■行き先の見えない旅
近藤史恵
遠くに連れて行かれる物語が好きだ。旅好きだということも理由のひとつかもしれない。小説でも映画でも旅を扱ったものには、つい心惹かれてしまう。
あてどのない旅、帰ることを考えない旅にはもっと惹かれる。もちろん、現実にそれが起これば楽しいだけでは済まないだろう。故郷を失い、行き場を探す人たちは世界中にたくさんいて、記事を読んだり話を聞いたりするだけで、胸が押し潰されそうになる。だが、物語の中の旅は別だ。物語の中では、孤独にも寄る辺なさにも自由の香りを感じる。そこにわたしはなにかを投影する。それがフィクションの素晴らしさだ。
この小説を書き始めるとき、行き先の見えない旅のことを描こうと思った。小説の中の旅そのものも、そして物語そのものも先が想像できず、考えもしなかったほど遠くまで連れて行かれるような小説が書きたかった。
二十代のとき、はじめてひとりで長い旅に出たのが中国だった。神戸と上海を結ぶ鑑真号というフェリーで大陸に渡った。
中国のいいところは、どこまででも陸づたいに行けることだ。上海や蘇州だけを楽しんで帰ることもできれば、この小説の旅のようにウルムチやカシュガルというヨーロッパの手前まで行くこともできる。何日間も列車に乗り、バスに揺られ、わたしはいろんなことを考えた。そのとき持っていった一冊のノートには、青臭い思考のあれこれが綴られている。
ウルムチに辿り着いたとき、なにかが急に開けたような気がした。天山山脈の青さだったり、空の広さだったり、こんな遠くにまで大地は続いているのだという開放感のせいもあるのだろう。憑きものを落としたようになってわたしは帰国した。
今思えば、わたしはこの小説の中で、そのときの旅をもう一度繰り返したような気がする。主人公のプロフィールも旅に出たわけも、起こった出来事もなにもかも現実からかけ離れているのに、なぜか心情だけがそのときの旅に似ているのだ。
もし、あなたが旅好きならなにかを感じ取っていただけるのではないかと思う。そして、旅好きでなければ、自宅の居心地のいい場所で、この過酷な旅を追体験していただけるとうれしく思う。
近藤史恵
一九六九年大阪府生まれ。一九九三年『凍える島』で鮎川哲也賞受賞。二〇〇八年『サクリファイス』で大藪春彦賞を受賞。他の著書に『薔薇を拒む』など