もうひとつのあとがき

■チャレンジの一作
葉真中 顕

 本作『ブラック・ドッグ』は、私にとって三冊目になる長編小説であり、初めての連載作品でもある。

 これ以前に発表した二作は、どちらも現実の社会問題を題材にとった社会派ミステリーと呼ばれるタイプの作品だった。が、本作では芸域を広げる意味でも、これまでとは毛色の違うアッパー系(?)のパニック・エンタテインメントに挑戦することにした。

 といっても社会的なテーマも盛り込んでおり、日本ではあまり馴染みのない「スピーシズム(種差別)」や「アニマル・ライツ(動物の権利)」という思想を扱った。

 これはざっくり言うと「動物も人間と同等の権利主体であり、人間と扱いを変えるのは差別である」という考え方だ。当然、この立場では動物実験はおろか、肉食や動物園まで、「動物の権利を無視した利用」はすべて否定される。かなりラディカルな思想である。

 たぶん、ほとんどの人が「んな、アホな!」と思うだろう。しかしアニマル・ライツは倫理学の世界では、長年真面目に議論されている命題なのだ。

 作品にも取り入れているが、現代人が普通に享受している「倫理」を突き詰めて考えると、アニマル・ライツを否定するのは理論的に難しくなる。

 事実、海外では動物に人権があるかを問う裁判も行われており、アルゼンチンでは、なんとオランウータンに人権と同等の権利を認める判決も出されている。

 もちろんこういった思想的な背景は小説の味付けであり、私自身は肉も食べるし、動物に人権を認めるべきとは思わない。

 ただ私は、小説の大きな役割の一つに「物事の自明性を疑う」ということがあると考えており、アニマル・ライツの考え方は、そのための題材として、うってつけと思えたのだ。

 初めての連載、初めてのジャンル、そして意欲的なテーマと、本作は私にとって三つのチャレンジが重なった作品である。

 原稿用紙九〇〇枚にも及ぶ長編で、単行本は相当な分厚さになってしまったが、今回の文庫化でかなり手に取りやすくなったと思う。

 これを機に、私のチャレンジが成功しているか否か、是非、確かめていただきたい。

葉真中 顕

一九七六年生まれ。二〇一三年『ロスト・ケア』で第十六回日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞。著書に『絶叫』『コクーン』『政治的に正しい警察小説』がある

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