小学校の図書室に置かれるような、子どもむけの本を依頼されて、この小説を書くことになった。本の体裁について幾つかの決まり事があった。文字の大きさや、漢字にはすべてルビをふることなどだ。文庫版ではその制約もなくなったとはおもうが、当時、ルビが好きではない僕は、次のようにかんがえた。漢字をできるだけ減らし、ひらがなばかりの本を書こうと。漢字を減らすこと、それは僕の悲願でもあったのだ。
僕は漢字というものが苦手だ。子供のころ、漢字のテストができなくて、居残りをさせられた記憶がある。特に苦手な漢字は【短い】だ。【矢】と【豆】のどちらが右側でどちらが左側だったかわからなくなる。大人になった今でもそうだ。脳に欠陥があるのかもしれない。少年だった僕は真剣に思い詰めて、屈折し、自分をこんな目にあわせる漢字というものに憎しみを募らせた。
そういうわけで嫌がらせのようにこの小説では漢字をひらがなに変換した。この世から一掃するかのように漢字を駆逐したのである。「ちょっとやりすぎでは〜?」という編集者の心の声をスルーしながら、漢字を国外に追放し、あるいは処刑し、絶滅寸前まで追い込んだ。漢字をガス室に送って虐殺し、ひらがなばかりの世界を目指した。この作品は漢字に対する憎悪の結晶とも言えるだろう。
冗談はさておき。これを書くすこし前にポーランドへ行く機会があったのだ。アウシュヴィッツ収容所には立ち寄れなかったが、この国の地面で、それがおこなわれたのだとおもいながら石畳をあるいた。旅で感じたことを少年の冒険活劇に重ねようと決めた。作中で詳しく書いてないが、主人公の少年はユダヤ系の移民という設定だ。
冒険活劇を書くのは、はじめてのことだった。自分にそんなものが書けるのかどうかもわからなかった。頭の中に想定した読者像は、小学生のころの自分だ。漢字のテストができなくて居残りして、脳に欠陥があるんじゃないかと思い詰めてうなだれている少年の僕にむけてこの本を書いた。個人的趣味の物語とも言える。執筆中、とてもたのしかった。
最後に一言、言わせてほしい。漢字に対する僕のヒトラー的な悪行、そんな文章で綴られる少年の成長、果たして読者の目にどう映るのか••••••、心配しかないっ!
「IN★POCKET」2016年8月号より2003年『GOTH』で本格ミステリ大賞を受賞。マンガ原作、映画脚本執筆、別ペンネーム(?)での活動など、縦横無尽な創作活動を続ける人気作家