Q1:あなたのデビュー作である『検屍官』、これを書いたときはどこに住んでいらっしゃいましたか? また出版までにどれくらい時間がかかったのでしょう。
『検屍官』を書きはじめたときは、まだバージニア州リッチモンドの検屍局で働いていました。たぶん、1987年の後半ごろだと思いますが──当時はフルタイムの検屍局職員でしたが、そこに就職した唯一の目的は、犯罪小説を書くための調査にありました。『検屍官』は4度目の挑戦でした。そのころにはもうフルタイムの職員になってから4年が経っていて、ここに勤めたせいで人生を台無しにしてしまったと思っていました。というのも、まあ要するに、私がなりたかったのは作家であって、モルグ(死体置き場)のコンピュータ専門家になりたいわけではなかったんですから。でも、そこにいたおかげで、研究室や検屍局の施設のこまごまとしたことを、日常生活の一部としてたっぷり吸収することになりました。
『検屍官』が生まれるきっかけになったのは、リッチモンド近辺で起きたあの恐ろしい殺人事件です。連続殺人犯が街をうろついているのは明らかでした。女性たちが自分の家で性的暴行を受け、窒息死させられたことで、街やその近郊はこれ以上ないほどの恐怖に陥りました。犯人がなぜその女性たちを狙ったのか、だれにもわかりませんでした。彼女たちはまずいときにまずい場所にいる類の人ではなかったし、後ろ暗い生活を送っていたわけでもない。知的にレベルの高い職に就き、安全な地域で暮らす人たちでした。それは本当に恐ろしいことでした。そのとき頭に浮かんだのは、この事件がスカーペッタの働いている場所で起きたなら、彼女の身にどんなことがふりかかって、彼女はどんなふうに対処するだろうか? ということです。それが『検屍官』を書く原動力になりました。
それから当時は、米国社会でDNAという言葉を耳にするようになり、犯罪捜査の分野でレーザーなど科学捜査の手法が使われはじめたばかりのころでもありました。そうした事情のおかげで、それまでだれも見たことのなかったものを表現し、犯罪の醜さを残らず暴き出す小説を書くことができたのです。私が書きたかったのは、検屍局で日々目にしていた残虐さを称えるような殺人ミステリーではありません。私の望みは、読者に実態を伝えることでした。楽しませることができれば、なおいいですが。同時に、そうした凶悪な行為を非難してもらい、どうすれば現代社会でそうした問題を解決できるかを知ってもらいたいとも思っていました。
Q2:作品の成功を認識したのはいつごろでしたか?
最初のうちは、自分の作品が成功しそうだとは気づいていませんでした。なにしろ、『検屍官』は初版がわずか六千部で、みんながその存在に気づきはじめたときには、もうどこでも手に入らない状況になっていたんですから。たぶん1991年のはじめごろだったと思いますが──『検屍官』が出たのが1990年でしたから──とつぜん、次々と賞を獲りはじめたんです。文字どおり、五つの主要ミステリー新人賞をすべて受賞しました。それは史上初めてのことで、その後も五つの賞を獲得した本はないはずです。本当に驚きました。そのころにはもうシリーズ二作目を書き上げていて、いろいろとうまくいきそうだという手ごたえがありました。
でも、この椅子に座っているいまでもそうですが、あれほどの成功を収めるなんて、まったく想像もできませんでした。いまでも、どこか現実のことではないような気がしています。
Q3:『検屍官』は当時のDNA鑑定の最先端技術を紹介していますね。はじめにどういうところからリサーチをしたのでしょう。また、出版当時周囲に与えた影響はどのようなものでしたか?
検屍局の上層階は、科学捜査の研究室で埋まっていました。ですから、科学捜査でおこなわれているすべてを目にしました。あらゆるものが集まっているんです。遺体は下のほうから出発して、証拠が最上階へのぼっていきます。そのすべてを目にすることになりました。
検屍局にDNA鑑定が導入されたのは、法廷でそれが証拠として認められるようになる以前のことです。当時起きていた例の連続殺人事件でもDNA鑑定が使われたんですが、それが『検屍官』で描いた事件のもとになりました。すべての被害者でスワブ(綿棒)採取により犯人のDNAの有無が調べられました。最終的には、犯人が逮捕され、裁判ではDNAの証拠をもとに死刑が宣告されました。DNA鑑定によって連続殺人犯が裁判にかけられ、有罪判決を受けたのは、米国ではそれがはじめてだと思います。
Q4:ケイに姪のルーシーがいるというアイディアはどこから生まれたのでしょう?
ルーシーというキャラクターがどこから生まれたのかはわかりません。ルーシーはいかにも彼女らしく、あらゆる空間に気ままに入り込んでくる。私はただ、『検屍官』を書きはじめたときに、スカーペッタの人生のなかにだれかがいるような気がしただけです。彼女のなかにある、読者に知ってもらうべき特性を引っぱり出すだけでなく、彼女をいらいらさせ、邪魔をするだれかが。それで、考えたんです。スカーペッタみたいな女性は、いったいどんなふうに子どもを扱うのかしら? って。ひどく不毛な世界に身を置く彼女には、なにか生気のあるもの、帰る場所となるなにかが必要でした。この十歳の少女が毎日玄関のそばで待っていたら、この子をどんなふうに扱う? 日々目にしていることや、自分があまりご機嫌とはいえない理由を、この子にどんなふうに説明する? また恐ろしい事件が起きて、朝早く呼び出されたらどうする? ルーシーの身の安全を案じるスカーペッタ。スカーペッタのコンピュータに侵入したがり、彼女の銃に興味を示すルーシー。そんなふうに、あらゆる可能性の扉が自然に開いていきました。でも、ルーシーはだれかをモデルにしたわけではありません。気づいたらそこにいたんです。
Q5:残念ながら検屍局でスカーペッタと部長刑事であるマリーノとの関係はよくありませんよね。コーンウェルさんご自身の検屍局職員としての経験はそこに反映されているのでしょうか?
いまの人たちにはとても想像できないと思いますが、ほんの20年まえでさえ、犯罪捜査の世界はほぼ完全に男性優位の世界でした。警察の車に同乗すると、相手はいつも男性警官でした。特に、私が犯罪担当の記者として働きはじめた70年代には、警官はみんな男性で、その分野の関係者もすべて男性でした。ですから、女性の犯罪記者というのは、少しばかり気まずい思いをすることもありました。男性のなかには、膝に座ってくれなければなにも話さない、なんて言う人もいましたから。そういう人たちは、相手を困らせたいんです。どっちにしろ、記者というものが好きではないんですね。
でも、私には兄弟がいて、男の子だらけの町で育ち、高校時代と大学一年生のときには男子のテニスチームでプレイしていたので、実際のところは特に気にしていませんでしたね。ただフライドチキンを持って行って、あなたの膝に座るつもりはない、でも食べるものをあげるから車に同乗させてほしい、ちょっとそこまで行って進行状況を見てみましょうよ、なんてことを言っていただけ。ノースカロライナの小さな町で友だちづきあいをしてきた男の子たちと同じように扱っただけです。ですから、まったく問題はありませんでした。でも、状況は劇的に変わりました。いまでは、検屍官は男性よりも女性のほうが多いくらいです。私が検屍局で働きはじめたころは、女性の検屍官はほんの一握りしかいませんでした。
Q1:『検屍官』が刊行されたあと、二作目の『証拠死体』はいつ書かれたのでしょう?
『検屍官』を書き終えたのは、1988年の初夏だったと思いますが──なんてこと、ものすごくおばあさんになったような気がするわ──ともかく、『検屍官』を書き上げてすぐ、あちこちを回っているあいだに──文字どおり出版社をいろいろ回りましたよ、その年の年末までずっと、ことごとく断られていましたから──次の作品にとりかかりました。もちろん、まだ検屍局で働いていました。次の作品を書きはじめたのは、それ以外のことは思いつかなかったからです。自分のなかでわかっているのはそれだけでした。最初の三作が駄目になって、今度の作品も断られていて、「過ちから学んでないの?」と訊きたくなる状況だったんですが、私の答えはこうでした──「いいえ、もう一度試してみる」。
そのとき、こんなイメージが浮かんだんです。スカーペッタが冷蔵室のドアを開けて、中に入ってシーツの下の被害者を見る。徹底的にむごたらしく殺された被害者。若い女性で、何度も刺されていて、攻撃をかわそうとしてできた無数の防御創がある。そして、この被害者は明らかにだれかに付きまとわれていた。私の心を捉えたのは、だれか見知らぬ人がこの被害者に夢中になって、ついには残虐行為に及ぶというアイディアでした。そこから浮かび上がる大きな疑問は、なぜ被害者は犯人を家に入れたのか、ということです。どうしてそんなことが起きたのか? 怯えながら暮らしていた人、だれかに付け狙われているという恐怖を抱いていた人に、犯人は近づくことができた。それが解き明かすべき大きな謎となり、スカーペッタは答えを得るために、はるばるフロリダ州キイ・ウェストへと導かれます。『検屍官』が刊行されるころには、すでに『証拠死体』を書き上げていたか、でなければほとんどストーリーはでき上がっていました。たいへんありがたいことに、出版社が二作目も出すと決めてくれました。その時点で、この作品がシリーズになるかもしれないと意識しました。
Q2 本作のメインの舞台はキイ・ウェストです。なぜこの場所を選んだのでしょうか?
キイ・ウェストを舞台に選んだのは、一時期そこにいたことがあるからです。私はマイアミ生まれで、父はマイアミに住んでいました。そこに滞在しているあいだ、車でキイ・ウェストを訪れましたが、すっかり魅了されました。まさに魔法にかかったような場所ですね。私はヘミングウェイの家が大好きでした。海と鮮やかな色彩が大好きでした。それに〈ルイズ・バックヤード〉も。小さなドッグビーチの隣にある、海に面したレストランです。
それで、スカーペッタがキイ・ウェストへ行かなければならなくなる筋書きを考えたんです。たぶん、その理由のひとつは、作家としていろいろなものを描写したかったからでしょう。物語の舞台と冒険に関心があるんです。おかげで、スカーペッタをリッチモンドではない場所へ連れていくことができました。そこはリッチモンドとは遠く離れていながら、じつは彼女の裏庭で起きていることと結びついていたんです。
Q3 スカーペッタを離婚経験者という設定にした理由は何でしょうか?
スカーペッタを離婚経験者にしようと決めた理由はよくわかりません。たぶん、自分がそうだから──当時、自分が離婚間近だったからかもしれません。専門的な職業に就いている人でも、その多くは、どれほど仕事で成功したとしても、人間関係に失敗したらやはり影響を受けるのではないでしょうか。本当に大切なことに失敗してしまったと感じるはずです。私はスカーペッタの細部を膨らませたかったんです。つまり、彼女はだれかのパートナーとなるのに失敗したと感じています。それがどちらのせいであれ、失敗は失敗です。あるいは、どちらも悪かったのかもしれません。彼女はおばとしても、ルーシーの母親がわりとしても失敗していると感じています。要するに、いつも事件に決着をつけ、いつも土壇場で勝利をおさめ、ときには自分の命さえ危険にさらされながらも守るこの女性でも、それ以外の方面ではまちがいを犯すということが、大きな意味をもっているのです。彼女は自分でもそれを自覚していて、痛みを感じています。それが物語に影を生み出すのです。たぶん、それが狙いだったんだと思います。
Q1:『検屍官』『証拠死体』が大きな成功を収め、1991年の段階で高額な印税を受け取ったかと思います。あなたはどこでどうやって三作目の『遺留品』を書いたのでしょうか。それは前作より簡単でしたか、難しいことでしたか。
『遺留品』を書いているときは、まだ検屍局で働いていましたが、初めて買った家へ引っ越す準備をしている最中でもありました。ようやく家を買う余裕ができたんです。ですから、『遺留品』はリッチモンドで書きました。
この本の着想を得たのも、バージニアで起きたじつに恐ろしい連続殺人事件からでした。カップルを狙った事件で、犯人がどうやって大人二人を掌握したのかという点に興味を引かれました。何組ものカップル──恋愛関係にあるカップルが、車のなかから忽然と消えてしまったかのような事件でした。道端に停められた車が見つかっても、乗っていた人たちは影もかたちもありません。あとになって、白骨化した遺体が森のなかで見つかりました。この作品のタイトルは、そこからとりました。『遺留品』とは、被害者の骨を指しています。
もうひとつ興味を引かれたのは、ほんのわずかなものしか遺されていないときに、スカーペッタならどう対応するのかということです。骨しか遺されていない白骨化遺体では、証拠の多くが消えてしまいます。軟組織に加えられた損傷があっても、わからなくなってしまいますから。それで、私が現実に見たのと同じような状況が小説のなかで起きたら、スカーペッタがその恐ろしい難事件をどう解決するのか、見てみたいと思ったんです。それが『遺留品』の生まれたきっかけです。
ちなみに、じつに興味深いのは、その現実のほうのカップル殺人事件がいまだに解決されていないことです。犯人はわかっていません。たしか、バージニアで4組か5組のカップルが姿を消し、同じような方法で殺されたはずです。一件ではナイフか他の刃物が使われたことがわかっています。指の骨に、切られた痕が見つかったからです。たぶん、その被害者の女性はナイフを避けようとしたのでしょう。現実の殺人事件については、残されている手がかりは、ほぼそれだけです。数年後に、オーストラリアでも似たような事件が起きていたと思います。
私の推理を言わせてもらえば、だれがやったにせよ、犯人はバージニアを離れていると思いますね。居場所を転々とするような職に就いているのかも──ひょっとしたら軍人という可能性もあります。もしかしたら、犯人は警官かなにかを装って、被害者に車を停めさせたのかもしれません。そこからインスピレーションを得て、小説のなかで同じような事件を解決してみようと思ったんです。
Q2:なぜケイの自宅をリッチモンドに設定したのでしょうか。
リッチモンドがすばらしいのは、けっして過去を捨て去っていないところです。あの街の過去は、街の中心を流れるジェームズ川──あの岩だらけで、頑として船を通そうとしない──と同じくらい、現在にも存在しています。そこでは、いまでも南北戦争が感じられます。私が信じられないほど魅惑的だと思うのは、バイオテクノロジー・リサーチパークがあり、ほかのどこにも見られないような最先端のテクノロジーが研究されていて、当時は──おそらくいまでも──米国でもっとも進んだ医療システムがあって、最先端のありとあらゆるものを目にする場所(私がたまたまそこに住んでいたのは、幸運なことでした)でありながら、そのすべてが、けっして終わらないなにかの懐に抱かれているということです。そのなにかとは、19世紀後半や中盤の出来事がつくった大きなひどい傷跡です。それがいまでも街に蒼白い影を落としていて、ある意味ではそれが街をかたちづくっているのです。特に、私がそこで働いていたころはそうでした。
私がリッチモンドに来たのは1981年ですが、変わっていないことがたくさんありました。たとえば、街では出身地によって人種差別が残っていました。そうした過去の影が作品の細部にコントラスト、生彩を与えました。なによりも、それはスカーペッタをよそ者のような気分にさせます。リッチモンドでまちがいなく訊かれるのは──たぶんいまでもそうでしょうが──「それで、あなたのご親戚はどなた? どの一族?」という質問です。こう訊けば、相手がリッチモンドの出身かどうか、すぐにわかるからです。スカーペッタはマイアミ出身ですが、リッチモンドでは、外国と同じくらい遠い場所と見なされてしまうんです。
Q3:姪のルーシーは高校生になってコンピュータに興味を持つようになります。どうしてそうさせたのでしょう?
