講談社文庫

角田 『森の家』を単行本から文庫にするのに、すごく直されたって聞いたんですが、だいぶ手を入れましたか。

千早 実は直さなかったんです、結局。直そうと思って時間を頂いたんですけど、全部書き直しみたいになってしまうと思ったので、もうこのままにしようと思って。手を入れたのは語句の並び替えや句読点くらいです。

角田 最初、直したかったのは、千早さんの家族観が変わっていたからなんですか。

千早 技術的なこともありますが、大体はそうです。

角田 私も家族観が大きく変わったことがあるので、ぜひその話について聞きたいですね。

千早 書いたときは未婚で、そのあと結婚して家族の見方が変わりました。そして今また家族観がかなりぐらつくことがあって、書き直すんだったらもっと安定したときにしたいなというのもあり、だったらあの時の家族観をそのままでということにしました。

角田 結婚前は家族とか家庭とか、人がひとつ屋根の下に群れて暮らすようなことについて、否定的だったんですか?

千早 そうですね。家族の理想が高すぎたと思うんです。角田さんの『空中庭園』を読んでいて、最後はほっとしたんですけど、途中とても苦しくて。今日はもう読むのが無理だって思って枕の横に置いて寝たら、自分の怒っている声で目が覚めました。昔から怒っている夢をよく見るんですが久々でした。結婚前にはよくあったんです。誰に怒っているかって、母親に対してなんですよ。夢の中で子どもの頃に戻ってしまう。ああ、復活してしまったと思って。『空中庭園』の絵里子とお母さんがすれ違っていて絶対に交わらない感じが、すごくつらかったです。

角田 『森の家』ではみりさん(美里)とお母さんがそんな関係ですね。

千早 そうですね。

角田 すごくやり合っている。

千早 お母さんは過去のことにしていますが、みりちゃんの中にはまだわだかまりがくすぶっている。でも決裂したわけでもないところが……。

千早 かすかな希望は残してますね。

母と娘の関係

角田 私が作家になった二十代の頃って、もっと家族観がしっかりしていたような気がします。今、美里と母の関係みたいな、ちょっと壊れてゆがんだ母子関係を書く人って、私も含めて多いし、母親の依存を娘が描くノンフィクション的なものもあるじゃないですか。でも、二十年くらい前ってそんなこと言っちゃ駄目な雰囲気があった。

千早 絶対に駄目だったんですか。

角田 思っていても、誰も言い出さなかった気がするんです。

千早 私の知り合いの女性作家さんって、母子間の確執がある方が何人かいまして、実は作家になってすごくほっとした部分なんです。作家になる前は、母の考え方が苦手とか母に対して批判的であるのが友達にあまり理解してもらえなかった。一番近くにいる同性で世代も違うのだから、なんらかの軋轢が生じる時期があるのは珍しいことではないと思うのですが。昔もそういう感じですか。

角田 そうですね。その頃の感じって、たぶん親が嫌いとかうまくいっていないみたいなことを言うと、しつけの悪い、育ちの悪いような人に見られた。本当に不良が生まれる家庭のように。今とは違う、言いたいことを言えない自然じゃない気持ち悪さがあった。でも、誰かがきっとそれを言い出して……。

千早 「私は親とは無理だ」みたいな。

角田 うん。それからとりわけ母と娘の関係がクローズアップされて、今のような状況になってきたのかなという気がするんです。

千早 でも逆に、私のひと回り下の若い子は割と親と仲がよかったりする。

角田 私たちは母親とものすごく見えないバトルをしてきて傷付いた世代で、だからかえって子供との関係に慎重だったのではないかなと思います。二十歳ぐらいの子供をもつ同級生を見ていても、彼女たちは子供にいろいろ忖度してあげている。

千早 回ってきちゃうんですね、なるほど。じゃあ、またそのひと回り下は反抗世代になってくるんですかね?

角田 なるのかもしれない。

千早 なんか永遠に堂々巡りですね。

家族への疑念

角田 千早さんは家族をどう考えていたんですか?

