全編加筆改稿、「文庫版あとがき」追加『五覚堂の殺人 ~Burning Ship~』周木律

善知鳥神再び。宮司百合子の運命は!? シリーズ第三弾にして周木律第一の集大成。

全面改稿加筆、青柳碧人(「浜村渚の計算ノート」シリーズ)解説が周木律、そしてシリーズを見事に読み解く!
  • 『女系の総督』藤田宜永
  • 五覚堂の殺人 ~Burning Ship~

    周木律 定価:本体840円(税別) 遺産相続のため、館に閉じ込められた志田一族と宮司百合子。メフィスト賞の香り高く、「有り得ない」の連続の傑作ミステリー!

    放浪の数学者、十和田只人は美しき天才、善知鳥神に導かれ第三の館へ。そこで見せられたものは起きたばかりの事件の映像──それは五覚堂に閉じ込められた哲学者、志田幾郎の一族と警察庁キャリア、宮司司の妹、百合子を襲う連続密室殺人だった。「既に起きた」事件に十和田はどう挑むのか。館&理系ミステリ第三弾!全編加筆改稿、「文庫版あとがき」追加!

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web版「もうひとつのあとがき」

五覚堂の殺人 ~Burning Ship~

 拙著『五覚堂の殺人』は、個人的に、とても思い入れの深い作品である。

 当時はデビューして三作目、小説家稼業にもそれなりに慣れてきて、少々冒険をしてみた一作であると同時に、その後も継続して小説を書いていけるかどうかの試金石となる、そんなプレッシャーもあった。それが三年後、こうして文庫化されたことは、作者として心から嬉しく感じるところである。

 さて、文庫化に当たってはもちろん、改稿の手を加えているが、その作業中、改めてつくづく思うことがあった。

 それは、フラクタルという現象の妙である。

 本作は、フラクタルという数学的概念をひとつのテーマとしている。この概念は、一言で説明するのが難しい。よく使われる説明は「ある図形の部分が、全体と相似形になっている」というものである。本作にもその具体例がいくつか出てくるので、例示に関してはぜひ本作をお読みいただければと思う。だが個人的には、フラクタルとは、単に部分と全体が相似であるということとは、もう少し別の部分に、その本質があると考えている。それを、多少乱暴ではあるものの、語弊を恐れず、僕なりの言葉を使って説明するならば、フラクタルとはすなわち、「単純さと複雑さとを結びつけるもの」であると考える。

 世界は複雑なものだ──と多くの人は言う。

 この言葉に偽りはない。為替相場は毎日のように予測できない動きをするし、政治はまるで予期しない指導者を戴く。原因不明の不機嫌に振り回される恋人たちは後を絶たず、あったはずのお金がいつの間にか財布から消えている。どれもこれも、ほんの十秒後に何が起こるかさえ見通せない、複雑な世界である。

 一方、やはり多くの人が、世界は意外と単純なものだ、とも考えている。

 褒められれば嬉しいし、けなされれば腹が立つ。イケメンとお金持ちはもてて、信じる者は救われる。何より、アインシュタインが導いた世界の秘密は『E=mc』というシンプルさなのだ。これを単純と言わずして、何と言おう。

 つまり、複雑さと単純さ、両者が共存しているのが、この世界の姿なのだ。

 一聴した限りでは、矛盾しているように思えるかもしれない。だが本当のところ、それでいいのだ。なぜなら、その両者を結びつけるもの、フラクタルが存在するからである。

 単純なものが、複雑な過程から生まれることがある。ある種の金属は、複雑な条件の上に、人工的に作られたのかと思うほど美しい立方体の結晶を作る。一方、単純な規則から、信じられないほど複雑なものが生まれることもある。ライフゲームと呼ばれるシミュレーションでは、ごく単純なルールから驚くほど多様性に富んだパターンが発生するのだ。

 いずれも、単純さ、あるいは複雑さのみを見ていたら理解できない現象である。しかし、その陰に二つの考え方を結びつけるものが潜んでいるとわかれば、これは理解できないのではなく、同じものを二つの側面から見ているにすぎないのだ、と気づけるのである。

 その意味で、例えば「複雑な人」「単純な人」というのは、実は存在しない。

 複雑さと単純さとはフラクタルによって結びつけられている。むしろ、あるのはただフラクタル的な要素のみなのだ。そのいかなる側面が見えたかによって、人の印象は複雑にも、単純にもなるものなのだ。

 一側面だけを見て判断してはならない──経験則的に正しいと思われるこの考え方は、フラクタルによって補強されている。即断しがちな判断であるが、決してそうはならないよう、僕も日々自戒しているところである。

