もうひとつのあとがき

■室町時代に行きたい! 芳一に会いたい!
堀川アサコ

 以前、脇田晴子氏の『室町時代』(中公新書)を読んだ。

 その冒頭近く、室町時代のイメージと現実についての記述を抜粋する。


・背戸に桃や梅の花咲く藁屋根の農家が田畠の間に点在する
・寛正の大飢饉に京都の鴨河原は死体で埋まった
・やたらに僧侶が多く、男女の半分が僧尼で、誦経の声ばかり聞える
・肥沃な農村、市のにぎわい、港津の殷賑、それらに象徴される富(中略)。その富をもつ人は、すなわち徳のある人と考えられ、「有徳人」とよばれた ・寺社門前には土車のまま移動する乞食がいた。その状況は、「弱法師」「土車」など、能楽の題材となって―


 この混沌に、はまった。

 まるで泥の中に落ちた宝石。咲いたまま枯れてゆく花。

 こんな世界ではきっと、芳しくも怪しげなお香の煙がとぐろを巻き―悪党たちが暗い死角にひそみ―美しい悪女がたくらみごとをしている。

 いや、実際にそんな面倒くさい中で生活するなんて、気ぜわしくて仕方なさそうだけど、活字の中で遊ぶには最高に面白い。

 そこで『芳一』という小説を書いた。

 わたしの芳一は、かの『耳なし芳一』に題材を得ているが、最後まで読んでも、耳は失わない。芳一は目も人一倍に見えている。おまけにコソ泥の真似もする。しょっちゅう捕らえられている。人をだまし、そしてよくだまされる。

 ただ、琵琶語りの腕前だけは本家芳一に劣らない。その巧みさと情感に、亡くなったひとの魂も聞きほれるし、芳一が琵琶をかき鳴らせば夜のしじまに合戦の喧噪を起こすことさえできる。

 そんな芳一が、歌下手の公卿・三位の大殿と、堅物な豪傑・桜太丸とともに、鎌倉〜京都〜博多と旅をして幕府の意外な敵の正体に迫る。その背後に見え隠れするナゾの《北条文書》とは―。

『芳一』は、室町時代というめっぽう面白い時代で遊べる、小説の形をした娯楽のための迷宮である。もしもよろしければ、冬の日のつれづれに、迷い込むのも一興かと。

堀川アサコ

1964年青森県生まれ。『闇鏡』で第18回日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞しデビュー。「幻想」シリーズ、「たましくる」シリーズなど著書多数


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