧玄庵役、古谷一行さん。「身体、大丈夫か?」とか、いつも気さくに笑顔で声をかけてくださって、役者としてはもちろん人としても尊敬してやまない大先輩です。演者はいうまでもないんですが、スタッフからのリスペクトもすごい。というのも、ベテランスタッフのなかには、初めての仕事が一行さんの「金田一耕助」シリーズだった人も多くて、一行さんがいるだけで現場が締まるというか、熱がすこし上がるんです。
 あと、小牧家のなかで登の唯一の味方、鷲尾真知子さん演じるおきよさん。鷲尾さんも、本当に素晴らしい役者さんです。作品全体のことを考えながら、絶妙なセンテンスを放りこんでくるんですよね。ほかにもマキタスポーツさん、正名僕蔵さん、波岡一喜さん、石黒賢さん……。いずれも個性的で実力派の役者さんたちばかりで、そういう人たちがそれぞれの役をくっきりと色づけしてくださっているから、ともすれば無色透明な感じがする登を、浮き出させてくれているような気もします。

──鴨井道場の同輩、新谷弥助役の高畑裕太さんも好演されていますね。彼は高畑淳子さんの息子さんですよね。

溝端 あ、裕太、忘れてた(笑)。面白いなんてもんじゃないですよ、彼は。笑い話っていうと、必ず絡んでくるんですから。あるとき、2人のシーンがあったんですけど、裕太が急にフリーズしたんです。セリフが飛んじゃったのかと思って「どうしたんだ?」って聞いたら「空を作ってみました」「なんだそのクウって。編集しづらいから普通にやれっ!」(笑)。裕太に晩飯に誘われて、いざ行こうとすると「どうしようかな」って迷ってる。いや、お前が誘ったんだろっていうと「オーディションの資料を読まなくちゃいけないんです」。それは大切なことだからやめとくか、っていうと「行きます」。翌日、ちゃんと資料読めた? って聞くと「寝ちゃいました」。オーディションに間にあうの? 「オーディション2週間後ですから」。それじゃ、そもそも迷う必要ないじゃないかって。いやもう、カメラが回っていないところでも、常に面白いんですよ(一同爆笑)。

──現場の楽しい雰囲気が伝わってきます。溝端さんはデビュー10年目を迎えられました。節目の年を迎え、どんな心境でいらっしゃいますか。

溝端 これまで経験して蓄積した成果をアウトプットするというより、最近はさらに新しいことを経験したいという欲求が高まっています。たとえば、これまでは新しいことに直面して、その9割が辛かったり苦しかったりすると早く折り合いをつけて終わらせようとしたり、逃げ出したりしていたんです。それが、今は1割の面白さがあれば、その1割を心から楽しむことができる。9割の苦しさも耐えられるようになってきたような気がします。だから、初めての時代劇も、難しかったけれど楽しめたんだと思います。

──心境の変化には何か理由があったんですか。

溝端 昨年、蜷川幸雄(演出家・2016年5月没)さんの舞台『ヴェローナの二紳士』で主演させていただいたのが大きかったと思います。「やめろ」「死ね」「へたくそ」って全否定されて、肉体的にも限界を感じるほどボロボロになって、芝居をするってこんなに苦しいんだって痛感しました。苦しい体験をしたから、たいていのことが楽になった、ということではないんです。物を創るってことはいつも新しい挑戦であって、それは辛くて苦しいんだけど、同時に楽しいということに気づかせてもらったような気がするんです。その意味で、蜷川先生の教えは、僕の心の中で今なお生きているし、いつまでも生き続けるのだろうと思います。

──今回のBS時代劇『立花登 青春手控え』は全八話で終了ですが、続編を望む藤沢周平ファンも多いでしょうね。

溝端 そう言っていただけてうれしいです。和服を着ての動作や柔術の立ち回り、京都での撮影など、今回は新しいことをたくさん経験できました。今後も新しいことに挑戦して、芝居の幅を広げていけたらと思います。『立花登 青春手控え』の放映は、これから後半に入ります。どうぞお楽しみください。

5月28日、東京・渋谷 道玄坂フォトスタジオにて
IN★POCKET 6月号より

BS時代劇 立花登 青春手控え 
公式サイトはこちら

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