千早 私は小さい頃から「家族はなんか変だ」って思っていました。血がつながっているだけなのに、なんで一緒にいるのだろう。友人として出会っていたら仲良くなっただろうか、とか。

角田 それは幾つぐらいのときから。

千早 十歳ぐらいのときからです。私は生意気だったので親に口で反抗するんですよ。それで、親もカチンときてすごく怒られる。自分の意見を言うのは、お金を稼げるようになってからだと言われるので、よしわかった、早くお金を稼いで自立しようって思っていました。

角田 それですぐに家を出たんですか。

千早 大学卒業と同時に出て、それ以降は両親とは暮らしていないですね。

角田 たとえば今みたいな個人としての家族への思いと、小説のときの家族への思いは同じものですか、それともだいぶ違う?

千早 今は違ってきていますが、『森の家』に関しては、そのときのいろいろな憤りや疑問みたいなものがダイレクトに出ちゃった感じがあります。読み返していて「ひー、幼い」って思っちゃう。

角田 具体的にどのあたりが幼いと思えるんでしょうか。

千早 三人とも他人に対して期待が高すぎる。期待が高いから逃げ回りつつもかまってもらいたいみたいな気配がある。いきなり行方をくらます佐藤さんなんて「かまってちゃん」そのものじゃないですか。

角田 私は読みながら、そういう三人だからこそ、この三人での暮らしが続いていくんだろうと思ったんです。

千早 それはそうだと思います。でも、自分の作品って、あまり現実にはなさそうな人間関係を描いていくことが多いんです。こんな三人が存在するのかどうかという根本的な問題がある。それをカバーするにはもう少し筆力が必要だと感じています。課題です。角田さんの作品を読むと、自分の作品が幻想的とよく言われる意味がわかります。

角田 私は、『森の家』は幻想的というより、千早さんが「規定されること」を嫌っているから書かれた小説なのかと感じました。恋人だったらこうでしょとか、親子だったらこうでしょと規定されてしまうことに、作家としてムカついているのかと思ったんです。

千早 なるほど。

角田 作品が怒っているとは思わないんですけど、作家としてなにか強い怒りがある。

千早 それはありますね。

作家の仕事とは?

角田 でも、普通に生きていく分には、『森の家』のような理解しがたい三角関係を自分の人生に持ち込まれたらすごく面倒くさい。だから規定の関係のほうが楽なんだけれど。でも小説家の仕事って、漠然と信じられている規定のものを壊していくことだと私は思っているんです。「え、それ、嘘じゃん」って。

千早 破綻しているようにみえて、『森の家』の三人は共通項があるんですよ。離れていても共通項でカチッとつながっている。でも、『空中庭園』の家族は、全部何でも包み隠さず話すっていう原則なのに、パーティーしていてもみんなバラバラ。開いてみえる家の中にそれぞれの家族のドアが四つあってがっちり鍵がかかっているという、ものすごくシュールなことになっている。卵の殻にこもりながら一緒の場所にいる感じがすごく怖かった。

角田 『森の家』は自由気ままでお互い干渉をしないです。

千早 そうですね、何も束縛しない。『森の家』はまさに『空中庭園』とは正反対の家族ですね。

角田 実は私のデビュー作が、血のつながりではなく気の合う仲間で暮らしていこうっていう、ある意味では、『森の家』に似た三人での疑似家族についての話だったんです(恋人でも家族でもない女一人と男二人の同居生活を描いた「幸福な遊戯」〈同名の単行本に収録の短編、一九九一年刊行〉。私も書き始めるときに制度としての家族とか結婚に対して非常に疑いがあった。制度に縛られた家族に何のいいことがあるんだろうみたいに思っていて、だから家族じゃないけど家族がつくれるみたいなことを書いたんです。どこか共通点のある人間が集まってきて、なんか居心地のいい暮らしを模索するんだけど結局うまくいかない。疑似家族というか血がつながっていない人たちの共同体を結構書きました。『まどろむ夜のUFO』(一九九六年刊行)とかもそうです。