登場人物になにかを習わせたり、経験させたりするときには、自分の知っていることを選びます。離婚もコンピュータもそうですね。私は検屍局でコンピュータシステムを担当していましたし、プログラミングもしていました。それで、ルーシーが小さなコンピュータマニアだったらすごくおもしろいだろうな、と思ったんです。少なくとも自分が多少は知っていることを、彼女にもさせたわけです。皮肉なことに、最近では、登場人物たちになにかをさせるには、まず自分がそれを学ばなくてはいけないようになっています。つまり、私が彼らをかたちづくると同時に、彼らも私をかたちづくっているわけです。いまではずっとその繰り返しです。ともかく、私はこんなふうに考えたんです。スカーペッタのそばに、彼女よりもコンピュータに詳しい神童がいれば、それは頼みの綱になるだけでなく──もちろん、その点はどの作品でもまったくそのとおりなのですが──トラブルの原因にもなるにちがいない、と。ちょっとした知識は危険なものにもなります。テクノロジーの魔法を指先で操るルーシーは、まさに手に負えない存在になりうるんです。
Q1:この作品は一九九三年に書かれた四作目ですが、それまでの三作と比べて、あなたをとりまく状況はどう変わりましたか? たとえば、この作品をどこでどのように書きましたか?
一九九三年には、わたしの人生は良い意味でも悪い意味でもこれ以上ないほどに変わってしまいました。まるで別の惑星に移住したようなものでした。それは圧倒的でエキサイティングな、でもトラウマになるような変化でした。
それがはじまったのは実際には一九九二年の秋で、わたしがハリウッドに関わっていた時期です。当時は、デミ・ムーア主演でスカーペッタを映画化する話が進んでいたんです。とつぜん、デミ・ムーアやブルース・ウィリス、ウディ・ハレルソン、ロバート・レッドフォードといった人たちのなかに放りこまれ、撮影を見学したり、そのほかいろいろなことをしたりして、多くの時間を西海岸で過ごすようになりました。そのあいだもまだリッチモンドに住んでいて、検屍局に片足をつっこんだままでした。九二年の終わりか九三年のはじめまでは完全に辞めたわけではなく、相談役のようなものとして、コンピュータ関連の仕事を引き継ぐ人の研修に手を貸していたんです。でも、そのころには作品はすでにベストセラーリストの一位にのぼりつめ、わたしはとても有名になっていました。それは本当に驚きでした。
でも、いま思い返してみると、正直に言って楽しいことばかりではなく、とても厄介な状況でもありました。というのも、いろいろな人が押し寄せて、「このアンティーク品を買うべきです、あなたの家をリフォームさせてください、この車を買うべきです」なんてことを言ってきたからです。とても孤独な体験でした。あまりにもたくさんの人が近づいてきて、どこを向いたらいいのか、とつぜんわからなくなるのですから。事務所をつくろうと思ったのはそのころです。そうした諸々に対応する人を置く必要があると悟ったんです。『真犯人』を書きはじめたころは、まさに激動の時期でした。そのころには、デミ・ムーアとの話し合いがはじまっていました。というのも、この作品は映画化される予定で、わたしは脚本も書いていたからです。検屍局のいやなにおいのするエレベータの隣にあった、なんの景色も見えないオフィスにいたころから比べると、本当に大きな変化でした。
Q2:『真犯人』には、スカーペッタがもっとも長い期間にわたって対決する宿敵、テンプル・ゴールトが登場します。テンプルのことはどこから思いついたのですか? その後の数作にわたってスカーペッタの敵になるとすぐにわかりましたか?
それはわかりませんでしたね。それと……テンプル・ゴールトがどこから生まれたのか、わたしにはわかりません。どこから来たのかお話しできたらいいのですが、登場人物たちはただ頭のなかに入りこんできたんです。いまでも彼の姿が目に浮かびます。ファンの方々には、「ゴールトは本当に死んだの?」と訊かれます。みなさん、本心ではそうであってほしくないと思っているからです。わたしとしては、彼は本当に死んだと思います。けれど、もし考えが変わったら、みなさんにもそうわかる形で書くでしょう。
『真犯人』の冒頭部で注目されているのは、死刑囚監房にいた囚人です。この作品は彼の死刑執行で幕を開けます。たぶん多くの方は、わたしがそもそもどこからそのアイディアを得たのかわからないかもしれませんね。リッチモンドにはスプリング・ストリートと呼ばれる、取り壊しの決まったとても古い刑務所がありました。わたしは取り壊しまえに刑務所内を見学しました。囚人たちの手でつくられた、古い木製の電気椅子も見ました。それで、死刑囚監房や古い刑務所などにすっかり心を奪われました。実際にこの目で見たことで、死を待つ囚人というイメージで物語をはじめたくなったんです。
死刑囚の死にかたは、心地のいいものではありません。電気椅子は本当に残酷だと思います。検屍局で働いていた最後のころに、実際にその種の検屍を目にしたことがあります。真夜中ごろに、電気椅子で電気を流されたばかりの囚人が検屍されるのを見たんです。忘れられないのは遺体の温度です。彼は死んですぐ送られてきた人のように冷たくなってはいませんでした。高熱を出しているようでした。電流でひどく加熱されていたからです。それに、彼は鼻血を流した状態で送られてきました。そのすべてに、大きな恐怖を感じました。ほんとうに奇妙で、不気味で、おぞましく、残酷でした。だから、そういうもので物語をはじめたくなったんです。でも、死んだはずのその男がまた登場します。事件が起きはじめ、彼の指紋が発見されます。なぜそんなことが起こりうるのか? もちろん、それには理由があります。
『真犯人』でも、それまでと同じように、新たなものを取り入れています。この作品では、自動指紋識別システムというテクノロジーを扱いました。指紋のデータベースはデジタル化されていて、もはや単なるテンプリント・カードではなくなっています。わたしの狙いは、新進の最先端技術を扱うと同時に、技術そのものがみずからに牙をむくように仕向けることにありました。よい目的で使われるものには、どんなものでも、ごまかしたり、鼻をへし折ったりする方法があります。それこそが、すべての作品でスカーペッタが解決しなければならないことなんです。わたしが描こうとしているのは、それがどうやってなされたのか、ということだけではありません。どうやって解決されるのか、という点も描きたいと思っています。
Q3:『真犯人』では、スカーペッタのそばにもはやマーク・ジェームズがいません。そうしようと決めたのはなぜですか?
よく、どうしてそんな決断をしたのかと訊かれることがありますが、作品を書くときには、自分が決断をするという感覚ではないんです。わたしが「必然」と呼ぶもの──あまり起きてほしくないことの婉曲表現です──をマーク・ジェームズが体験せざるをえなくなったときも、ただ自然に起きたような感じでした。もしかしたら、心のどこかで、スカーペッタのもつ感情の幅を探ってみようとしたのかもしれません。彼女のパレットにはどれくらいの色があるのか、別の人が現れる余地はあるのか、なんてことを。
それは同じキャラクターを繰り返し描こうとするときに生じる問題のひとつでもあります。この問題には、シリーズのごく初期から直面していました。この女性は何者か? 彼女はこれにどんなふうに反応する? このだれかは、彼女が永遠に人生をともにするべき人? それとも、なにか悪いことが起きようとしている? みなさんが読んだ、あるいはこれから読もうとしている二十作目に至っても、それは変わりません。わたしはつねに、彼女になにか違うことを経験させようとしています──もしかしたら、彼女みずからがなにか違うことに身を置こうとしているのかもしれませんが。それは、このキャラクターをできるだけ柔軟に、できるだけ生き生きと、できるだけリアルに保つためなんです。
Q4:スカーペッタが『真犯人』で煙草をやめたのはどうしてですか?
スカーペッタが『真犯人』で禁煙するはめになったのは、わたしが禁煙したからです。わたしのオフィスで彼女が煙草を吸うのを許すつもりはありませんでした。つまり、こういうことです──「いい、あなた。わたしがここで苦しむなら、あなたも道連れよ。わたしが吸わないんだから、あなたも吸わないで」。『真犯人』は煙草を吸わずに書いたはじめての作品です。この作品のタイトル(原題)が『クルーエル・アンド・アンユージュアル(残酷で異常)』となったのは、そのせいかもしれませんね。わたしは禁煙をそんなふうに感じていたんですから。
Q1:この作品には、あなたが使った舞台のなかでも特に有名な死体農場(ボディ・ファーム)が登場します。この場所を知ったきっかけや、そこでしたリサーチについて教えてください。
死体農場(ボディ・ファーム)のことは、調査目的で検屍局に就職したばかりのころから耳にしていました。というのも、わたしはよく検屍官のミーティングに出席していたのですが、朝食どきのプレゼンテーションでは、例外なくボディ・ファームの話題が出たからです。言うまでもなく、食事中に聞きたい話ではありません。特にお皿に粗挽きトウモロコシ(グリッツ)のお粥が載っていたら、おしまいですね! とにかく、それはいつも朝食どきでした。あるとき、そのプレゼンテーションのときに、関係者のひとりにこう言いました。「いつか行ってみたいわ。あなたたちのしていることに、すごく興味があるんです」。それは腐敗を研究する施設でしたから。
最初にボディ・ファームへ行ったときのことは覚えていません。もしかしたら、この作品のためにリサーチをするよりもまえだったのかもしれません。ともかく、この作品ではある遺体を登場させようと考えていました。その被害者の身に起きたことをスカーペッタが解明する唯一の方法は、まさにそのボディ・ファームで実験をすることでした。被害者の遺体についた、奇妙な痕跡の由来を説明できそうなシナリオを再現するためです。湖岸に捨てられていた少女の臀部で見つかった痕跡ですね。性的暴行目的の誘拐のように見える事件ですが、じつはそうではないことがわかります。スカーペッタはボディ・ファームで実験をします。もちろんわたしも同じことをしました。ボディ・ファームへ行って、こんなことを言ったんです。「あの、遺体を一定の時間しまっておける構造をつくって、遺体の下にある物体を置いたらどうなるのか、皮膚に痕は残るのか、それはどんなふうに見えるのかを知りたいんです。必要な資材のお金を払えば、それをやってみてくれますか?」ボディ・ファームはやってみてくれました。ついでに言えば、彼らのほうも、その実験からなにかを学びました。冒涜とか不当な扱いとか、不適切な行為はありませんでした。それは科学研究で、わたしに作品を書くための情報を与えてくれただけでなく、こうなるのではないかとわたしが考えていたことを証明してもくれました。それがスカーペッタにとって、きわめて重要な証拠になるわけです。その証拠は事件を解決するだけでなく、彼女の命をあやうく奪いかけるのですが。
Q2:スカーペッタと妹のドロシーの関係には、多くの読者が関心をもっています。彼女たちの子ども時代の関係はどんなふうだったと思いますか? また、ふたりはなぜこれほど似ていないのでしょうか?
ずっと昔、相手のオーラを読んでその内面を探る人から、ある表現を聞いたことがあります。彼女は「家族のヒーロー」という個性について話していました。その個性にあてはまるだれかがいるとしたら、子ども時代のスカーペッタでしょう。
彼女は家族のヒーローでした。スカーペッタはマイアミの貧困地区で育ちました。父親は小さな食料品店を経営し、実質的には母親が家族をまとめていました。子どもはふたり、スカーペッタと妹のドロシーだけでした。スカーペッタはごく幼いころから、白血病で長患いし、衰弱していく父の世話をしていました。それだけでなく彼女は家族をひとつにまとめようと努めていました。ドロシーは典型的な人格障害です。ナルシストで、スカーペッタを理解できたためしがありません。スカーペッタは子どものころから責任感があり、いまの彼女とあらゆる面で同じでした。彼女はいつも状況を良いほうへ動かしますが、小さな子どもがそんなことをしなければならないと考えると、なんだか悲しくなります。
彼女のハート心を撮影して、感情をのぞいてみたら、きっと子ども時代の大きな空白が生んだ暗闇、傷痕が見えることでしょう。彼女には子ども時代はほとんどありませんでした。親の役割をせざるをえなかったからです。
それから、わたしとしては彼女に妹がいてほしかったんです。まったく似ていない妹が。スカーペッタが「子どもを持つ」という点で、それはとても重要な意味をもっていました。もっとも、本当の子どもではありません。ルーシーは彼女の事実上の子どもです。ドロシーはひどい母親で、彼女が妹であるがために、スカーペッタはこの見捨てられた子の親がわりを努めることを余儀なくされます。そんなふうに組み立てていくのは、とても楽しいことです。登場人物たちが生き生きと動けるようにするために──それはとても重要なことですが──ひとつの世界を創り出すわけですから。なんとなく、ローマの全景を描いた絵画を思い出します。そこで起きていることをすべて描いた絵画です。最初にその絵画のようなものを創って、それをどんどん詳細にして、どんどん広げていくわけです。物語だけではなく、世界を創っているんです。
Q3:スカーペッタがベントンに出会っていなければ、マリーノと結ばれる可能性はあったと思いますか?
