もうひとつのあとがき

■タイトルが難しい。
椹野道流

 拙著「鬼籍通覧」シリーズを書店で注文してくださった方から、「タイトルの画数が多すぎる」というクレームが寄せられたことがあります。

 さらに「タイトルの意味がわからなくて、わざわざ辞書を引く羽目になった」というクレームもあります。

 どちらもごもっともで、申し訳ないことです。でも、辞書は引いたほうがいいと思います。純粋に読み物としてとても面白いですよ、国語辞典。

 それはともかく、「鬼籍通覧」というシリーズ名を考えたのは、まだ新人の頃でした。当時ならではの厨二心溢れるタイトルで、自著なのに少し照れます。

 実は私は昔から、タイトルを考えるのが凄まじく苦手なのです。

 文字にした途端に猛烈にダサく見えてくるし、かといって格好良くしようとすると今度は恥ずかしくてたまらなくなるし、長すぎると覚えてもらえないかもしれないし、短いと作品の内容を反映しにくいし。

 オール日本語がいいかな、英語もちょっと混ぜちゃおうかな、その場合、英語部分はカタカナがいいかなアルファベットでもいいかな、あっでもいい感じに略せるシリーズ名がいいって言うよな、表紙イラストがさらに引き立つ字面がいいな、この言葉は好きだけどネガティブな印象を与えちゃうかな……などと色々考えているうちに、わけがわからなくなってきます。

 さらに担当さんにタイトル案を口頭で伝えなくてはならないときなどは、照れすぎて頭部が爆発四散しそうになります。

 まして、「うーんそれはピンと来ない」などと駄目を出された日には、もう。布団を被って泣くしかありません。

 思いあまって、「鬼籍通覧」では、中国故事から副題を頂戴するという手段を選びました。当時の私、グッジョブ。

 今回の「亡羊の嘆」、「逃げた羊を追いかけたが、分かれ道が多くて羊を見失ってしまい、嘆くこと」転じて、「学問の道が細分化し過ぎて真理を見失い、選択に迷うこと」という意味合いが、作中のどんなエピソードと絡んでいくか、読みながら探っていただくという楽しみ方もあろうかと。

 ちなみに、「亡羊の嘆」のあとは、「池魚の殃」、「南柯の夢」と続きます。そちらもどうぞよろしくお願い致します。

椹野道流

「鬼籍通覧」シリーズのほかに、「最後の晩ごはん」シリーズ(角川文庫)、「右手にメス、左手に花束」シリーズ(二見シャレード文庫)など、著書多数

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