『陽昇る国、伊勢 古事記異聞』
										 前回までの「出雲」に続き、今回、橘樹雅がチャレンジするのは「伊勢神宮」です。
										 正式名称は、ただ「神宮」。
										 内宮である「皇大神宮」と、外宮の「豊受大神宮」の総面積は、東京・世田谷区の面積とほぼ等しい広大な神域を持ち、摂末社、所管社などを合わせると百二十五社にものぼるという、その名の通りの「大神宮」です。
										 主祭神はもちろん、天照大神。
										 皇室の祖先神を祀るというこの神宮には、他の神社とは異なる点がいくつも見られます。
										まず「狛犬がいない」「お神籤がない」「賽銭箱が置かれていない」「拝殿前の鈴がない」「注連縄がない」などなど。
										これらの理由は文中にも書いたように簡単に説明がつきます。
										 ところが、全く論理的に説明がつかない謎も存在しているのです。
										 第一に「外宮先祭(げくうせんさい)」の謎。
										天照大神がいらっしゃる「内宮」より先に「外宮」でお祭りが執り行われ、我々も伊勢神宮に参拝する際には外宮からお参りしなくてはならないと決められています。何故なのでしょうか。
										 第二に「男千木(おちぎ)・女千木(めちぎ)」の謎。
										千木というのは、現在では殆ど装飾となっていますが、神社本殿の屋根の端に付いている破風の先端が延びて交差している角(つの)のような木です。
										 この部分が外削ぎとなっているものを「男千木」、内削ぎになっているものを「女千木」と呼ぶのですが、原則的に「男神」を祀る社では「男千木」、「女神」を祀る社は「女千木」となっています。
										「原則的に」というのは、その最も大きな例外が「伊勢神宮」だからなのです。伊勢神宮のために「男千木・女千木」の原則が崩れていると言っても過言ではありません。
										 これは一体、どういうことなのでしょうか?
										 また、天皇家の祖神である天照大神を祀っているのですから、歴代の天皇は誰もが参拝しているように思われがちですが、実は神宮に参拝されるようになったのは明治天皇以降なのです。それまで百二十代以上にわたる歴代の天皇は、誰一人として伊勢神宮に参拝されていません。足を運んだ天皇すら持統天皇一人だけです。
										 逆に言えば、持統天皇は参拝するわけでもないのに、どうして神宮に足を運んだのでしょう。そして、明治天皇は何故、千年の慣習を破って参拝されたのか……。
										 伊勢神宮に関する謎は尽きません。
										 果たして橘樹雅は、この深く大きな謎にどこまで迫ることができるでしょうか。
										 ぜひ皆さまも雅とご一緒に、伊勢の旅にお出かけください。 
									

PROFILE
高田崇史(たかだ・たかふみ)
昭和33年東京都生まれ。明治薬科大学卒業。『QED 百人一首の呪』で、第9回メフィスト賞を受賞し、デビュー。歴史ミステリを精力的に書きつづけている。近著は『江ノ島奇譚』『猿田彦の怨霊 小余綾俊輔の封印講義』など。
昭和33年東京都生まれ。明治薬科大学卒業。『QED 百人一首の呪』で、第9回メフィスト賞を受賞し、デビュー。歴史ミステリを精力的に書きつづけている。近著は『江ノ島奇譚』『猿田彦の怨霊 小余綾俊輔の封印講義』など。


									
							




									
							
						
											
								
												
												
									
								
											
										
													
													
													
													
											
									
															
													
															
													
															
													
															
													
											
											
												
									