みなさんには申し訳ないのですが、スカーペッタがマリーノと結ばれる可能性はまったくありません。ふたりがお互いに必要としているのは、まさにいまのままの相手です。マリーノはスカーペッタに惹かれていますが、それは彼自身が思っているような感情ではありません。彼がスカーペッタに惹かれているのは、彼女が自分と同じような気もちをもっていて、彼女がいると自分がましな人間だという気になれるからです。でも、それはだれかと結ばれる理由にはなりません。スカーペッタはそれを理解しています。たとえ、マリーノが彼女にとって世界で一番セクシーな人だったとしても──彼女がいつもどう思っているのか、わたしにはわかりません。そんなふうに感じる瞬間はあったかもしれません──このふたりは良い組み合わせではありません。
じつのところ、彼女はエキゾティックなルナ・モス美しい蛾なんです。マリーノはそれを捕まえたいと願っています。それが自分のために魔法のようなものを生み出し、まったく新しい人生を再構築してくれると感じているからです。でも、彼は結局、彼女の翅から魔力を削ぎ落とし、彼女を破壊してしまい、もはや彼女を好きでなくなる、そんな結末を迎えることになるでしょう。マリーノにはそれがわかりませんが、スカーペットにはわかっています。だから、けっしてそんなことは起こさせないでしょう。スカーペッタがマリーノを見下しているというのではありません。ただ、彼女のほうがよくわかっているんです。じつは、わたしがいまとりかかっている二十一作目のスカーペッタ・シリーズでは、その点を少し掘り下げています。ふたりの関係や、彼女がシリーズ初期のリッチモンド時代に下した決断の理由について、もう少しみなさんに知ってもらおうと思っています。
Q1:『私刑』の舞台はニューヨークです。そこを舞台に選んだのはなぜですか?
ニューヨークに興味を引かれたのは、友人のドクター・フィエーロが検屍局へ行ったとき、一緒に何度かそこを訪れたことがあるからです。それに、わたしはいつも新しいステージを探していました。『私刑』では、スカーペッタをニューヨークへ行かせる理由を見つけました。セントラルパークで見つかった遺体をめぐる事件に関わらせ、ニューヨークの検屍局で検屍を手伝わせました。そんな展開になった理由のひとつは、わたしが自分の可能性を広げたくてうずうずしていたからだと思います。
わたしはまだ、書くべき本をたくさん抱えていて、その舞台はリッチモンドにするつもりでした。でも、スカーペッタには、この一都市よりも大きな舞台を与えたいと思っていました。リッチモンドで、あの手の犯罪を永遠に起こし続けることはできません。ですから、『私刑』はまさに、新たな世界へ広がるきっかけになりました。
タイトル(原題)になった無縁墓地(ポターズ・フィールド)のことですが──イースト・リバーに浮かぶハート・アイランドが実際はどんな場所なのかは知っていました。身元のわからない遺体を埋める墓地です。驚くべき場所ですね。空からしか見たことはありませんが、まさに他に類を見ない場所です。埋葬の儀式とマツ材の棺のことも知っています。囚人たちが平底船で川を下り、遺体と小さな安物の棺を運んで埋めるんです。とても厳格なシステムで、わずかな印と数字だけを登録します。何百年もそうやって続いてきたんです。それで、遺体があってもその身元がわからないという、この作品の被害女性のようなケースについて、なにかを書きたくなったんです。
この事件も、検屍局で働いていたときに考えていたことがもとになっています。わたしはいつも、だれかを名前で呼べないときには、とても悲しい思いをしていました。死んだときに自分がだれであるかわかってもらえないなんて、それ以上孤独なことなど思いつきません。とても根気強い専門家の方々は、あらゆる手を尽くしてそうした遺体の身元を突き止めようとします。彼らがだれであったのか、その身元だけでも死者に返すべきです。ほかのすべては奪われてしまったんですから。少なくとも、それくらいの尊厳は与えられてしかるべきでしょう。スカーペッタは、セントラルパークで見つかった、彼女がジェーンと呼ぶ遺体の身元を突き止めようと決心します。
それから、サウスカロライナの農園へ行くシーンがあります。これも、別の舞台を探索して、作家として成長したかったんだと思います。リサーチもいろいろしましたし、ニューヨークでは交通警察も取材しました。警察と一緒に古い地下鉄のトンネルにも入りました。そのトンネルはこの本で重要な役割を果たしています。サウスカロライナにも行きました。それはターニングポイントになりました。というのも、そこへ行ったときに、ヒルトン・ヘッドという場所に出会ったからです。実際、『私刑』の大部分はそこで書きました。それ以降、静けさを得るために、ヒルトン・ヘッドへ逃げ出しては海辺で仕事をするようになりました。生活のなかで静けさを得るのが、どんどん難しくなっていましたから。
Q2:『私刑』では、スカーペッタが新しい〈メルセデス〉を購入したばかりです──以前の車はルーシーがだめにしてしまいましたから。スカーペッタの車の選択は、あなたの趣味ですか? そもそも、彼女はなぜあれほど〈メルセデス〉にこだわっているのでしょうか?
わたしも実際、キャリアの最初の十年間は〈メルセデス〉に乗っていました。それ以外の車は運転したくありませんでした。俗物的な理由からではありません、みんなはそう思っているかもしれませんが。安全だから乗っていたんです。わたしは人を死に追いやる可能性のある、あらゆるものを知っています。しかも残念なことに、人生のいろいろなことを選択するときに、いわゆる「最悪のシナリオ」をもとにする傾向があるんです。
わたしのことを知っている人は、それをジョークにしていますよ。こんなことを言われるんです──「ねえ、頼むから、そんなこと聞きたくないわ。あの階段がどんな仕打ちをするかなんて聞かせないで。この椅子がどうなるかなんて知りたくない。わかりました、お鍋の柄の向きを変えればいんでしょ」。それに、車に乗ったときのわたしは、同乗者にシートベルトを締めろと命じることで悪名高いんです。〈メルセデス〉は当時もっとも安全な車でした。わたしは自動車事故でどれくらいの人が負傷し、死んでいるかも知っています。だから、わたしもスカーペッタも、あのまるで戦車のような、守りの堅い車に乗っていたんです。いまの彼女はその車に乗っていません。状況が変わって、〈メルセデス〉もかつてとは少し違ったものになっています。いまの彼女だったら、以前とは違う選択をするでしょうね。
Q3:『私刑』やその他の数作では、ルーシーのパートナーになるであろうジャネットがたびたび登場します。でも、ルーシーはのめりこむタイプではないように見えます。彼女はパートナーを見つけられるのでしょうか?
ルーシーは長続きするパートナーを見つけられるかって? これはとても良い質問ですね。それがだれであれ、わたしはちょっと気の毒に思います、と言っておきましょうか。ルーシーは手に余る人です。あなただったら、ルーシーと付き合いたいと思いますか? ルーシーと一緒になれるのは、それにふさわしい人だけでしょう。とても変わっている人、足もとが際立ってしっかりしていて、重心がまったくぶれない人でないとだめでしょうね。しかも、いわば航空管制官のように、周囲を飛びまわるあらゆることを観察して、どうにかして互いが衝突しないように統制できる人。そう考えると、ジャネットはとても良い相手のように思えますが、その質問──ルーシーはいつかふさわしい相手を見つけて身を落ち着けるのか?──の答えを得るには、もう少し読み進める必要がありますね。
Q4:アナ・ゼナーのおかげで、作品に心理学的な面での深みが加わっていると思います。彼女のモデルはだれですか? 彼女をドイツ系にした理由は?
精神科医のドクター・ゼナーを登場させたのは、これもやはり、読者がスカーペッタというキャラクターに深く入りこめるようにするためです。だれも敢えて訊かないような質問を彼女にする人を出したかった。そして、スカーペッタのそばに、彼女がわたしたちの知らないことを進んで話せるような人を置きたかったんです。彼女は本当はどんな風に感じているのか? ──彼女のしていることは、わたしたちも知っています。でも、彼女が検屍をしたり、犯罪現場を調べたりするのを見るだけでは、じゅうぶんではありません。
わたしが知りたいのは、彼女が暖炉のまえに座っているときに、あるいは犯罪現場になってしまった自分の家にいるのが耐えられなくなったときに、なにが起きるのかということです。彼女は夜遅くまでドクター・ゼナーと過ごし、起きてしまったすべてのことにひどく落ち込みながら、自分の気もちや自分の過去、自分は何者なのかということを話しはじめます。
ドクター・ゼナーをドイツ人に──実際にはオーストリア人ですが──しようと思った理由のひとつは、わたしがオーストリアへ行ったことがあるからです。オーストリアにあるマウトハウゼン強制収容所へ行きました。ずっと以前の取材だったのですが、その内容は結局、この本までは使われませんでした。そこには、過去に起きたことの記憶がありました。わたしはすっかり魅せられ、オーストリアに夢中になりました。わたしの母方の一族はドイツ系なんです。ですから、わたしは半分ドイツ人ともいえますね。わたしがものすごく細部にうるさくて、技術に心惹かれるのも、多少はそれと関係があるのかもしれません。わたしは美しい技術の驚異を愛しています。たとえば、わたしが〈フェラーリ〉を好きなのは、単に派手だからというだけではなく、驚くべき技術の集合体だからです。〈フェラーリ〉はイタリアのものですが、美しいことには変わりありません。あの美しいドイツ車──初期の〈メルセデス〉も同じです。最高級の外科器具の多くもドイツ製です。ドイツ製品はとても精密なんです。じつを言うと、スカーペッタを最初に創り出したとき──このシリーズに挑戦しはじめた一九八五年ごろのことですが──彼女をドイツ系にするかイタリア系にするかを決めかねていたんです。そのどちらかだというのは、わかっていたんですが。結局、ドイツ系にするには、彼女はあまりにもドイツ人らしく働きすぎるような気がしました。だから、イタリア系にすべきだと思ったんです。
Q1:スカーペッタはダイビングのライセンスをもっていて、この作品では潜水を余儀なくされています。あなた自身が経験したダイビングのトレーニングについて教えてください。
『死因』の案を練っていたとき、それまでにしていないことや描いていないことをスカーペッタに経験させたくなりました。それで、犯行現場が水中だったら、彼女はどんなふうに仕事をするのだろうか、と考えたんです。水中の犯行現場へ行くためには──その事件はダイビング中の惨事のようなものですが──彼女がダイバーになる必要があります。そのためには、わたしもダイバーになる必要がありました。
ダイビングのトレーニングはサンフランシスコで受けました。理由はもう覚えていませんが、たまたまその地にいたからでしょう。ダイビングショップへ行って、当時その店の店長だった元警察官にトレーニングを申し込みました。それでトレーニングをしたんですが、ひとつ計算外だったのは、オープン・ウォーター・ダイブのトレーニングをサンフランシスコの入り江で受けなければならなかったことです。サンフランシスコの海は冷たくて潮流があり、いたるところにケルプがあるので、船ではなく岸から海に入らなければなりません。最高のトレーニング場所とはとうてい言えませんでした。わたしはウェットスーツを着込んで、二十ポンドのウェイトベルトをつけ、タンクを背負い、フィンをつけて磯を歩いて、海へ入るはめになりました。見た目ほど簡単なことではありません。水の透明度もひどいものでした。いずれにしても、そこでダイビングのライセンスを取得してから、グランド・キャニオンへ行きました。もちろん、こちらのほうが良い環境です。そこで十日ほど練習を積みました。
最終目的は、バージニアのエリザベス川にある使われなくなった海軍造船所でダイビングをすることでした。海軍から許可を得て、巨大な鋼鉄製ケーブルでつながれた廃船のまわりで潜りました。というのも、そこでスカーペッタが遺体を発見することになるからです。最近では、そんな許可は絶対にもらえませんが、当時はまだ、世界はもう少しおおらかでした。そこでのダイビングは、とてもおそろしい経験でした。視界はほぼゼロで、顔のまえにある自分の手さえ見えないんです。水中が錆びだらけになっているからです。運の悪いことに、わたしはケーブルにぶつかってしまいました。それが丸太のような大きさで目前に迫ってくるまで見えなかったんです。頭を下げて避けようとしましたが、タンクにぶつかってしまいました。それで、タンクが緩んで、背中を滑り落ちはじめたんです。さいわい、一緒に潜っていた仲間が助けてくれましたが、水中から抜け出す道もなく、とても危険な状況でした。最悪だったのは、ある廃船の後部に近づいたときのことです。その古い戦艦の後部にある巨大なスクリューを見たかったのです。それで船の後部に沿うように潜降しているときに、とつぜんパニックになりました。頭のなかで、警告の赤い旗が掲げられたようでした。こんなことを考えていました──「なんてこと、気をつけて、なにも見えないわ。もしうっかりこの船の下に入ってしまったら……」。そこには引きこまれそうな隙間がありました。船は川底に触れているわけではなく、簡単にその下に引きこまれそうでした。そうなったら、二度と出口は見つかりません。なにしろ、巨大な船がいたるところにあるわけです。その下に入りこんで、次から次へと船底に頭をぶつけながら出口を探しているうちに、エアー切れを起こすこともありえます。だから、わたしはするべきことをして、そこから離れました。ダイビングをしたのは、それが最後だと思います。
でもそのおかげで、『死因』でダイビングをしたときにスカーペッタが感じたことをうまく描写することができました。それだけでなく、ずっとあとになって、シリーズ最新作の『ボーン・ベッド』でも役に立ちました。この作品でも、水中に遺体があって、それを調べるためにスカーペッタが潜水するという筋書きが出てきます。このときには、スカーペッタはドライスーツを着ていますが、そのようすを描写するのは簡単でした。どんな感じがするのか、自分でわかっているからです。実際にやったことがあるので、ありとあらゆる面を知っています。それこそ、わたしがダイビングをした狙いです。
Q2:クアンティコはあなたの作品によく登場する舞台のひとつです。そこでどんな経験をしたことがありますか? また、いまのクアンティコは昔に比べてどう変わっていますか?
