■『神様ゲーム』のおはなし
麻耶雄嵩
講談社の宇山日出臣さんからミステリーランドの依頼があったとき、自分に子供向けの小説が書けるかすこぶる懐疑的でした。その時、「いえ、邪悪なものでもいいです。むしろそういう毒を求めているんです!」と、力説されたはずなんですが、結果的に少数派となってしまったようです。
とはいえ、その言葉でずいぶん気が楽になり、筆が遅い自分にしては比較的すんなりと進めることができました。
邪悪さというテーマにおいて、子供にとっていちばん邪悪な仕打ちはなにかというと、真実を突きつけられることではないかと考えました。単純な悪意や暴力も子供を傷つけますが、信じていたものに裏切られることに比べるとダメージは小さいかなと。いじめ問題も、最後は、誰も信じられなく頼れなくなったときに心が折れてしまいます。そしてすれた大人たちと違って、子供というのはまだ世界に理想を期待しています。人に裏切られるよりも世界に裏切られたほうがより衝撃が大きいはず。
昔、新聞の投書欄に「この世界に神はいない。なぜなら未だに戦争や人殺しがなくなっていないから」という中学生の投稿が載っていました。彼はまだ神様を信じているのだなと思いました。期待しているからこそ、神は人を助ける存在であるという前提を無意識に認めてしまっている。
神には二種類あります。世界を創る純粋な神と人を救う宗教の神です。もちろん宗教の神も神としての威容を誇るために創世神話を持っていますが。人は明日への希望がないと生きていけません。そして宗教の神はその希望を現世でなくても与えてくれます。それゆえ多くの救わない純粋なだけの神を駆逐して広まっていきました。その救いの希望が絶たれたとき、なにより神自身から(宗教の)神はいないと宣告されたとき、子供(だけではありませんが)にとってもっとも厳しい成長を迎えることになります。
とはいえ、この物語はほぼ勧善懲悪で出来ています。一部の野良猫を除き、法を犯そうとしたものが、過大であっても罰を受けることになります。子供向けだから、と配慮した唯一の部分ではありました。真実をつきつけるという無慈悲な話なので、せめて一つくらい善行を積んでおこうという、私の免罪符みたいなものです。
麻耶雄嵩
一九六九年生まれ。二〇一一年『隻眼の少女』で推理作家協会賞、本格ミステリ大賞をダブル受賞。本年『さよなら神様』で本格ミステリ大賞を再び受賞!