写真と俳句を組み合わせる新しい表現方法「写真俳句」を提唱し、実践する森村さん。訪問してくるねこや散歩コースで出会うねこたちのしぐさをとらえてパチリ、そして俳句をひねる。その作品の一部をご紹介します。撮影:森村誠一
人生や世相を鮮やかに映し出す森村さんのエッセイのなかから、人とねこの関係をつづった“名語録”をご紹介します。
我が家は歴代猫派である。なぜ猫派になったのか、その辺のところは語り伝えられていないが、初代は野良が迷い込んで来て居ついてしまったらしい。(『運命の猫』より)
私の十代前半、太平洋戦争末期から戦後の混乱時代、昭和19年(1944年)以後、敗戦後数年にかけて、私の郷里の町から猫の姿が消えた。私の家の朝食の膳に、まず卵が現われ、そして街角に猫の姿を見かけるようになってから、私はようやく日本に平和が回復したのを実感した。(『猫の大将首』より)
我が家の初代上がり込み化け猫クロが、夏の夕陽を背負って別れを告げに来たことは、いまもって忘れられない。
化け猫はきっと、あの世で美猫に化けているかもしれない。(『別れ猫(グッバイ・キャット)』より)
私が仕事をしているとデスクの上に這い上がり、目の前にある原稿の上でアンモナイトとなる。次に私の方へ顔を向けて香箱座りをする。(中略)猫は仕事の天敵であり、自由を束縛する悪魔であるが、この天敵と悪魔は猫派の人間にとって、なくてはならない存在である。締め切りが押し詰まるにつれて、我が家のちび黒はその悪魔性をますます発揮する。(『アンモナイト猫』より)
年が変わる大晦日の夜、紅白歌合戦を聴くために、ちび黒以下三匹はテレビの前に集まる。彼らは紅白のファンなのである。特に終盤の『津軽海峡・冬景色』が好きなのである。(『潔い猫(カウント・ダウン・キャッツ)』より)