リサーチをはじめたばかりのころは、とても幸運に恵まれていました。八四年か八五年ごろだと思います。友人がクアンティコへ連れて行ってくれたんです。クアンティコはFBIアカデミーがあることで有名ですが、当時はわたしの取材を快く受け入れてくれました。9.11の後に比べると、世の中はとてもオープンだったんです。その点は、いくら強調しても足りません。いまはもう、そうした取材はできません。本当に幸運でした。
わたしは新人エージェントが暮らす寮に滞在させてもらいました。エージェントの授業にも出ました。そこで銃の撃ちかたを習い、トレーニングを受けました。たくさんの人と知り合いになり、しばらくのあいだは、ほとんど第二の故郷のようになっていました。わたしはクアンティコがとても好きでしたし、作品のなかでもとても重要な舞台でした。というのも、当時はそこでプロファイリングがおこなわれていたからです。『クリミナル・マインド』──わたしの大好きな番組で、ゲスト出演したこともあります──で有名になった、行動分析課と呼ばれる部署です。いまはもう移転して、FBIアカデミーにはありませんが。わたしはいまでもFBIに魅了されていて、スカーペッタがFBIエージェントと結婚したのを嬉しく思っています。許可がもらえたときには、いまでもエージェントたちとのつきあいを楽しんでいます。そうした要素を作品に加えられたのはとても幸運でした。
Q3:どんなスケジュールで執筆しましたか? この作品はどこで書きましたか?
『死因』を書いていたときは、まだリッチモンドに住んでいて、自宅にオフィスを構えていました。わたしのスケジュールは、いつもほとんど同じです。毎年、まずはリサーチからはじめます。必要なリサーチを終えてから、ようやく落ち着いて最初の場面にとりかかります。『死因』では、ダイビング以外にも多くのことを調べました。
この作品にはテロリズムという要素が出てきますが、それについてリサーチすることができたのは、当時(一九九六年)はだれもそんなことが起こりうるとは思っていなかったからです。テロリストが原子力発電所を乗っとるなんて、考えられないことでした。ですから、その手の施設へ行って見学したければ自由にできました。発電所の人たちも、そのアイディアをおもしろいと思っているようでした。そんなことは起こりえない、アメリカでテロなんてありえないと思われていたからです。原子炉もリサーチしましたが、そのためにいろいろな場所へ行きました。
『死因』を執筆しているあいだは、よくロサンゼルスへ行きました。『私刑』の映画化が進められていて、わたしが脚本を書いていたからです。ですから、『死因』の大部分、少なくとも半分は、ロサンゼルスに部屋を借りて、映画の仕事と同時進行で書きました。その映画も、けっして実現することのなかった──そして今後も日の目を見ることのない──スカーペッタ映画のひとつです。わたしは高層ビルに部屋を借りて、ロサンゼルスと遠くの水路を見わたしながら『死因』の大部分を書きました。
Q1:『接触』でのごみ廃棄場の取材はどんな感じでしたか?
ごみ廃棄場の取材は、わたしがいままでにしてきた取材のなかでもとりわけ興味深いものでした。リッチモンドの郊外には、巨大なごみ廃棄場があります。たしか、シュースミス廃棄場とか、そんな名前だったと思います。ヘリコプターでバージニア上空を飛ぶと、窓の外に建物が見えます。それを目にするといつも記憶がよみがえりますが、わたしが廃棄場を舞台にしようと思ったのは、検屍局で働いていたときに、実際に同じような事件があったからです。
女性の遺体が廃棄場──たぶん同じ廃棄場だったはず──で見つかったんです。遺体には頭、腕、脚がありませんでした。この事件で特に悲しいのは、わたしの知るかぎり、それがほぼまちがいなく若い女性だったことです。たしか子宮摘出手術を受けていましたが、それ以外のことはほとんどわかりませんでした。彼女のDNAが登録されていなかったからです。たぶん、その事件はDNAの登録が一般的になる以前に起きたのでしょう。でも、大きなポイントは、彼女の遺体が長年にわたって冷蔵室で保管されていたことです。なぜなら、彼女の身元や死因、犯人がまったくわからなかったからです。この事件はいまだに解決していないのではないかと思います。その事件がわたしの頭から離れなかったのは、まさにそのせいです。人がごみのように捨てられたんです。彼女がどんな人か、なにをしたのかは関係ありません。たとえ彼女が地球上で最悪の犯罪をおかしていたとしても、そんなふうに扱われていいはずがありません。この孤独で小さなむくろ骸が取り残され、ブルドーザーのシャベルにすくいあげられ、何年も冷蔵室に入れられて、最後にはおそらく捨てられる……そう考えると、とても悲しくなりました。だから、スカーペッタをそのごみ廃棄場へ行かせたかったんです。
そのためには、わたしも行く必要がありました。「あなたって、どこか素敵なところへ行けないものなの、スカーペッタ?」と言いたい気分でしたね。廃棄場には夜に行ったんですが、ライトをつけた土木機械と果てしない月面のように広がるごみは、とても不気味でおそろしいものでした。光の加減のせいで、本当にごみだらけの月にいるような気がしました。あれは貴重な体験でした。気味の悪さを超えた気味の悪さでしたね。
おかげで、わたしは作家として、ほとんどの人が見ることのないものを描写することができました。それこそまさに、作品を書くにあたって試みていることです。わたしがめざしているのは、読者をいままで行ったことのない場所へ連れて行き、この先も願わくは体験せずにすむであろうことを見て、感じて、触れてもらうことです。それが起きているあいだ、あなたは安全な自宅にいて、わたしのようにすべてを体験する必要はありません。ともあれ、廃棄場の取材は、この作品のためにした取材のなかでもとりわけめずらしい体験でした。
Q2:この作品で、スカーペッタはベントンとともに元恋人のマーク・ジェームズの死んだ場所へ行こうと計画します。ベントンとマークは友人どうしでしたが、そのことがふたりの関係にどう影響していると思いますか?
『接触』の最後で、スカーペッタがかつての恋人マーク・ジェームズの死んだ場所──ロンドンのビクトリア駅──へ行かなければいけないと決心したとき、ベントンは自分の個人的な反応を見せまいとします。彼の一部は、その決心に動揺していました。なにしろ、マーク・ジェームズは彼の友人でしたから。でも、少しばかり嫉妬めいた反応も見せます。マークに対する彼女の思いをまのあたりにし、彼が死んだその場所を見るまで彼女の心が休まらないのだと思い知るのは、彼にとってつらいことですから。
はっきりと覚えているんですが、リッチモンドで『接触』を書き終えようとしていたとき、なんと驚いたことにとつぜんスカーペッタが居間でシャンパンを飲んでいたんです(この登場人物たちはいつもそうです。好き勝手なことをするんです)。しかも彼女は少し酔っぱらっていました。わたしはこう言いました。「ねえ、酔っぱらったりしないほうがいいんじゃないかしら、みんな、あなたに対する見方を変えてしまうわよ」。でも、彼女はわたしの言葉に耳を貸そうとしませんでした。彼女は少しばかり酔っぱらおうと決心していました。そのうえ、ベントンとシャンパンを飲みながら、ロンドンへ行ってマーク・ジェームズの死んだ場所を見なければいけないと決めてしまったんです。わたしはこう言いました。「だめ、だめ、だめ、いまはロンドンへ行きたくないの、この本はもうほとんど書き終わったのよ、あと十ページくらいなんだから。そんなことしないで」。でも彼女は聞き分けがありませんでした。
それで、わたしはエージェントのエスターに電話をかけて、「ロンドンへ行かなきゃならない」って言ったんです。彼女は「なんのために?」と訊きました。「ビクトリア駅に行く必要があるの」「なんのために?」「この本をそれで締めくくるつもりだから」「インターネットで調べるわけにはいかない?」「いいえ、それは絶対に無理」。そんなわけで、文字どおりコンコルドに飛び乗ってロンドンへ行き、ビクトリア駅でするべきことをしたんです。そうしてよかったと思います。すぐにまた飛行機に乗ってトンボ帰りしました。それで、スカーペッタにこう言ったんです、「あなたを書くのは重労働だわ、まったく」。
Q3:『接触』では、クアンティコのある一室で、バーチャル・リアリティの実験がおこなわれます。この技術は法医学にどんな可能性をもたらすと思いますか? また、この技術のその後の進歩に注目していますか?
わたしはバーチャル・リアリティにたいへん興味をもっています。『接触』のためにバーチャル・リアリティのリサーチをしたときのことは、とてもよく覚えています。当時は、その手のことをしている人──ゴーグルをつけて仮想の世界へ入るような人は、だれもいませんでした。もちろん、当時のバーチャル・リアリティで入る「部屋」は、ごく未完成なものでした。CAD(コンピュータ支援設計)のようなもので、とても粗い絵に、つけたり消したりすることのできる電気のスイッチがついているような感じです。わたしが歩くと、もちろん床も動きます。それはわたしの操作がうまくないせいですが。ケーブルも山ほどつながれます。
わたしが思い描いていたのは──もちろんそれを『接触』で実行したのですが──スカーペッタが犯行現場の写真をとり、文字どおりそのなかに入っていく、という筋書きです。彼女はバーチャル・リアリティを利用して──わたしはいまでもそれが可能だと思っていますが、まだ実践はされていません──再現不可能なはずの写真を三次元化して、実際にそのなかに入りました。そして、部屋のなかで周囲を見まわしたときに、これまで見つかっていなかった手がかりに気づき、それが殺人犯の特定につながります。二次元の写真では気づかなかったたったひとつのことが、バーチャルルームを歩きまわっているときに、彼女の頭に入りこんでくるんです。もちろん、それはきわめて重要なことです。なにしろ、この作品で問題になっているのは、「生物テロ犯はだれなのか?」ということですから。それがこの作品のテーマです。
はじまりは、それだけで終わるような出来事でした。バージニア沖のタンジールと呼ばれる小さな島で発生した伝染病です。生物テロの方法については、いろいろと取材をしました、CDC(疾病対策センター)や、バイオレベル3や4のウイルスを扱うほかの施設にも行きました。この作品で扱っている出来事も、当時はそんなことが起きるなんてだれも思っていませんでした。わたしが思いついたのは、天然痘を兵器として利用できるのではないかということです。たいていの人は、わたしのことを笑わんばかりでしたよ。当時は、天然痘は地球上から根絶されたと思われていましたから。でもそうではありませんでした。だってそうでしょう、もし根絶されていたら、天然痘がふたたび姿を現したときに、どうやってワクチンをつくるというんです? ともあれ、だれもそんなことを心配していないときに取材できたのは、とてもありがたいことでした。そうした施設を見学させて、悪者が利用しかねない方法を教えても、問題ないと思われていたんですから。たぶんいまだったら、そんなことはさせてもらえないでしょう。
Q4:有名になればなるほど、身元を明かさずに取材をすることが不可能になります。その点は執筆にどう影響していますか?
名声というものは、こと取材に関して言えば、とても捉えどころのない不安定な土台です。有名になりはじめると、みんな来てほしがりますし、訪問を大喜びします。でも、マイナス面ももたらします。というのも、この人が来たら、ここにある問題が衆目にさらされてしまう、と思われるからです。名声はあなたの友にもなります。よく知られているからという理由で入れてもらえることがありますから。でも、それは入れてもらえない理由にもなります。わたしが作品のための取材をはじめたのは一九八五年ですが、いまでもこんなことを言われます──もしあなたを入れたら、みんなを入れなければならなくなる、と。とにかく、たいへんです。いまの世の中では、わたしがずっとしてきたような取材を、多くの人がしたがっていますから。
はっきり言えば、スカーペッタがその扉を開けたんです。彼女が法医学というジャンルを生み出したわけですから。なによりも大切なのは、関係する人たちに敬意を払うことです。FBIでも警察でも検屍局でも、それは彼らにとって名誉となります。そうすれば、あなたが有名だからという理由で、大喜びしてくれるかもしれません。でも、あなたという人を信頼できない、あなたの作中の登場人物を尊敬できない、と彼らに思われたら、聖域には入れてもらえません。けっして入れてもらえないでしょう。
Q1:『業火』を書こうと思いついたのはなぜですか? そのためにどんなリサーチをしましたか?
文字どおり「火」をめぐる作品を書こうと思ったのは、次の作品のことを考えはじめていたときに、「まだ読者に見せていないものはなに?」と考えて、「そうね、法医学的な火災調査はまだ見せたことがなかったわ」と思ったからです。それで、それに関係するものを扱うことにしました。そのためには、ATF(アルコール・タバコ・火器局)と付き合う必要がありました。いま、ATFは国土安全保障省の一部になっていますが、当時は別の機関でした。本物の火災専門家がいて、ありがたいことに、多くの時間をATFの方々と過ごすことができました。『ATF/特別犯罪捜査局』というテレビ映画の制作と脚本にも関わりました。それまでは、テレビでATFが扱われることはまったくなかったんです。ともかく、法医学的な火災調査は、とても興味深いものです。なにしろ、火はまるで生きものみたいなんです。知性と悪意、想像力をもっているように見えます。火災と闘う人たちなら、火はただの生命のない物体ではないと言うでしょう。火は生命体と同じように、物理的なあらゆるものに反応します。とても狡猾でずる賢いんです。
発生点、つまり火元を見つけるのも容易ではありません。放火であれば、たいてい燃焼促進剤やなんらかの発火手段が使われますので、なおさらです。もちろん、『業火』でも放火事件が起きます。スカーペッタは火災のあった農場を捜査し、じつは殺人を隠蔽するために放火されたことを明らかにします。わたしは実際に、しばらくホテルの部屋に滞在して、ATFの出動を待機していたことがあります。ATFから電話が来ることになっていて、夜中の三時になる可能性もありましたが、その電話に応じて一緒に火災現場に行くんです。そうやって、彼らがなにをするのかをじっくり吸収しました。というのも、この作品を読んだ方はご存じのとおり、ルーシーがFBIを辞めてATFの火災調査官になっているからです。この作品では、彼女は火災調査に関わっています。
そのときの取材で覚えているのは──フォーシーズンズかどこかの高級ホテルに泊まっていたんですが──ATFの人たちと一緒に車に乗ったり火災現場に行ったりしたあと、朝の六時くらいに部屋に戻ってくると、部屋じゅうが火事場のようなにおいになってしまったことです。カーゴパンツやらなにやらを脱ぐと、それが湯気を立てているんです。その服はもう着られませんでした。煤けた服やブーツでできた小さな山をまえにして、「わたしがこの部屋を出るまでに、ここの人たちがどんなことを考えるのか、想像もつかないわ」なんて思っていました。とにかく、すごい冒険でした。
Q2:ルーシーという人物は、過去数作にわたって進化してきましたが、この作品で、ただのコンピュータおたくではない、法執行機関のエージェントとしてのキャラクターが固まります。最初からそうなることがわかっていましたか? 彼女をテクノロジーの分野からその世界へ移そうと思ったのはなぜですか?
