■風景から聞こえてきた声
小野正嗣
僕は自分の郷里、大分県南部にあるリアス式海岸沿いの小さな土地をモデルとする小説を書いてきた。当然、そこで出会った人たちとの記憶が、登場人物のどこかに投影されているだろう。
作家は個人的な体験という土壌を想像力で耕す。だが小説を書く際、その体験とは必ずしも自分が直接経験したものでなくても構わない。間接的な体験、つまり読んだり聞いたりした話である場合も多い。
本書を生み出す直接のきっかけとなった出来事があったのかどうか。だがこれは無関係ではないだろうと思える記憶がある。
僕が小学校四年くらいの頃だろうか、近所の古い木造の家から毎日のように子供が泣き叫ぶ声が聞こえた。いつまでも執拗に続く。そこにおそらく母親のものだろうが、叱責する声が挟まる。毒を塗った鞭を振り下ろすような声だ。実際に手を上げていたのかもしれない。不安で風景が曇る。
それがいつの間にか、泣き叫ぶ声が耳につかなくなっている。コールタールを塗られ黒ずんだ外壁のその家は空き家として放置され、気づけば取り壊されて畑になっている。そして僕がフランスに留学中に畑の向こうに立派な家が新築され、小さな女の子のいる家庭が引っ越してきている。
風景は変わってしまったが、その畑を見ると不意に、聞いているだけで胸が苦しくなったあの声が甦る。岩に刻み込まれた文字のように、泣き叫ぶ声はそのあまりの激しさゆえに空気に焼き付けられてしまったかのようだ。蝉が鳴こうが台風が風雨で洗おうが、決して消えることはない。
記憶の奥から聞こえてきた泣き声―母親に叱られて、あるいは無視されて泣きわめく子供の声―をかき消そうとするように、そしてその子を大丈夫だと慰めようとするように別の声がかぶさってくる。
「いーんじゃが、いーんじゃが」
誰の発したものなのかわからない。でも確かに聞こえてきたこの声を書きつけたとき、本作の世界が立ち現われた。
主人公の十歳の少年尊に聞こえたのもこの声だ。困難を抱えた兄を思い続けながら、自分たちを捨てた母が決して愛することのできなかった海辺の小さな土地に一人でやって来た少年に、どうしてこの声が聞こえなければならなかったのか。僕はいまもその理由を探し続けている気がする。
小野正嗣
一九七〇年大分県生まれ。二〇一五年『九年前の祈り』で第一五二回芥川賞受賞。現在、立教大学文学部文学科文芸・思想専修准教授。最新刊は『水死人の帰還』