講談社文庫

上田秀人「竜は動かず 奥羽越列藩同盟顛末(上)(下)」

竜は動かず 表紙

『竜は動かず
奥羽越列藩同盟顚末
(上)
万里波濤編』

上田秀人

竜は動かず 表紙

『竜は動かず
奥羽越列藩同盟顚末
(下)
郷里奔走編』

上田秀人

倒幕のうねりは奥州に。
今こそ奥州を一つに するとき。
左太夫は命がけで奔走するが!?
上田秀人が幕末を書く!

繁栄する米国と欧州列強に屈したアジア、 アフリカをその目に焼き付けた玉虫左太夫。だが帰国後にその経験を生かすのは難しかった。郷里仙台に戻れば、下級藩士に戻る左太夫。だが倒幕のうねりは、いよいよ奥州に迫り来た。新政府軍からも列強からも奥州は守らねばならぬ。奥州に押し寄せる倒幕軍。この国の明日のため、左太夫は奔走する!

下級藩士の出ながら学問の志高く、
ポーハタン号乗船の機会を得た左太夫。
米国で歓待される使節団。
だが左太夫の目に焼きついたのは!?

仙台の下級藩士の家に生まれ、江戸で学問を積むためには、逐電するしかなかった玉虫左太夫。やがて頭角をあらわし、勝海舟、坂本龍馬との知己を得る。列強の圧力の中、米国へ向けた使節団がポーハタン号で、品川沖を出発。新見豊前守の従者として乗り込んだ左太夫は、見知ったことを懸命に記録していった。勝海舟、坂本龍馬らとの交流を経て、郷里仙台に戻った左太夫だったが……。

竜は動かず 表紙

『竜は動かず
奥羽越列藩同盟顚末
(上)
万里波濤編』

上田秀人

下級藩士の出ながら学問の志高く、
ポーハタン号乗船の機会を得た左太夫。
米国で歓待される使節団。
だが左太夫の目に焼きついたのは!?

仙台の下級藩士の家に生まれ、江戸で学問を積むためには、逐電するしかなかった玉虫左太夫。やがて頭角をあらわし、勝海舟、坂本龍馬との知己を得る。列強の圧力の中、米国へ向けた使節団がポーハタン号で、品川沖を出発。新見豊前守の従者として乗り込んだ左太夫は、見知ったことを懸命に記録していった。勝海舟、坂本龍馬らとの交流を経て、郷里仙台に戻った左太夫だったが……。

竜は動かず 表紙

『竜は動かず
奥羽越列藩同盟顚末
(下)
郷里奔走編』

上田秀人

倒幕のうねりは奥州に。
今こそ奥州を一つに するとき。
左太夫は命がけで奔走するが!?
上田秀人が幕末を書く!

繁栄する米国と欧州列強に屈したアジア、 アフリカをその目に焼き付けた玉虫左太夫。だが帰国後にその経験を生かすのは難しかった。郷里仙台に戻れば、下級藩士に戻る左太夫。だが倒幕のうねりは、いよいよ奥州に迫り来た。新政府軍からも列強からも奥州は守らねばならぬ。奥州に押し寄せる倒幕軍。この国の明日のため、左太夫は奔走する!

主な登場人物
玉虫左太夫

玉虫左太夫

仙台藩下級藩士。条約批准のための遣米使節に随行して、日本人初の世界一周を果たす。帰国後、藩命で京洛や西国の動きを探った。戊辰戦争がはじまり幕府が傾きだすと、奥羽諸国の間を奔走して「奥羽越列藩同盟」の結成に尽力した。

大槻磐渓

大槻磐渓

仙台藩藩校・養賢堂で教鞭を執る漢学者。「奥羽越列藩同盟」の理論的指導者になった。

伊達義邦

伊達義邦

仙台藩十三代藩主。東国の中では開明的で、左太夫を重用。「奥羽越列藩同盟」の盟主に。

勝海舟

勝海舟

貧乏旗本の出で、遣米使節のころは軍艦操練所教授方頭取。咸臨丸で左太夫と同時に渡米。

坂本龍馬

坂本龍馬

土佐藩脱藩浪士。攘夷派だったが、勝と出会いその弟子に。左太夫ともたびたび交流した。

林復斎

林復斎

後に昌平坂学問所の長官である大学頭に。若き日の左太夫を雇い入れた。

新見豊前守

新見豊前守

万延元年の遣米使節の正使。左太夫を従者にし、世界一周を共にした。

松平容保

松平容保

会津藩九代藩主。孝明天皇との結びつきが強く、京都守護職を引き受けた。

松平春嶽

松平春嶽

越前福井藩主。将軍選定のとき慶喜を推して、安政の大獄では謹慎に。

久坂玄瑞

久坂玄瑞

長州藩士。吉田松陰の流れをくむ生粋の攘夷論者。禁門の変で討ち死に。

土方歳三

土方歳三

新撰組副長。一時、左太夫も付け狙った。京から会津、仙台へと落ちた。

玉虫左太夫の世界一周航路

玉虫左太夫の世界一周航路

戊辰戦争 奥羽地図

●会津藩救済嘆願のために結成された「奥羽越列藩同盟」。
盟主を仙台藩の伊達義邦、副総裁を米沢藩の上杉斉憲とし、加盟は31藩に及んだ。
左太夫は軍務局議事応接頭取という役職に就いた。

戊辰戦争 奥羽地図

明治元年(1866)
制作/ジェイ・マップ

▲ページトップへ

A:コピー - 高田崇史「古事記異聞」特設サイト