シリーズの初期では、ルーシーを大々的にコンピュータの世界に関わらせることは意味がありました。クアンティコのFBIアカデミーにはできたばかりの研究施設があって、ほかのだれもしていないようなハイテクな研究をたくさんしていました。たとえば、超強力なコンピュータシステムをつくったり。当時注目されていたのは人工知能です。それで、ルーシーをFBIのインターンにして、わたしがCAINと呼ぶ犯罪人工知能ネットワークの開発に関わらせたらどうかと思ったんです。それは初期の作品のいくつかに登場します。ルーシーはそれをきっかけに法執行機関に足を踏み入れるわけですが、わたしの目には、彼女はエージェントになりそうな人に映りました。だから、まずFBIに入って、次にHRT──人質救出部隊に加わります。ヘリコプターのパイロットにもなるので、わたしもヘリの操縦方法を覚える必要がありました。そんなふうにして、すべてがはじまったんです。
犯罪の解決や悪人の追跡をするうえで、ルーシーはスカーペッタよりもずっと体を動かすタイプの人のように思えたんです。スカーペッタは被害者に寄り添います──たいていは、もう自分の身に起きたことを話せない人と対峙し、わたしはあなたの味方よ、あなたの身に起きたことを解明するのを助けてほしいの、と語りかけます。ルーシーは悪人を追跡するのを好みます。とても攻撃的で、悪人のケツを蹴とばしたがります。コンピュータを使うにしろ、銃やヘリコプターやほかのものを使うにしろ、悪事を働いた者を攻撃的に追跡するほうが、ルーシーにはしっくりくるんです。それがふたりにとってちょうどいいバランスだと思います。それはいまでも変わっていません。
現時点で、ルーシーはもうFBIにはいませんが、攻撃的なアプローチをとるところは変わっていません。悪事を働く者が大嫌いで、できることなら自分の手でつかまえてやりたいと思っているんです。
Q3:この作品では馬などの動物たちの死の場面が出てきます。作家として、動物の死をどう扱っていますか? また、動物の死のなにがわたしたちをこれほどぞっとさせるのだと思いますか?
動物に対する残虐行為ととられるものを描くときには、細心の注意を払っています。残念ながら動物たちはいつも命を落としています。人間が殺すこともあれば、それ以外のことで間接的に被害を受けることもあります。たとえば、農場の放火のように。
その出来事を『業火』のなかで描いたのは、わたしにとって本当につらいことでした。動物を描写するときのほうが、人間を描写するときよりも生々しさはずっと控えめになります。わたしは人間の遺体の検屍を描きますが、動物が関わるときには、とても用心深くなります。理由はよくわかりませんが……ひとつには、それを不快に思う人たちがいるからです。その手の描写に、読者はひどく動揺します。わたしは作家としての長いキャリアをつうじて、動物保護にとても積極的に関わっています。はっきり言えば、動物保護のために数百万ドルを寄付してきました。そうした行動をとる理由のひとつは、おそらく、動物たちがとても無力だと感じているからでしょう。人間にされるひどい仕打ちから逃れたくても、動物たちは自分ではなにもできません。小さな子どもと同じです。それに、動物虐待は扱うのがとても難しい話題でもあります。
わたしは作家として、そうした現実を無視するつもりはありません。無視するのは欺瞞だと思いますから。その一方で、読者が耐えられる以上のことを描写しないように、じゅうぶんに気をつけてもいます。これまで自分が目にしてきたことでも、その必要がなければ、読者に提示するつもりはありません。わたしが目にせざるをえなかった出来事のなかには、トラウマとして記憶に残っているものもありますが、わたしが見たもののすべてを読者が目にする必要はないのです。
Q4:キャリー・グレセン──スカーペッタ初の女性の宿敵──についての質問です。テンプルでは描けなかったことが、女性の悪役を出すことで描けるようになったというようなことはありますか?
女性の悪役が男性の悪役とまったく同じだとは思いません。キャリー・グレセンは、悪い意味でとても興味深い、立ち向かうべき邪悪な敵です。というのも、女性の知性や感性は、生物学的にも進化学的にも男性とは微妙に異なるからです。それに、子どもを育てるために備わった能力や性質による違いもあります。そうした能力を悪用したら、他人にどんな苦痛を与えることができるのか、どんな残虐な仕打ちを思いついて、別のだれかを相手にそれを実行することになるのか、想像してみてください。子どもを育てるための力が邪悪なものになったら、それは悪魔同然の力になるはずです。女性の悪役がとても興味深い理由は、そこにあります。
わたしはいわば雇用機会均等主義の雇用主です。わたしの作品には邪悪な人物が数多く出てきますが、男性だけでなく、女性もいます。それどころか、女性が少し多すぎるのではないかと思いはじめています。というのも、邪悪な女性というイメージは、多くの意味で、邪悪な男性よりもわたしにとっておそろしいものだからです。女性の場合、生理的な要素がより強くなりますから。たとえば、女性の殺人者は毒殺という手段をよく選びます。だれかにヒ素を盛って、毎日毎日、毒物を混ぜたシリアルを被害者が食べるのを眺めるわけです。いったいどんな人なら、そんなことができるのでしょうか。自分の目のまえで被害者が少しずつ、お茶を飲むたびに死に近づいていくのを眺めるなんて。わたしだったら銃で撃たれたほうがましですね! それに、その方法には、ある種のサディズムが潜んでいると思います。それはどちらかといえば女性に見られがちなものです。もちろん、男性がそういう方法をとることもありますし、女性が銃を使うこともあります。絶対に入れ替わらないというわけではありません。要は選択の問題ですから。でも、核になる部分では、なにか違いがあると思います。作品に女性の悪役を登場させるときには、その違いを探究しています。
Q1:『警告』はスカーペッタがベントンを失ったあとの最初の作品です。その点は彼女にどう影響しましたか?
スカーペッタにはもうベントンがいません。彼女は彼が死んだものと思っていますから。『警告』を書いたときには、その点に驚くほど苦労しました。なによりも、『警告』では、ベントンの死がもたらした結果を描かなければならないと思っていました。スカーペッタが実際にベントンの検屍報告書を読んだり、彼の情報をくまなく調べたりする経緯を。なぜなら、彼女ならそうするはずだからです。つらいことですが、それが彼女という人間なんです。その意味するところを知るために、自分の目でたしかめなければ気がすまないんです。そのあいだにも、ほかのことが進行していて、スカーペッタはとてもおそろしい事件に関わり、フランスへ行くことになります。そのためのリサーチは、とても興味深いものでした。インターポールへ行く機会が得られたんですから。『警告(ブラック・ノティス)』とは、犯罪に関係する可能性のある身元不明の遺体が見つかったときにインターポールが出す警告を意味します。とても不吉な言葉だと感じました。だから、タイトルにちょうどいいと思ったんです。
ともかく、リッチモンド港(もちろん、ここもリサーチしました)ではじまった、そのきわめて悪質な殺人事件の解決に取り組んでいるあいだに、スカーペッタはベントンの不在──彼女は永遠の不在と考えていますが──にも感情的に対処しようとします。しばらく経って気づいたのですが、ベントンは登場人物たちのバランスという点で、とても欠かせない存在でした。スカーペッタがいて、ルーシーがいて、マリーノがいても、彼女の人生からそのバランスが消えてしまうと、なにかが本当に失われてしまうんです。スカーペッタは彼女らしいやりかたで、それをわたしに気づかせてくれました。要するに、彼の不在は良いことではないのです。もちろん、ファンのみなさんもその展開が気に入らないようで、しょっちゅう「彼は本当に死んだの? 本当に死んだの?」と訊かれました。結局、その問いには、ずっと先になってから答えました。
『警告』では、とても興味深い疾患もリサーチしました。「多毛症」と呼ばれる疾患で、多くの患者が存在しています。その疾患の実態を描き、それが実在すること、人の外見をあのように変えることを知ってほしかったんです。そしてこの作品では、もっとも興味深い悪役のひとりに数えられるジャン・バプティスト・シャンドンが生まれました。彼は不幸にも「狼男」として知られるようになります。それはまったく誤った呼び名ですが、ともあれ、この作品でちょっとしたサーガが幕を開けます。この作品で起きる事件のいくつかは、このさき何年も経つまで解決されません。
Q2:この作品ではじめて、スカーペッタは長い時間を国外ですごします。パリでのリサーチはどうでしたか?
フランスをたびたび訪れ、徹底的に取材をしました。スカーペッタがそこへ行くことになるのはわかっていましたから。わたしがもくろんでいた取材は、セーヌ川のある場所から採取した水を調べるというものでした。川の水を顕微鏡で見ると、珪藻と呼ばれるものが姿を現します。この珪藻が、スカーペッタが探るべきことを決定する、とても重要な手がかりになるんです。それはなかなか楽しい経験でした。
わたしは実際に、米国へ戻ってから、フランスの出版社にこう伝えました。「こんなことはしたくないかもしれないけど、無菌ボトルを用意してほしいの。薬局で使われているボトルよ。無菌のもので、薬の保管に使われているタイプの瓶じゃないとだめ。それから、ラテックスの手袋をして、セーヌ川へ行って、水のサンプルを採取して、それを〈フェデックス〉でわたしに送ってくれないかしら。手順をまちがえてはだめよ。そのサンプルを研究室へ送って分析してもらうつもりだから」。なんだか奇妙ですよね、そんなことをしたがるなんて。ともかく、フランスへ何度も行きました。サン・ルイ島にも、邸宅(ホテル)にも行きました。フランスでは、有名な一家が住む屋敷をそう呼ぶんです。その邸宅から、みなさんが見ることになる邪悪な存在が生まれたわけですが。ゴシックのムードが溢れる、興味深い場所でした。そこを舞台にして、とても満足のいくものを創り出せたと思っています。
Q3:この作品のために、入れ墨に関してちょっと特殊なリサーチをしたと聞いています。どんなリサーチでしたか?
この作品のためにした入れ墨のリサーチは、とても興味深いものでした。わたしが計画していたのは、体から切除した入れ墨に特殊な光をあてて分析するという調査です。入れ墨の下にじつは別の入れ墨があって、本当に知りたいのは、その見えなくなってしまった元の入れ墨のほう、というケースを調べたかったんです。でも、自分の入れ墨の上に別の入れ墨を彫らせて、それをメスで切り取らせてくれる人なんて、そうそう見つかりません。
だから、食料品店に行って、七面鳥を買ってくるのがいちばん良い方法だろうと考えました。大きな丸焼き用の七面鳥を手に入れて、それを持って入れ墨店へ行き、相場どおりの料金を払うから、これに入れ墨をいれてほしいと頼んだんです。お店の人は、頭が五つある人を見るような顔でわたしを見ましたよ。わたしはその店で二日を過ごしました。というのも、七面鳥に第一の入れ墨を彫るだけでなく、さらにその上に第二の入れ墨を彫らなければいけなかったからです。そのころには、七面鳥はあまりいいにおいではなくなっていましたが、どうにかやりとげました。そのあと、七面鳥をモルグへ運んで、入れ墨を切り取りました。わたしが前回、リッチモンドの検屍局へ行ったときには、まだ「P.Cの入れ墨」というラベルが貼られた試料瓶がありました。いまでもあるかどうかはわかりませんが。
Q4:この作品では、スカーペッタがいかにセキュリティに気を使っているかが垣間見えます。あなたもいつもそんなふうなのですか? あなた自身のセキュリティ意識は、スカーペッタのセキュリティ意識とともに、長年にわたって進化してきたものですか?
わたしがセキュリティに気を使うようになったのは、検屍局で働いていたときのことです。具体的に言えば、例の連続殺人がはじまったときです。わたしがひとり暮らしをしていたアパートには、なんのセキュリティシステムもありませんでした。そんななか、殺人鬼がうろつきまわり、わたしと同じような人たち、犯罪などには関わっていない普通の人たちを次々と殺していたんです。多くの人と同じく、わたしも怯えていました。そのときはじめて銃を買って、訓練を受けました。さらに、寝室にもうひとつ電話を設置し、ドアにも別のロックをつけました。だれかが入ってきたらどうすればいい?と思っていたからです。めずらしいことではありませんでしたよ。あの連続殺人に怯えきっていた人はたくさんいました。
ですから、わたしがセキュリティに気を使うようになったのは、有名になったからではなく、おそろしいものを目にしたからです。わたしにとって、犯罪はもはや現実のものでした。あなただって殺されるかもしれません。自分にそんなことが起きるはずはないと考えているからといって、犯罪対象から除外されるわけではないのです。検屍関係の仕事についている人は、ほぼ全員がそれを認識していて、用心深く、注意深くなります。ほかの人たちと同じような暮らしはしません。もちろん、のちに成功をおさめたことで、わたしのその傾向はさらに強くなりました。リッチモンド時代に最初に買った家──九〇年か九一年に買ったものですが──は、しばらく住んでいると、心地のいいものではなくなってしまいました。その理由のひとつは、いろいろな人が道端に車を停めて、わたしが車で帰宅するのを待ち伏せしていたからです。玄関前の階段に、なにか物が残されていることもありました。セキュリティシステムは入れていましたが、それでもそうした人たちが姿を現すのを止めることはできませんでした。それは本当に気の滅入ることでした。
だから、ゲートのあるコミュニティに移りました。それ以来、わたしの住む家では、玄関にだれかがふらっと来ることはできなくなりました。ですから、セキュリティ意識は、人の身に起きうる悪い出来事を知っているということと、有名になって一部の人たち──その意図がかならずしも良いものではない人たちの興味の対象になったこと、その二重苦の産物といえますね。
Q1:前作で登場した多毛症のキャラクターが『審問』にも出てきます。この疾患について教えてください。この疾患の患者を出そうと思ったのはなぜですか?