疑似家族からリアル家族に

千早 そうなんですね。

角田 それでデビューして十二年目に、疑似家族じゃなくて初めて「血のつながった家族を書いてみよう」と思ったのが『空中庭園』だったんです。

千早 どうしてずっと疑似家族ものを書いていたんですか。

角田 やはり家族制度に異を唱えたかった。そして結婚に対しても反駁したかった。二十代だったので婚姻よりも自分たちの意志で一緒にいるほうが確かだろうっていう青い思いがありました。でもそれこそ私も考えが二十年たつうちに変わって、そんなに否定するものでもないって。

千早 それはそれで楽だ、という感じですか?

結婚して変わったこと

角田 わかりやすいほうがいいかも、みたいに変わってきました。

千早 やっぱり変わるんですかね。私もずっと結婚しないって十歳ぐらいの頃から思っていたのに。高校でも大学でも周りから「千早は結婚しないよね」って言われていて。自分には向かないように感じていましたね。それなのに三十過ぎて、今の夫とひょいっと結婚してしまった。ところがそのとき母親や家族に抱いていたいろいろなコンプレックスが急に解消されたんです。結局、家族をつくれない自分のコンプレックスが反抗心を生みだしていたのかなと、がっかりしました。

角田 それは「母のようにはできない」みたいなこと?

千早 自分は母とは違う、母のようにはならないと反抗しながらも、本当はどうなるかわからないし独り身では証明できない。結婚したら「家族をつくれたよ、私」って、同じ場所に立って親に意見を言える。立てたけど嫌いよっていうのと、立てないけど嫌いっていうのは違うじゃないですか。結婚した自分が精神的に落ち着いていることに気付いた時、「うわ、自分ってなんて小さい」って思ったんです。だから今はもう結婚反対とは言えないです。

角田 でも、そうなると子供を持つ持たないにも関係してきませんか。

千早 そうですね。母を否定するために、自分も子供を持って同じ立場になったけど、あんたとは違うよってできる。『空中庭園』の絵里子みたいな感じですね。私はできたよ、あんたはできていなかったよって。でも永遠に張り合い続けるのも、自分のコンプレックス解消のために子供を産むのも虚しいですよね。結婚して、一歩ひいて家族を見ることができるようになった気がします。

 角田さんは家族嫌いだったんですか。

家族の嘘

角田 私は自分の感情を小説にまったく落とし込まないので、自分の家族ではなく、世の家族像に対して思うところはありました。

千早 疑問があったんですか。

角田 そうですね。「幸福な遊戯」で書いたんですけど、夕食が終わった後にみんなでコーヒーを飲んで団欒してるコーヒーのコマーシャルを思い出して、おかしいと主人公が思うんです。

千早 本当に団欒が楽しいですか、と?

角田 家族っていいものであるべきという考えを無意識にさせているのはテレビだ、宣伝だと思って。意外に底が浅いんだと感じたのが前提にあった。自分の家族に対する気持ちとは全然リンクしてないですね。

千早 社会的な問題意識から書くんですか。

角田 『空中庭園』も書こうと思ったきっかけが、東京郊外のある場所に友達に呼ばれて遊びに行ったこと。ちょうどクリスマスの時期で、ものすごいネオンなんです。そこはネオン通りと言われているらしくて、全ての家がサンタとかトナカイとか飾っている。でもイルミネーションが全部外側を向いていたんですよね。道行く人が見るように。

千早 はしごにサンタが登っているやつとか、まるで泥棒みたいでぎょっとしますよね。

角田 どうしちゃったの、この一帯すごいなって思っていたんですが、そのすぐ後に北欧に仕事で行ったんです。家々のベランダの花瓶が、全部窓の外じゃなくて内側を向いていた。花が外から通る人には見えなくて、家の中の人に見えるようになっていた。そのとき、あそことは正反対だって思ったんです。あの煌びやかなネオンを自分たちが見るのではなく人に見せるってなんなのだろうって。そうして外に向かって一生懸命取り繕って幸せですって言ってなきゃいけない家族を描いてみたいと思ったんです。

