講談社文庫

劣化日本に今こそ必要なヒロイン・水鏡瑞希細谷正充(文芸評論家)

 北川景子主演でテレビドラマ化もされた人気作『探偵の探偵』を、全四巻で一旦完結させた松岡圭祐が、早くも新たなるシリーズを立ち上げた。その第一弾となるのが『水鏡推理』だ。「万能鑑定士Q」シリーズの凜田莉子、「特等添乗員α」シリーズの浅倉絢奈、そして「探偵の探偵」シリーズの紗崎玲奈と、魅力的なヒロインを次々と生み出してきた作者なので、その路線を期待する人も多いことだろう。もちろん期待は叶えられる。本書の主人公は、文部科学省勤務三年目の一般職ヒラ女性職員・水鏡瑞希なのだ。ロングヘアで小顔。華奢な身体だが、バストは豊か。二十五歳の美女である。

 文部科学省に一般職で勤務する澤田翔馬は、ある仕事を通じて、東日本大震災の仮設村に詰めている水鏡瑞希と出会った。仮設村の住人のちょっとしたトラブルを、片っ端から解決していく彼女に、すぐさま魅了された翔馬。さらに、立ち退きを拒否してハンガーストライキをしている男の詐欺行為を、マスコミの前で鮮やかに暴いた瑞希に、同じ一般職として忸怩たるものを感じる。

 しかし彼女の行為は国家公務員としてはやり過ぎであり、懲罰人事で翔馬共々、文部科学省内のタスクフォース送りになる。研究における不正行為・研究費の不正使用を検証するタスクフォースだが、一般職の翔馬と瑞希は、事務を担当するだけだ。実際に動いているのは、総合職の檜木周蔵室長・南條朔也・牧瀬蒼唯の三人である。

震災被災者の過去

 だが、不正の臭いを嗅ぎつけた瑞希は止まらない。一般職の試験に推理力が必要だと思えば、私立探偵に師事して推理の方法について学ぶほどの行動力の持ち主だ。地震予測システムや宇宙エレベーターの物資運搬装置など、認可されれば巨大な予算の動く実験に潜んだ詐欺行為を、次々と暴いていく。そこには阪神大震災で父方の祖母と一歳下の弟を失い、自身も被災者となった彼女の、税金を無駄にしないことで救われる命が存在するという強い信念があった。当初は一般職の瑞希を邪険に扱っていた総合職の三人も、彼女の熱気と実力に巻き込まれ、真剣に検証に取り組むようになる。しかしそこに、瑞希すら追い詰められる、とんでもない事件が起こるのだった。

 博覧強記の美女が、快刀乱麻に謎を解く。本書の内容を一言でいえば、こうなるだろうか。たとえば、地震予測の実現を証明する実験。地震多発国である日本にとって、本当ならば福音である。瑞希の口出しによって再実験することになったが、彼女に対する周囲の目は冷たい。しかもタスクフォースの面々も参加した実験では、装置がはじき出す数値の確かさが、改めて証明されてしまう。いったいどこに詐欺行為があったのか。瑞希の暴く真実は、単純きわまりないが、それだけに効果的な方法であった。

凄いサプライズの連続

 あるいは、宇宙エレベーター(SFファンには軌道エレベーターといった方が、通りがいいだろう)の実現化に大きく近づく、物資の運搬技術。宇宙開発のネックのひとつは、必要な物資を宇宙空間まで持っていくためのコスト高であり、これがクリアされれば飛躍的な発展が予想される。まさに夢の技術だ。しかし瑞希の鮮やかな推理により、きわめて簡単な詐欺行為であることが判明する。その他の件もそうだが、騙しの手口はありふれたもの。でも、文部科学省のタスクフォースによる研究や実験の検証という、いままでにない舞台を作り上げることで、ミステリのサプライズは凄いことになっている。そして、ニューヒロインの名探偵ぶりが際立つのである。

 しかも瑞希の名探偵ぶりは推理だけではない。総合職と一般職は国家公務員として平等の立場であるというのは、建前もいいところ。エリートである総合職は一般職を見下し、顎でこき使う。それが現実だ。ところが研究や検証に疑問を抱いた瑞希は、立場など気にしない。一見、弱々しいようでいて、周囲の思惑も恫喝もぶっ飛ばし、真実めがけて突っ走るのだ。昔から名探偵は傍若無人なキャラクターが多いが、瑞希もそのひとりといっていい。

気持ちのいいミステリ

 ただしだ。彼女がどんな啖呵を切ろうが、どんな無茶な行動をしようが、嫌な感じは受けない。なぜなら瑞希の地位が低いからだ。省内の下働きである一般職が、推理力を武器に、無能な総合職と対峙する。偉そうな口を叩く権力者たちを、たたき潰す。これが痛快でなくて何だというのだろう。「殺人のないミステリ」に、「気持ちのいいミステリ」という宣伝文句を加えたくなる。それほど読み味が痛快なのだ。