多毛症は、いろいろな医学リサーチをしていたときに出くわした病気です。わたしが付き合っているような人たちと一緒にいると、いつもなにかを耳にすることになりますが、たいていの人の場合は右から左に通り抜けてしまうのではないでしょうか。でもわたしは違います。そのなにかをしっかり受け取ります。この多毛症という症状の話が出たとき、わたしはそれについてリサーチをはじめました。それで、この難病を患っている人が犯罪をおかしたら、いつも決まった証拠が残されるのではないかと思ったんです。というのも、たとえばこの病気の患者の体毛は、ほかの人のものとは違っているからです。スカーペッタの頭のなかに入りこめたら、こんなふうに考えていることがわかるでしょう。こんなものがいったいなぜ遺体についているのか? なぜこの歯形はこんなに奇妙なのか?──人間ではなく、まるで猛獣が犯人のように見えるはずです。そんなふうに調べていきました。とても興味深いリサーチでした。
Q2:スカーペッタ・シリーズの十一作目は、二〇〇〇年に刊行されました。当時はどこに住んでいましたか?
『審問』の執筆中と刊行時は、まだリッチモンドに住んでいました。この時点では、ゲートで守られた別の家に移っていましたが。スカーペッタと同じく、ゲート付きのコミュニティにある家です。それから、一部はヒルトン・ヘッドでも書きました。ビーチに面した海の見える家は、静けさを求めて逃げ出すには最高の場所でした。それと当時はまだ始終フランスへ行っていましたね。
それから、『審問』の最後のほうを書いているときに、ひどく心をかき乱す思いを抱いていたことも覚えています。ふたつのことが、頭から離れませんでした。ひとつは、このシリーズを書くためには、別の場所へ動きつづける必要があるということです。それまで、ニューヨークやフランスなどを舞台にしてきましたが、このキャラクターにはもっと大きな舞台が必要だということは明らかでした。けっしてリッチモンドを軽視するつもりはありませんが、とても狭く、限られた空間にいるような感じがしたんです。それはスカーペッタが働く場所という点に限ったことではありません。彼女の頭のなかにいるということも、そう感じる原因になっていました。このシリーズの作品はどれもスカーペッタの視点で書かれてきましたが、彼女の頭のなかで頭骨にぶつかっているような気がしていました。たぶん彼女のほうも、わたしが頭のなかに入っていることにうんざりしていたんでしょうね。はっきりと覚えているのは、別のことをする必要があると考えていたことです。十一作というのは、短い期間に書くには多い数です。それを続けていくためには、変化が必要だと感じていたんです。
Q3:この作品では、訴訟手続きに強い関心が置かれています。作家としてのそうした興味は、どのように進化してきたと思いますか? また、法的な分野に興味をもったきっかけはなんですか?
法医学とは文字どおり「法律の医学」を意味します。ですから、登場人物たちが法廷で長い時間を過ごすのは当然のことです。それに、スカーペッタは法律家でもあります。法医学者であるのに加えて、法律の学位も取得していて、のちに放射線学とイメージングの専門家にもなります。わたしはこのシリーズを書いているあいだ、法的プロセスをもっと熟知したいと思っていました。それで、ニューヨーク州検事総長事務局で、できるかぎりのことを学びました。
もちろん、リサーチをはじめたばかりの八〇年代なかごろから、殺人事件の裁判も傍聴していました。そうしたこともスカーペッタという存在の一面を掘り下げるのに必要なことでした。つまり、彼女が犯罪の嫌疑をかけられたら、たいへんなことになるのではないか?と思ったんです。なにしろ世間では、うまく犯罪をおかして逃げおおせる人がいるとしたら、スカーペッタのような人をおいてほかにいないと信じられていますから。現実の世界では、それはばかげています。仕事で犯罪を扱っているからといって、完全犯罪を達成できるとは限りません。実際そんなふうに訊かれることがあるのですが、わたしなら真っ先に捕まってしまうでしょうね。財布を車に忘れて運転免許証が見つかるとか、そんなまぬけなミスをしてしまうでしょう。でも、そうした極度に張りつめた状況にスカーペッタを置いてみたかったんです。自分自身の事件に立ち向かうような状況に。
そして彼女は、とても有能な検事にも対峙します。この検事は、違う分野ではありますが、ほとんどスカーペッタに匹敵するくらいの能力のもちぬしです。それをどんなふうに切り抜けるのか? 『審問』はサイコスリラー的要素がかなり強いと思います。読者はスカーペッタの頭のなかに入りこんで、彼女がそうしたすべてをつうじて成長するのを見守ることになります。
Q4:ルーシーはこの時点でおそろしく裕福になっています。あなたも作家として富を築いていますが、ルーシーを通じてそれを描いているのですか? それとも、ルーシーの選択や消費行動が、彼女の創造主であるあなたの趣味や習慣に影響を与えているのでしょうか?
じつを言えば、ルーシーの選択や消費行動がわたしに影響を与えています。わたしの狙いは、ルーシーをジェームズ・ボンドのような人物にすることでした。科学的な天賦の才をもつ安楽椅子探偵だけでなく、肉体派のヒーロー、悪党を追跡してドアを蹴破るタイプの人が欲しかったんです。以前、FBIアカデミーで銃のトレーニングを受けたことがあります。いくつかのことをとても親切に教えてもらいましたが、その中心となる銃のエキスパートは女性でした。彼女は標的に背中を向けて、鏡を見ながら棒付きキャンディの飴部分を撃ち落とすことができました。そうした人に会えたのは素晴らしい経験でした。
そのときから、世のなかには驚くべきことをする女性たちがいて、彼女たちには攻撃的に自分の身を守ったり巷の悪人と闘ったりする力があるのだということに気づきはじめました。だから、ルーシーをそんな女性のひとりにしたかったんです。独立してFBIでもATFでもなくなったルーシーは、コンピュータの才能を活かして新技術を開発し、それで富を築きます。みなさんもご存じのように、この世界ではいくらでも起こりうることです。フェイスブックを生み出したり、あるいはそれ以前の例でいえば、検索エンジンを開発したりすれば、何百万ドルもの大金が転がり込んでくるのですから。
ちなみに、ルーシーはわたしも経験したことがないほどのお金もちになりました。マッスルカーを乗りまわし、〈フェラーリ〉も運転します。ヘリコプターのパイロットでもありますから、自家用ヘリも手に入れるでしょう。彼女はたくさんのことをしますが、そうなるとわたしも同じことをしなければならないんです。たとえば、わたしは〈フェラーリ〉にとても興味をもっています。ルーシーが運転している車ですからね。じつを言うと、それはわたしを知る人のあいだでジョークの種になっているんです。わたしはいつも走行車線を走って、みんなに追い抜かれていますから。わたしはスピードを出しません。現時点では〈フェラーリ〉はもっていませんが、車でスピードを出すことは絶対にありません。ルーシーのような運転はしませんが、読者に伝えられる程度には運転しました。あのシートに座り、あのハンドルについたフォーミュラ1のパドルシフトを入れ替えているような気分になってもらって、エンジンの響きやその感触を伝えるために。わたしがそうした描写をするのは、リアルにするために必要だと感じているからです。
Q1:スカーペッタをバージニアから出そうと決めたのはなぜですか?
スカーペッタをバージニアから別の場所へ移すという決断をしたのは、『黒蠅』を書きはじめる二年ほどまえのことです。『審問』を書いていたころで、ロンドンへ旅行していました。執筆とは関係ない旅行です。ジェームズタウンと関連する貿易使節団に、支援のために同行しました。ロンドンにいるあいだに、ロンドン警視庁(スコットランドヤード)を見学し、そこの捜査主任から切り裂きジャック事件の話を聞きました。みなさんもご存じでしょうが、わたしがスカーペッタ・シリーズを中断していたのは、切り裂きジャックをテーマにしたノンフィクションを書いていたからです。その本では、わたしが切り裂きジャックにちがいないと考える人を提示し、科学技術と専門家の力を駆使して、それまで科学の目にさらされてこなかった証拠を検証しています。
『審問』が刊行されたのが二〇〇〇年で、二〇〇一年には、お読みになった方もいるかもしれませんが、アンディ・ブラジル・シリーズの『女性署長ハマー』が出ています。そのあと、二〇〇二年が切り裂きジャックです。切り裂きジャックでは、わたし自身が物語の語り手ですから、三人称視点を使っていました。アンディ・ブラジルのシリーズも三人称視点で、登場人物全員の思考のなかに入っていました。まえから、三人称の視点でスカーペッタを描いたら、かなりおもしろいのではないかと思っていました。ほかの登場人物の考えていることや、彼らがスカーペッタをどう見ているかがわかりますから。ですから『黒蠅』は、ふたつの理由から重要な作品です。
ひとつには、当時、わたしはもうリッチモンドにいませんでした。別の場所へ引っ越し、とうとうリッチモンドを去ったんです。そして、この作品では誰の頭のなかにも入っていけます。ですから、殺人犯を詳しく描くこともできるわけです。その人がなにを考え、なぜ罪を犯したのか、ということを。
『黒蠅』はとてもおそろしい話で、ひどく卑劣なことも出てきます。それは、ときに悪人たちの視点で話が進むからです。彼らがどうやって犠牲者たちを捕えたのか、彼らがどこでどうやって生きていたのかがわかります。ほんとうに身の毛のよだつことです。三人称視点への移行は、わたしの作家としての才能、作家としての力量を探るためでもありました。それに、ベントンの身に起きたことの真相を説明する機会も得られたんです。『黒蠅』では、すべてのピースがひとつにつながりますが、それには三人称視点のほうが効果的です。というのも、とつぜん場面が切り替わり、ベントンの視点になる驚きを読者に与えられるからです。読者は「あなた、いままでどこにいたの?」と疑問に思います。スカーペッタが知ったあとで読者にすべてを説明するほうが簡単ですが、わたしは読者に自分の目で知ってほしかったんです。
Q1:この作品で多くの書評家が指摘しているのが、悪役を彼の視点で描いた箇所の際立ったニュアンスです。作家としてのどのような成長がそれを可能にしたのでしょうか?
殺人者の頭のなかに入るのには、じつはあまり苦労はしませんでした。その手の人たちのことはよく知っているからです。心理分析官や法医学者と長い時間を過ごしてきましたし、刑務所へも行ったことがあります。それどころか、死刑囚とも話をしました。もちろんそれは趣味ではありませんし、進んでしたいことではありません。ともかく、あまり苦労する必要はありませんでした。あなたも想像力を膨らませれば、暗い場所へ入っていくことができますよ。だれかがなにか忌まわしい行為をした理由を、いわば直観的に理解することができるはずです。あなた自身のなかを探索して、そうしたおそろしい思考を見つけだすわけです。
『痕跡』では、スカーペッタをリッチモンドへ呼び戻すチャンスが得られました。きっかけは、わたしが友人を訪ねてその地へ戻ったことでした。これ以上ないほど不思議なタイミングですが、ちょうど検屍局の古いビルを取り壊している最中でした。まるでバイオハザードのようでした。あらゆる土木機械が集まっていて、わたしはこの目で、自分の名残が──なにしろそのビルのなかで働いていましたから──瓦礫に変わっていくのを見守りました。そこにはいま、ずっと洗練された新しいビルが建っています。それで、行き詰まっている事件に関するエキスパートとして、スカーペッタがリッチモンドに呼び戻され、かつて働いているビルが取り壊されているのを目撃したらどうなるだろう、と考えたんです。たぶん、わたしも少しばかり自分の過去に感傷的になっていたんでしょう。なにしろ、長いあいだそこにいたんですから。わたしは彼女が感じるであろう気もちになっていました。時間の流れといろいろな記憶が迫ってくるような。それで、彼女にも同じ経験をさせてみたくなったんです。
一方、殺人者の頭のなかに入るというのは、わたしにとって新しい経験ですが、切り裂きジャックの本を書いたおかげで、うまくできたと思います。あの本では、わたしが犯人だと思うある人の内面を掘り下げています。いろいろな意味で、殺人者を描きながら、その人の伝記を書いているようなものでした。ですから、その後のフィクション作品でそうしたタイプの人を登場させるときに、その人物をいままでよりもうまく描けるようになっていたとしても、それほど不思議ではありません。
Q2:この作品ではフロリダ州ハリウッドが大きな舞台になっています。ここを舞台に選んだのはなぜですか?
そうですね、やはり自分の経験を書きました。ハリウッドのことは知っています。わたしのパートナーのステイシーの祖父母が住んでいて、よく訪れていたからです。ハリウッド警察署の犯罪現場捜査官にもたまたま知り合いがいます。米国法医学会をつうじて知り合ったスー・コートニーという友人で、よく彼女の車に乗せてもらいました。彼女が犯罪現場の捜査を担当するときには、よくハリウッド警察署の車に同乗していました。それに、その地域を訪ねる個人的な理由もありました。わたしはもともとフロリダ出身で、南フロリダにはとてもなじみがあります。それに、スカーペッタも南フロリダの生まれです。それが、フロリダを舞台に決めた理由です。
Q3:ベントンを復活させようと思ったのはなぜですか?