千早 それって一軒がやるから周りもやるんですよね。隣がキラキラして幸せそう、じゃあウチもと。すると、やっていない家が不幸せそうに見えてしまうからみんなやってしまうんでしょうか。

角田 自分がデビュー作を書いたときの家族の了解事項としての、コーヒーを飲む自分たちって幸せだよね、というのからさらに十年たって、ついには外に向かって言わなきゃ気が済まない状況になってしまったと見えたんですよね。つまりそれくらい家族が崩壊している。

千早 そうですね。本当に幸せだったらわざわざ言わなくたっていいですよね。

角田 ですよね。だから、余計ヒステリックに「幸せです」って言わないと、家族っていうものは成り立たないのかなって思ったのが『空中庭園』なんです。でも『森の家』を読むと、もっと壊れていると感じられる。

千早 たしかに壊れています。あまりこれは普通じゃない。

角田 普通の家族ではないですけどね。

わからない登場人物

角田 ところで、佐藤さんとまりも君は親子なんですか。

千早 わからないですね。

角田 自分でもわからない?

千早 わからないです。もっとすごく変な人がいるじゃないですか。だれとでも関係してしまう、まりも君のお母さん。彼女は本当にわからない人ですね。

角田 書いていてもわからなかった。

千早 うーん、怖いな、この人はと思いながら書いていました。

角田 このお母さんが私も実はすごくわからなくて、もうすごく深いところに手を伸ばせば伸ばすほど奥が深くなっていくような怖さがあった。作者は彼女をわかっているのだろうかと感じながら読んでました。

千早 わからないです。底なしの沼のようで。

角田 でも、わからずに描くっていうことはものすごく勇気のいることです。私にも似たような経験があります。

千早 書いていてわからなくても、そんな人をどこかで知っているような気がするんですよね。自分の中にあるのか、知人の中に垣間見てしまったものなのか、やはりわからないんですけど。

角田 そうですね。

個の時代(ただしイケメン限定)

千早 いまは個を優先していい時代だと思うんです、たぶんちょっと上の世代ってそんなに個を出しちゃ駄目だったんですよね。

角田 そうですね。

千早 ただし個を出していいのは限られた人だけです。「ただしイケメンに限る」という言葉が流行りましたが、そんな感じで。佐藤さんとかまりも君は育ちが良さそうに見えるからある程度許されるんですよね。

角田 個を出しても?

千早 佐藤さんが見た目も明らかに駄目な感じだったらやってはいけない。中が壊れていても外側を取り繕っていればあとはいいでしょ的な男性は私たちの世代には多い気がします。みんな器用で人当たりは良くて口調は優しい。でも縛られるのは嫌い。全然結婚しないとか。

角田 そうだ、みんな結婚しなくなったんだ。

千早 しなくなりましたね。でも大体おしゃれでそつがなくて料理とかもできて、男性の質的には上がっている。

角田 男の子があまり口説かなくなったじゃないですか。

千早 やらずに逃げちゃうらしいですね。

角田 うん。そうですよ。普通はやり逃げだ。

千早 そう、やり逃げじゃなくて「やらず逃げ」です。で、女の子が怒る。「ちっとも手を出してくれないの」って、最近やらず逃げの被害ばっかり女子友から聞いています。

角田 それもあるときから反転があったんじゃないですか。

千早 いつからなんでしょうね。

角田 きっと千早さんの世代ぐらいだと思います。

千早 そうですね。すみません、われらの世代の男性たちに代わって謝ります(笑)。

角田 デートにさえ誘わない。

誘わない男

千早 友達って、普通はこちらが誘ったのを都合が悪くて断った場合、埋め合わせに誘い返してくれるものじゃないですか。それなのに全然誘ってくれず、いつもこちらから声をかけていて、私が嫌われているんじゃないかと思っていたら「違います。僕は誘うのが苦手なんです」って言われたことがあります。

角田 誘えば来るんですよね。

千早 そうです。誘われるのは嬉しいそうです。でも自分からは誘わない。「だって、断られたら傷付くじゃないですか」って言うんですよ。相手が傷付くのはどうでもいいわけ(笑)?