著者紹介|PROFILE
周木律(しゅうき・りつ)

某国立大学建築学科卒業。『眼球堂の殺人~The Book~』(講談社ノベルス、のち講談社文庫)で第47回メフィスト賞を受賞しデビュー。同書に始まる堂″シリーズの他、著書に『アールダーの方舟』(新潮社)、『災厄』『暴走』(KADOKAWA)、『猫又お双と消えた令嬢』『猫又お双と教授の遺言』『猫又お双と一本足の館』(角川文庫)、『不死症』(実業之日本社文庫)などがある。

「堂」シリーズ既刊 『眼球堂の殺人 ~The Book~』『双孔堂の殺人 ~Double Torus~』『五覚堂の殺人 ~Burning Ship~』『伽藍堂の殺人 ~Banach-Tarski Paradox~』『教会堂の殺人 ~Game Theory~』(以下、続刊。いずれも講談社)

キャラクタースケッチ

十和田とわだ只人ただひととは……!?

(シリーズ第1作『眼球堂の殺人』より本文引用)

38歳。「只の人」という名前とは真逆の、
どこをどう切っても只者ではない人間だ。

「ぼさぼさの髪。あご一面の無精髭」 「べっこう縁の眼鏡の奥には色素の薄い大きな瞳」 「学生だった20歳の頃、当時知られていたある未解決問題を証明」 「今後の日本を背負う数学者だ、とまで言われていた」 「28歳の時、彼はなぜか、突如失踪」 「どこへ消えたのか、親しい友人も、家族でさえも、知らなかった」 「心を病み、死を選んでしまったのではないか?」

だが、幸いなことに、その心配は杞憂だった。
すぐに、十和田の噂が……

「ニュージーランドの学会で共同研究発表」 「モンゴルの学者の論文に共著者として彼の名があった」 「オーストリアの社会福祉施設に彼から寄付があった」

そんな噂が、世界中から聞こえてきたのである。
やがて現在、何をしているのかが明らかに……

「鞄一つで世界中を旅し、訪れた先で各地の数学者の家に
無理矢理押し掛けては、共同研究をしているらしい」

いつしか世界の数学者たちは、
十和田のことをこう呼ぶようになっていた。

「放浪の数学者」

宮司司とは……!?

宮司司は警察庁キャリアで階級は警視。 16歳年下の妹、百合子はT大学大学院在学で
十和田只人のファンである。
新キャラクターである彼が、ある目的のため、
Y市Y湖畔の奇妙な建築物「ダブル・トーラス」 に十和田只人を訪ねて車を走らせるところから、
第2作『双孔堂の殺人』は始まる。

(以下、本文より)

最後に、百合子はちくりと言った。 「(中略)それより、そんなに私のことばかり気にしていると、
いつまで経っても結婚できないままになっちゃうよ。
……ねえ、聞いてる? お兄ちゃん」

俺──宮司司が、ひとり十年落ちの車で向かっているのは、
Y湖畔に建てられた「ダブル・トーラス」と呼ばれる建造物だ。
元々は美術館として設計されたその巨大で奇妙な館は、
現在ある男の私邸として使われているという。
男の名前は、降脇一郎。

善知鳥うとうかみとは……!?

善知鳥神について「眼球堂の殺人事件」で十和田はこのように語っている。

「善知鳥神を一言で表すならば、これぞまさに『天才数学者』だ」 「そう。それも、僕が十人束になって掛かっても敵わないくらいの、まさに『千年に一人の天才』だ」

シリーズ第3作『五覚堂の殺人』は西暦2000年4月、
ある場所での十和田只人と善知鳥神の再会から始まる──

(以下、本文より)

「君とこうして話をするのは、いつぶりだろうな」 そう言うと彼は、色素の薄い瞳でしかと眼前を見据える。 (中略) 「僕をなぜ、ここに呼んだ。善知鳥神くん」 その問いに、神はいたずらっぽい表情を返した。 「あなたはなぜ、ここに来たんですか。十和田只人さん」

そこは五覚堂、異形建築の天才、沼四郎による第三の館だった。

「そうか、ここが五覚堂。あの志田幾郎の別荘か」 志田幾郎。 彼が、人々からしばしば「五感の哲学者」と呼び讃たたえられる、 日本を代表する学者であることは、もちろん十和田も知っていた。

「まさか、こんな東北の片田舎に建っていたとは」 感慨深げな十和田に、神は続けた。 「そして、その設計者こそが……」 「沼四郎、だな」 「ええ。」

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