ベントンが復活できてよかったと思っています。最大の問題は、復活の方法を考え出さなければいけないことでした。読者のみなさんの言うとおり、彼がたしかに死んだという証拠はありません。わたしたちはその現場を実際に目にしたわけではないからです。彼が殺されたことになっている『業火』では、読者が知っているのは、スカーペッタが聞かされたことだけです。彼女もわたしたちも、自分の目で見たわけではありません。あの作品は一人称視点で書かれていましたから。死の場面がなくて、そのようすを伝え聞いただけなのに、どうして彼がたしかに死んだとわかるのでしょうか? それが可能性の扉を開いたわけです。
すべては、きわめて大きなはかりごとだったんです。連邦政府による策略です。なんのための策略なのかは、本を読めばわかるでしょう。わたしは彼の復活を楽しみにしていました。それはこの作品で書くつもりでした。実際に復活したのは『黒蠅』ですが、『痕跡』ではその後のことに向き合う必要が生じます。死んだと思っていた人がじつは生きていたというのは、まさに奇跡です。心から愛する人がじつは死んでいなかったというのは、だれもが夢見ることでもあります。でも同時に、彼女はこんなふうにも感じるでしょう──いったいなぜわたしをこんな目にあわせたの、長いあいだわたしを苦しませ、悲しませていながら、あなたは生きていて、わたしを眺めていて、わたしの行動を把握していたなんて、そんなことがいったいどうしてできたの?と。わたしがいま書いている作品でも、彼女はまだその気もちと折り合いをつけようとしています。
Q4:『痕跡』を書いた時点で、あなたはすでに経験豊富なパイロットになっていました。飛行機の操縦は、作品の執筆にどう影響していますか?
飛行機の操縦は、たしかに作家としてのわたしに影響を与えています。飛行機の操縦から学べるのは、自分のしていることに鋭く正確な注意を払うということです。完璧な注意力が是が非でも要求されます。「空を飛ぶなんてすばらしいでしょうね。くつろいでリラックスするには最高の方法ですね」とよく言われますが、「もしわたしがそんなふうになっていたら、あなたは後部座席にいないほうが身のためですよ」と答えたいですね。
飛行機を操縦するときには、いつもよりもいっそう注意深くなります。それは小説を書くうえでも、とても大切なことです。コックピットにいるときと同じように完璧な注意を払い、どんなことにも気を散らしてはいけません。いま現在していること以上に重要なことなどないのです。そして、それを名誉と感じ、その作品にふさわしい敬意を払う必要があります。空を飛ぶのは楽しいことですが、わたしはルーシーのようなタイプのパイロットではありません。ひとりだけで操縦することはありませんし、わたしは極端に用心深いタイプです。わたしのヘリコプターには、知られているかぎりのあらゆる安全装置がついていますよ。
ともあれ、飛行機の操縦に関していまでもありがたく思っているのは、なにをするにせよ、それに集中するのを忘れずにいられるということです。小説を書くときには、それが必要になるのですから。
Q1:『神の手』では、スカーペッタがはじめて神経心理学に本格的に取り組みます。この分野にどんな関心をもっていますか?
神経心理学に興味をもったのは、二〇〇三年のはじめごろだと思います。以前の出版社であるパットナム社のフィリス・グランドという並はずれた女性とディナーをとっていたとき、レストランで彼女がこう言ったんです、「この法医学の流行はあなたがはじめたわけだけど、次はなにかしら?」。次の流行はなにかって? そのときわたしは、脳が流行すると思うと答えました。もちろん、わたしの考えはまちがっていました。というのも、次に流行したのは、バンパイアや『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』でしたから。でも脳は最後の未開拓地だと思います。まさに最後の未開拓地です。正直に言って、どれだけ調べても、いまだに脳のことはよくわかっていません。つねにもっと調べるべきことがあるんです。おそらく、神経学的に人の心のなかに入りこむ研究は、まだあまりされていないと思います。
たとえば、犯罪者の脳といわゆる「普通」の人の脳では、なにか違いがあるのでしょうか? 連続殺人鬼テッド・バンディの脳と隣人の脳は違うのでしょうか? 『真相“切り裂きジャック”は誰なのか?』を書いたときに、ハーヴァード大学に協力してもらいました。わたしが切り裂きジャックだと考えるウォルター・シッカートの膨大な美術作品を寄付したのをきっかけに、ハーヴァードと縁ができ、そこにいる人たちと話ができるようになりました。ハーヴァードはおそらく、最高の研究がおこなわれている場所でしょう。そのおかげで、マクリーン病院ともつながりができました。そこは米国で最古の精神病院で、ハーヴァードと提携しています。それで、その病院でしていることを調べはじめました。生きた脳内を観察する、脳機能イメージングという技術です。つまり、脳がどのように働くかを観察し、その人をその人たらしめているものはなにかという疑問に対する答えを探るわけです。もちろん、その日だけでは、答えは得られませんでしたが、『神の手』でその点を掘り下げてみたくなったんです。
この作品では、脳内スキャンが登場しますし、ベントンもその分野に関わっています。とても興味深い展開でした。もちろん、彼らが捜索する殺人者も登場します。『神の手』はおそらく、わたしがこれまで書いたなかでもいちばんおそろしい作品かもしれません。かなり手を焼きました。殺人者が裏でなにをしているのかという点を、できるかぎり追求したんです。そこに到達するまでにはさらにもう一作を経る必要があるのですが、もうこれ以上はできない、というところにまで行きつきました。これ以上この人たちの心に入りこめない、彼らのしていることを見せられない、というところまで。もうわたしの手に負えない、耐えられない、という気分でしたね。陽の光を浴びながら散歩をしたくなって仕方ありませんでした。ひどいシーンでしたから。
『神の手』では、作家としていろいろなことを探求しました。映画的な作品をめざして、一人称視点ではわからないことを読者に伝えようとしました。でも、そうしているあいだは、まるで影が日時計の上をよぎるような感覚につきまとわれていました。どこかの場所、もはやあまりすばらしいとは思えない領域へ入っていくような気分でした。
Q2:あなたはインタビューで「わたしは暴力を生々しく描写します。痛みを感じるように。でもある種の一線は超えないようにしています」と言っていました。この作品はシリーズのなかでも血なまぐさいものですが……その一線はどうやって見つけるのですか?
人物をどれくらい描写するかという点では、超えてはいけない一線があります。それを超えてしまうと、ほとんどポルノのようにある種の興奮を引き出したり、精神的なショックを与えるほど読者の心を乱したりする類の作品になってしまいます。その判断は本能的なものです。残念ながら、一線がどこにあるのかを知るためには、その近くにまで行かなければなりません。わたしはそれを、『黒蠅』と『痕跡』、そしてこの『神の手』の三人称視点で実践しました。
『神の手』は仕掛け線のようなものでした。それよりも近づきすぎてしまうと、爆発してしまうでしょう。それは望むところではありません。わたしの作品に見られるパターンでいえば、『神の手』のあとの『異邦人』で、やや近づきすぎてしまったかもしれません。その後の三人称視点の作品『スカーペッタ』と『スカーペッタ 核心』では、その一線から遠ざかりました。殺人者がだれかもわかりません。だれが犯人か、読者が考えなければなりません。犯人の視点では書いていませんから。
Q3:『神の手』の取材を通じて、現在のパートナーであるステイシー・グルーバーに出会ったそうですね。彼女はあなたの作品にどんな影響を与えていますか?
ハーヴァードの見学ツアーでマクリーン病院へ行って、脳機能イメージングと基礎的な神経科学について学んだときに紹介してもらったのが、ステイシー・グルーバーです。著名な神経学者で、特に脳機能イメージングの分野の研究で功績を残しています。それが出会いのきっかけでした。リサーチに訪れたわたしに、彼女は研究室でしていることやスキャンについて説明してくれました。次の日、わたしはスキャンを受けさせてもらうことになりました。それがどんな感じなのか、知る必要があったからです。わたしはそれまで、MRIを受けたことはありませんでした。少なくとも、記憶しているものはありません。一度だけ、車の事故でもうろうとしている状態で受けたことはありますが。
ともあれ、その経験は、人生を変えたといえますね。パートナーとなる人に出会えたんですから。彼女はその後もとても力になってくれています。専門とする科学分野だけでなく、科学全般──テクノロジーやコンピュータ──でもすばらしい才能に恵まれている人なんです。とても賢い人です。ルーシーがそばにいるようなものですね。ほとんどなんでも質問することができます。彼女に答えがわからなくても、それを見つける方法を考え出してくれるんです。とても楽しいですよ。ときどきはただ一緒に時間をすごして、作品に登場させるいろいろなものを考案したりもします。本当にすばらしい人です。
Q1:フロリダを離れたあと、スカーペッタはチャールストンへ移ります。あなた自身も、その地でしばらく執筆していたそうですが、舞台を変えたのはなぜですか? また、チャールストンのどこが好きですか?
サウスカロライナ州チャールストンは、まさに米国でも指折りの美しい街です。古い時代の面影が信じられないほどよく保存・復元されています。スカーペッタを住まわせるにはうってつけのすばらしい場所だと感じました。ひとつには、そこが低地帯(ロー・カントリー)だという理由もあります。同じ理由で、のちにサヴァンナも作品の舞台になりますが。ともかく、チャールストンはとても豊かな場所だと思いました。スカーペッタが何世紀もの昔に馬車置場として建てられたキャリッジハウスに住んで、とても古い建物を改装してフリーの法病理学者として開業したらおもしろいのではないかと思ったんです。 わたしもチャールストンにはつながりがあります。そこで長い時間を過ごしましたし、しばらくのあいだは、港に面したところに、執筆するための部屋をもっていました。当時は、どこか別の場所、完全な静寂のある場所へ行くことが、とても大切だったんです。できれば海辺か眺めのいいところで、静けさに包まれて、集中して仕事を進めること、わたしにとって、それがいちばんいいやりかたなんです。ですから、チャールストンでは長い時間を過ごしました。それがここを舞台に選んだ理由でもあります。興味深いのは、スカーペッタはそこに根を下ろすつもりだったのに、『異邦人』のあとには別の場所へ行きたくなっていることです。この作品のあとは、ニューヨークへ行こうとしています。まったくもって、ついていくのが大変な人です。
Q2:『異邦人』では、スカーペッタを悩ませる矛盾を垣間見ることができます。つねに残虐な殺人事件を扱っている女性が、なぜ鳥が窓にぶつかったことにあれほどひどく動揺するのでしょうか?
スカーペッタは自宅の窓にぶつかってくる鳥に心を乱されますが、それはわたし自身の体験をもとにしています。わたしは検屍局で働き、これ以上ないほどおそろしい事件をまのあたりにしてきましたが、冷静に長い年月を乗り切ってきました。でも、鳥が部屋の窓にぶつかってくるという経験には──家の外へ出て、その哀れな鳥が首を折って死んでいるのを発見し、それを片づけるという経験には、はかり知れないほどの衝撃を受けました。日々おそろしいものを目にして、自分のなかで積み重なっていった痛みが、ポーチでもがくその小さくて無力で哀れな鳥をきっかけに、出口を見つけたような感覚でした。わたしがそんなふうに感じるなら、あなたもそう感じるはずです。 仕事を続けていくために、自分のなかに痛みを押しこめて隠しているときに、もろくて無力な生きものにそんなふうに不意打ちをされたら、その痛みを和らげるために、どうにかしてその生きものを助けなければいけないと思うのではないでしょうか。
Q3:スカーペッタは『異邦人』でローマを訪れます。彼女はイタリア系でもあります。あなた自身も、この作品の取材でイタリアへ行きましたか?
『異邦人』の取材でイタリアへ行きましたが、じつは『異邦人』の執筆が遅れたので、執筆にとりかかった年にはローマには行きませんでした。ローマに実際に行ったのは、翌年の春、二〇〇七年の春でした。ローマに行ったときに、カラビニエリ(憲兵隊)を見学しました。その本部は見ものでした。研究室を見せてもらい、たくさんのリサーチをしました。スカーペッタがローマへ行くことになるからです。米国人のプロテニスプレイヤーの遺体が建設現場で見つかり、スカーペッタは専門家として、その殺人事件の捜査の依頼を受けることになります。それはじつに奇妙でおそろしい事件で、彼女はベントンとともに捜査を手伝います。 この作品も、わたしを作家として成長させてくれました。外国を舞台にして、そこでの彼女の行動を描き、ローマやウィーン、あるいはその舞台となっている場所を読者に体験してもらいたかったんです。わたしも一度ならずイタリアへ行きました。バーリにも行きました。殺人犯が記憶している洞窟を描写するときには、実際にそこへ行ってメモをとりました。あの鍾乳石やさまざまなものは、人体の内部にある器官にそっくりでまるで人体のなかにいるようでした。スカーペッタも同じように感じたことでしょう。そうした描写をふくめ、この作品に登場するイタリアの描写は、すべて取材で得た体験をもとにしています。
Q4:この作品で、マリーノはほかの作品でとっていたのとは違う行動をとります。彼の怒りを呼び覚ましたものはなんだと思いますか?