角田 そうそう。十年ぐらい前に二十代のカップルを飲み屋とかで見るたびに、私は独自のアンケートをしていたんですよ。「あなたたち今二人で飲みに来ているけどどっちから誘ったの?」って。本当にたくさん聞いたんだけど八割方、女から誘ったそうで。男に「じゃあ誘われるのを待っていたの?」って言ったら「待っていました」って普通に答えられて。いやー、時代が変わったと思った。

千早 そうですね。四十代ぐらいの男性の方は誘ってくれるんですが。

おひとりさま枠創設

角田 一回結婚しないブームが来て、「おひとりさま」とか言われるようになったりして、老後どうするかをみんな一斉に考え出したじゃないですか。

千早 なんで社会はおひとりさまを許容しないと落ち着かないんでしょうか。

角田 以前は本当におひとりさまは認められていなかったと思うんです。枠がなかった。

千早 おひとりさま枠、ですね。

角田 結婚しないで女性が生きる形がなかったんですね。だから、誰かが声を上げて初めて場所ができて、女性が結婚しなくてもおかしくないっていう考えができた。そして、じゃあ老後どうしていくかというきちんとした問題になった。その点、男性はどう考えているんでしょう。

千早 『森の家』を単行本で出したときは、若い男の子が佐藤さんやまりも君に共感するって言ってくれたんです。二十代の男の子から、僕はセックスがしたくないです、でも結婚しなきゃいけないから悩んでいる、という相談も受けたことがあります。彼女もしたくない方らしいです。

角田 したくない同士が結婚。

千早 したくない同士で結婚して、でも子供をつくるにはしなくてはいけないからどうしよう、と。私に相談されても困る(笑)。

角田 でも、確かに佐藤さんとまりも君が持っている一種の清潔感のような澱まない感じは、若い世代の男性の理想になっているのかもしれないですね。

千早 男性の若い子って性欲があることが恥ずかしいと感じる子もいますからね。「誘ったりして下心があると思われたら恥ずかしいじゃないですか」とか言って。誰がご飯食べに行くぐらいでそんなこと思うかと。

角田 なんか繊細ですよね。

千早 扱いが難しいですね。女性の方が繋がりを求めている印象はあります。でも、そうか、これからはおひとりさまの時代なんですね。これから家族をつくるのは簡単ではないということなのですかね。

新しい家族の誕生

角田 もしかしたら『森の家』のように、思ってもみない形の家族っていうのができてくるのかもしれないですよね。

千早 そうですね。『メゾン・ド・ヒミコ』っていう映画があるじゃないですか。ゲイの「おばあちゃん」たちが、自分たちでつくった老人ホームで暮らしてる話ですけど、「メゾン・ド・チハヤ」やってよってよく女友達に言われるんです。私の友達も結婚していない子が多いので、このままでいくとおひとりさまだから、みんなで老後に家族になろうよって。結婚した子は結婚した子で「どうせ旦那は先に死んじゃうし、子供は頼りにならないし、私もそこに入る」とか言っていて。結婚してもしなくても、みんな不安なんですよ。

角田 私の周りでも、みんなで暮らす家をつくろうとか、同じ集落に住んでとかっていうのをすごくよく聞く。本当にそういうのが一般的になっていくような気もしますね。

千早 そうですね。でも一人だと人生が無駄に長いような気もしますが(笑)。



(11月10日、講談社にて)

千早 茜
『森の家』
そこは誰も正しくなくていい。
新しい「家族」のかたち。

自由のない家族関係を嫌う美里は、一回り年上の恋人と彼の息子が住む家に転がりこむ。お互いに深く干渉しない気ままな生活を楽しむ美里だったが、突然の恋人の失踪でそれは破られた。崩壊寸前の疑似家族は恢復するのか?血の繫がりを憎むのに、それを諦めきれない3人。次世代を担う女流作家の新家族小説。

定価:本体600円(税別)
>>講談社BOOK倶楽部