 これに関連して、本書のタイトルにも注目したい。『水鏡推理』。もちろん水鏡瑞希の推理という意味だ。しかしタイトルの読み方は〝みかがみすいり〟ではなく〝すいきょうすいり〟である。本書の中で瑞希の父親が彼女に水鏡の意味を尋ね、「水面に姿が映ること……」と答えられると、それを受けて、

「もうひとつ意味があるんだ。水がありのままに物の姿を映すように、対象をよく観察してその真情を見抜き、人の模範となること」

 という場面を見よ。なるほど、これこそがヒロインのキャラクターに込めた、作者の想いであるのだろう。それが分かったことでタイトルにも、大いに納得してしまったのである。

 しかし、さらに連想を逞しくするならば〝すいきょう〟は〝酔狂〟に通じるではないか。ちなみに酔狂には、酒に酔って狂うことの他に、好奇心から人とは違った行動をとることという意味がある。たしかに瑞希の行為は使命感から発しているが、その言動を見ていると、好奇心の持ち主であることも窺える。疑問を覚えれば、自分が納得できる解答を求めずにはいられない。シャーロック・ホームズの時代から連綿と続く、名探偵ならではの〝すいきょう〟を、間違いなく彼女は胸の裡に抱えているのである。

 おっと、ヒロインの魅力に惹かれて、彼女のことを書き過ぎた。物語の内容に戻ろう。幾つものエピソードを団子状にして、連作風に進んでいくストーリーだが、最後のバイオメトリクス遠隔監視捜索システムの件で、長篇としての骨子が露わになる。バイオメトリクス遠隔監視捜索システム?いわゆる顔認証システムの実験に、いかなる詐欺行為が隠されているのか。それを企んだのは誰か。実は、本書の最初の方から、丹念に伏線が張られていたのだ。いや、これには驚いた。あの描写やその描写が、ここに繋がってくるとは(絶句)。瑞希のキャラクターを立てるためだと思っていた家族の設定まで伏線に組み込んだ、作者の手腕に脱帽だ。

殺人のないミステリ

 さて、宣伝文句にもなっているので書いても問題ないと思うが、本書で殺人事件は起こらない。いわゆる「殺人のないミステリ」である。「万能鑑定士Q」「特等添乗員α」シリーズも殺人のないミステリであり、松岡作品のひとつの特色となっている。自家薬籠中の手法であるが、それでも詐欺事件のみで長篇を支えてしまうストーリーの面白さを味わってしまえば、作者の力量を称揚するしかないのである。

 でも、ちょっと待ってほしい。たしかに本書では殺人が起きない。しかし数々の詐欺行為が暴かれることなく、数十億数百億という予算が実現不可能な装置や機械に投入されたらどうだ。必然的に余所の予算が縮小・消滅することになる。それによって本来なら助けられる命が失われるかもしれない。クライマックスで瑞希がいう、

「日本は最先端技術開発の国ですが、無駄遣いをしてる余裕はありません。まして詐欺師にだましとられているようでは、国民の命を奪っているも同然です」

 という言葉が胸に響く。被害者は私たち。しかも知らないうちに、命すら奪われる可能性がある。そう考えれば、どれほど罪深い犯罪か分かろうというものだ。

舞台は実在の組織

水鏡瑞希 イラスト・紺野真弓

 また、地震予測や宇宙エレベーターの件から浮かび上がるのは、最初から詐欺を企んでいたのではないという事実だ。もともとは世の中のためにと高い理念を掲げた事業や研究が、どこかの時点で金を騙し取るだけの詐欺行為に変わってしまう。人間とは度し難いものであり、これを見極めねばならないタスクフォースの使命は重い。本書の冒頭に「〝研究における不正行為・研究費の不正使用に関するタスクフォース〟は、平成二十五年八月、文部科学省内に設置。現在も実在する」と記されているように、タスクフォースは本当に存在する調査機関である。物語ほどドラマチックなことはないだろうが、きちんとした仕事をしていることを願いたい。だが、実際はどうなのだろうか。

 この点についても作者は、鋭い視線を向けている。一例を挙げよう。作中に出てくるSTEP細胞問題だが、いうまでもなく大騒動になったSTAP細胞の件をモデルにしたものである。問題を起こした理研に対する調査と検証には、不要論が叫ばれていたにもかかわらず、莫大な税金が投入された。いかにも日本らしい、お役所仕事だ。ついでに言及すれば、二〇二〇年開催の東京オリンピック・パラリンピックに使用される予定だった、新国立競技場やエンブレムに問題が起きたのも、根っ子の部分ではお役所体質の宿痾が横たわっているのであろう。

 現実は厳しい。だからこそ、水鏡瑞希が必要だ。鋭い推理力と一途な行動力で、自分の信じる正義を貫く。日本という国のために求められる、究極のヒロインがここにいる。

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