『異邦人』でマリーノは破滅的な状況に陥ります。彼はこの作品のなかで最悪なことをするのですが、それはいまに至るまで多くの議論を呼んでいます。読者の多くはマリーノのしたことにひどく腹をたてています。そのことを忘れていないし、スカーペッタがそのことを許すべきではないと考えていますが、なかには、許すべきだと考えている人もいます。正直に言って、あれほどみなさんが動揺するとは思っていませんでした。 じつのところ、『異邦人』に至るころには、マリーノはひどく厄介な存在になっていたんです。当初はいかにもリッチモンドらしい──実際はバージニア出身ではありませんが──教養の低い白人刑事で、どこか愉快で、やや女性を見下していたマリーノは、スカーペッタの親しい助手へと変貌しました。それに、彼女に対して抱いている報われない愛情が、たちの悪いものになりつつありました。というのも、彼がフラストレーションを感じていたからです。スカーペッタは自分の望むものを返してくれないし、彼はもはや警察ではなく彼女のもとで働いていますから、権力も手放したわけです。あちらこちらで彼女を追いまわしているうちに、彼はどこか無気力な状態に陥ってしまったんです。そのうえ、彼の愛情はけっして報いられません。彼はまさに大馬鹿者になりつつありました。過去数作でマリーノが駄目な人間になってしまったことは、みなさんもご存じでしょう。 ですから、ふたつの選択肢のうち、どちらかを選ばざるをえなくなりました。彼が殺されるかなにかして、シリーズから姿を消すか、あるいは、彼になにかひどいことをさせるかです。たとえて言うなら、それはガラスの花瓶を叩き割るようなものです。地面に叩きつけてばらばらに壊し、接着剤でつなぎなおして、みんなにとってもっと役立つ形に仕立て直すわけです。彼はいまのままではいられませんでした。では、彼に酒と薬をやめさせ、彼女について悩むのをやめさせるためにはどうすればいいのでしょうか? マリーノにはひどいことをさせる必要がありました。スカーペッタの家で彼女を襲ったとき、彼は長年自分を苦しめてきたものを殺そうとしていたんです。望むものが手に入らないのなら、それを殺すしかない、と彼は考えていました。ありがたいことに、実行はせずに踏みとどまりましたが、もう取り返しがつかないことは、彼にもわかっていました。その後、わたしたちがようやく彼に再会するとき──この作品の終わりでは、なにが起きたのかはまだわかりません。まだ先まで読み進めなければならないでしょう。 マリーノの物語はどんな結末を迎えるのでしょうか? それでも、彼は進化を続けるキャラクターです。そういう意味では、とても興味深い人です。多くの方は気づいていないと思いますが、二十年近くもひとつのシリーズを続けるとなると、作家としてどうにか解決しなければならないことが出てきます。この時もそうでした。登場人物たちはいつまでも同じではいられません。彼らはまだうまく機能している? もし機能していないのなら、どう修正すればいい? マリーノには彼なりの役割があります。彼はとても愉快な人です。できることなら、みなさんにも彼を許してほしいと思います。スカーペッタはもう許しているのですから。
Q1:いままで様々なタイトルをつけてきましたが、今回シンプルに『スカーペッタ』というタイトルにした理由はなんですか?
スカーペッタの名をタイトルにしようと決めたのは、単純に「どうしていけないの?」と思ったからです。それまでに一度も使ったことがありませんでしたし。それにこの『スカーペッタ』は、多くの意味で、いままでよりもずっと彼女自身のことを描く作品にするつもりでした。その理由の一端は──ごまかしても仕方のないことですが──私が創り出したシリーズと、その結果として生まれたジャンルにあります。
2008年になるころには、このジャンルの番組や小説、想像できるかぎりのあらゆる形式のエンターテイメントが市場に氾濫し、私が長年書いてきた法医学や医学やプロファイリングなどのテーマは掘りつくされていました。まさにそれが、私をどんどん窮地に追い込んでいたんです。このジャンルを最初に扱ったのはだれなのか、だれも思い出さず、だれも気に留めていなかったからです。継子全員と競うようなものですね。
うぬぼれるつもりはありませんが、90年代には、私のしていることは競争とは無縁でした。それが突然、途方もない氾濫が起きて、それでとうとう決心したんです。私がもっていて、ほかのだれももっていない唯一のものに目を向けようと。それが、スカーペッタです。このキャラクターをもっている人は、ほかにだれもいません。だってそうでしょう、自分のもてるもので、絶対的に唯一無二のものといったら、それしかないんです。それ以外はすべてやりつくされているんですから。仮に私がとても賢くて、過去にだれも考えたこともなかったようなアイディアを思いついたとしても、世の中にあるそれ以外のすべてのものを相手にした激しい競争からは逃れられません。だからこそ、この女性に目を向ける必要があるんです。彼女のような人物は、だれも創り出していませんから。だれも思いついていません。だから、それに敬意を表して、目を向けるために、この作品を『スカーペッタ』と呼ぶことにしました。そうすることで、こんなことを伝えているんです──「ねえみんな、じつはこのシリーズの良いところは、私の知識や法医学の派手なあれこれだけじゃないのよ。ほんとうに大事なのはこの女性、彼女こそがチャームポイントだってことを知ってほしいの」。
Q1:この作品では、スカーペッタが長年いたバージニア州からいろんなところに動きます。どうしてそうしようと思われたのでしょうか。
私がスカーペッタをあちこちへ動かしてきたのは、彼女がリッチモンドを去ったときにどこへ行けば、あとにした世界を心地よく再構築できるのか、その場所を見つけるためだと思います。実際、それを試みてきました。『異邦人』が完成したあと、チャールストンのような場所を舞台にして次の作品を書きたくないと思ったんです。『異邦人』(チャールストンと、イタリアも舞台です)には申し分のない場所でしたが、どこか別のところへ移る時期でした。永住の地とは思えなかったんです。必要なものはもう得たと感じました。それは『神の手』のフロリダでもそうでした。『スカーペッタ』と『スカーペッタ 核心』でニューヨークを使っているのも同じことです。ちょどそのころは、スカーペッタをNY市検屍局で働かせたらおもしろくなりそうな時期でした。経済が大崩れしていた時期です。
もちろん、私もその場にいて影響を受けましたが、それだけではなく、NYで起きていたことも目にしました。広告料の払い手がいなくなって、ビルボードというビルボードがとつぜん空白になり、タクシー・トップからも広告が消えました。ダウンタウンの至るところで、倒産した会社の窓が紙や板でふさがれているのを見かけました。私たちの国の激変を目にするのは、ほんとうに恐ろしい経験でした。そのときの傷はいまだに癒えていないし、私たちの世代では癒えないかもしれません。その環境にしばらく彼女を置いてみたくなったんです。彼女をとおして、私たちの社会や世界の劇的な変化を感じられるのではないかと思って。スカーペッタに関していつも意識しているのは、彼女が現在を生きる存在だということです。世の中でなにが起きようと、それは彼女とともに進んでいきます。彼女はあなたと同じ世界に生きているんです。
Q1:今度は舞台をボストンにしましたがその理由は?
ボストンとその周辺は、テクノロジーと歴史の探索という点で、無限の可能性を秘めています。私がリッチモンドで感じた雰囲気と、とてもよく似ていますね。もちろん、控えめに言っても、ボストンのほうが大きくて、もっと北部的な価値観が幅をきかせていますけど。ニューイングランドとバージニア州リッチモンドでは、政治的な雰囲気がまったく違います。でも、米国黎明期の偉人たちに触れられるところは同じです。
リッチモンドでは、建築物の歴史がはじまったのは南北戦争のころですが、ちょっと川を下れば、ジェームズタウンに行き当たります。米国で最初の植民地ができたところです。たしか1607年──すみません、記憶が定かではありませんが。ともかく、川を下ると、ジェームズタウンがあります。ジョン・スミスが仲間たちとともにそこにたどりつき、ジェームズタウン砦をつくったときにできた植民地です。実質的には、テューダー朝時代にまでさかのぼります。バージニアでいつでも見られるこの大昔のタペストリーとまさに同じものが、マサチューセッツにもあります。道を歩いていると、建国の英雄ポール・リビアの家に出くわします。1812年の戦争を戦った戦艦が係留されていて、軍艦〈オールドアイアンサイズ〉があります。
そして、ほぼ歴史のはじまりにまでさかのぼる、この途方もなく豊かな背景と同時に、ボストン地区には最先端のテクノロジーも存在しています。ハーヴァード大学があって、マサチューセッツ工科大学がある。高等教育の中心地で、最先端テクノロジーの驚異的な発明のいくつかは、この地で生まれたものです。ロボットやバーチャルリアリティ、それになんでもいいのですが──コンピュータとか、その手の最先端技術は特にそうですね。ですから、超ハイテクの世界で生きるスカーペッタがこの地に落ち着き、そうした最先端技術を駆使して犯罪と闘うというのは、理にかなっていると思います。
Q2:放射線医学が影響を与えたものについて教えてください。
『変死体』で興味深いのは、私がずっと以前から、死亡時画像病理診断と呼ばれるものを知っていたということです。これはまったく新しいものではありません。長年議論が交わされていて、最初はヨーロッパで導入されました。米国で使われはじめたそもそものきっかけは、戦争でした。空軍基地で使われたんです。米軍の戦死者はみな、いわゆるオートプシー・イメージングを受けます。つまり、メスを入れるまえにCTスキャンなどをおこない、体内の損傷のすべてを3Dでそのまま見るという手法です。すばらしい技術ですね。遺体がモルグに到着するよりも、衣服が取り除かれるよりもまえに、実際の検屍がおこなわれるわけです。
私はこのシリーズで、スカーペッタにこの技術を使わせてみたかったんです。だれかがそれをはじめるなら、彼女こそその人でしょうから。それで『変死体』では、スカーペッタが軍に加わって、そこで画像病理診断の研修を受けられるようにするために──というのも、この作品の冒頭で、彼女はドーヴァー空軍基地にいて、六ヵ月の法医放射線学研修を終えようとしています──彼女に私たちの知らない過去を与える必要がありました。それは大きな挑戦でした。リッチモンドに来る以前の出来事に関して、彼女は秘密を抱えています。その秘密が、それまで私たちがまったく知らなかった彼女と軍とのつながりを理解する手がかりになります。そして、『変死体』のなかで起きている事件を引き立たせる背景にもなっています。
それから、この作品の舞台を彼女の本拠にしようとも決めました。彼女は法病理学センターの超ハイテクビルで働き、ケンブリッジに住んでいます。ですから──あなたもすぐに気づくと思いますが──あちこちへ居を移して別の事件に取り組むことはなくなるでしょう。ここがホームなんです。
Q3:この作品では三人称から一人称に戻っています。それはなぜでしょう?
長いあいだ三人称で書いてきて──信じてもらえるかどうかわかりませんが──飽きてしまったんです。これまでずっと、いろいろな人の頭のなかに一度ならず入ってきて、彼らとお近づきになれたのはよかったんですけど、やっぱりスカーペッタと時間を過ごしたいと思ったんです。ファンのみなさんもそれを望んでいました。そういう意見が、苦情ではないにしても、ずっと寄せられていましたから。みんな、昔のスカーペッタにもう一度会いたいと思っていたんです。それはいろいろな意味に解釈できますが、ひとつの解釈として、また彼女の頭のなかに入り込みたいという意味もあるんだろうと。それで、『変死体』を〈コカ・コーラ・クラシック〉みたいなものにしようと決めました。つまり、新しいソフトドリンクではあるけれど、そもそもの長所だった特性を備えた飲みもの、ということですね。それで、スカーペッタの頭のなかに戻ったんです。十年近く経ってから戻ったわけですが、まるでもう一度紹介されているような気がしました。というのも、すぐに気づいたんですが、じつはスカーペッタが同じ人間ではなくなっていたからです。彼女は変わったんです。ですから、長い年月を経て、これ以上ありえないほど以前とは変わってしまった9・11後のこの世界で、スカーペッタはどんな人になっている? そうしたすべてを、彼女はどうやってくぐり抜けていく? なんてことを探究する作業はとても楽しかったですね。
Q1:『血霧』では、私たちは最新技術や機器を持たないスカーペッタに遭遇します。最新テクノロジーが紹介された前作とはかなり異なりますが、なぜこのようなシチュエーションを選んだのでしょうか。
ご存じのように、『変死体』では、利用できるテクノロジーの種類という点で、スカーペッタはオリュンポス山の頂上を極めました。ロボットからケンブリッジのハイテクビル、オートプシー・イメージングに使うスキャナに至るまで、あらゆるものが登場しました。そんなふうになにもかも出したのは、なにができるのかを読者に伝えるためですが、いま心配すべき犯罪の種類を伝えるという狙いもあります──そうした犯罪を、私は国内テロと呼んでいますが。それが『変死体』で描きはじめたことです。私たちが他国民にされるかもしれないと恐れていることを、普通の人々──つまり米国民がしているのだということを描きたかったんです。『血霧』でもそれを引き継いでいますが、『変死体』でテクノロジーのテーマパークをお見せしたあとですから、少し逆方向に行ってみることにしました。
それで、荒涼とした沿岸地方のただなかに読者を引っぱりこんだわけです。スカーペッタはぼろぼろの古いバンで湿地を抜け、この荒れ果てた地域のでこぼこの田舎道を走り、女子刑務所を目ざします。バンにはエアコンはなく、彼女は汗だくです。車はこれ以上ないほど旧式です。そんなときあなたならどうする? と考えたんです。この作品はサヴァンナで幕を開けます。スカーペッタはそこで囚人と面会します。それは『変死体』で起きた事件と関係していて、もちろん、彼女は事件に巻き込まれています。陰謀のただなかにいますが、やがてそれは、なんらかのかたちでみなに大きな衝撃を与えることになります。なによりも、もう何年も目にしていなかった人物に出くわします。それはあまり幸せな体験ではありません。女子刑務所のなかで、とてもなじみのある顔を見かけるわけですから。(この作品では)死刑と薬物注射をめぐる多くの現実を描いていますが、スカーペッタはいつもの道具を持っていません。というのも、けっきょく物語全体をつうじてその地にとどまり、あまり洗練されているとはいえない検屍局で仕事をするからです。でも、彼女は仕事をやりとげます。読者のみなさんにも、丸々一冊をかけて、彼女と一緒にその地を体験するのを楽しんでもらえると思います。
Q2:女子刑務所への取材はいかがでしたか?
『血霧』で刑務所を描くための取材で、テネシーにある女子刑務所へ行く許可をもらいました。とてもよく運営されていて、私の本で描かれているような場所ではまったくありません。一日ゆっくりそこで過ごして、隅から隅まで見て回りました。食堂から死刑囚舎房まで、取材目的に関係するあらゆるものを見ました。教室へも行きました。囚人たちが授業を受けるところです。囚人たちが保護された犬の訓練をしている芝生で、彼女たちと話もしました。時間をかけて話をしました。舎房のなかにも入って、それがどんな様子なのかをこの目で見ました。
スカーペッタは女子刑務所内の死亡現場を捜査します。どうやって警備をくぐり抜けたのか、どこを通ったのか、それはどんなふうだったのか、監房の中はどうなっているのか、すべてを体験してみたかったんです。実際に感じて、耳にしてみたかった。その体験を『血霧』で描きました。女子刑務所というのは、とても大きな設定ですから。