もうひとつのあとがき

■「鬼」と「日本画」
梨沙

 鬼と聞いて『桃太郎』を思い浮かべる人は少なくないと思う。イメージとしては人々を苦しめる悪辣な妖怪だ。あるいは、姫をさらおうとする『一寸法師』の鬼かもしれない。首だけになっても酒を求める『酒呑童子』や、閻魔大王の下で働く鬼たち、『泣いた赤鬼』のように人に好意的な鬼を思い浮かべたりする人もいるだろう。その外見は真っ赤な肌に鋭い角、眼光鋭く筋骨隆々と相場が決まっている。私の中の鬼のイメージもまさにそれだった。

 が、いざ執筆となると、なぜか美形設定がついて回る。見てくれがいいほうが筆が乗ると言えば私らしいが、トレードマークの真っ赤な肌に虎パンはどこに落としてきたのか。ずっと奇妙なひっかかりを覚えながら執筆を続けたのは十年以上も前の話だ。今回、文庫化にあたって再びその謎が浮上し改めて鬼という存在に焦点をあてて考えた。やっぱり真っ赤な肌に虎パンだった。いやいや、そんなはずはない。鬼は美形。これは絶対だ。強く残酷で、そしてなによりゾッとするほど美しい生き物だ―と、記憶を掘り起こしてようやく思い至った。

 どうやら幼少の頃に見た日本画に、それも「幽霊画」に、私は強く影響されているらしい。今見るとおどろおどろしい絵たちが、幼い私には「怖くて美しいもの」に見えていたのだ。幽霊画の多くは女性であるにもかかわらず、私の中では鬼と強く結びついていた。一方で、昔話から影響を受け「鬼は男しかいない」という認識で、創作の下地を作り上げた。ネットで執筆していた当時は、いかに読み手を楽しませるか、夢中にさせるかに心血をそそぎ、リアルタイムで届く感想に一喜一憂していた。感想に飢えていた私は、ホームページに掲示板を設置し、気軽に感想を送れる一言フォームを置き、メールから届く声にドキドキしっぱなしだった。そこで交わされた言葉が物語に反映されたこともある。四季折々、ホームページという限られた空間でイベントなども行っていた。『華鬼』という物語は、読み手と書き手、二人三脚で作り上げた作品だと今でも強く思っている。ネットの片隅で産声をあげた物語がソフトカバーで書籍化され、いよいよ文庫になった。あの頃の熱意が新しい読み手の皆様に無事受け入れられるか―私のドキドキは、十年を経て今も続いている。

梨沙

2007年に、本人開設のウェブサイトで連載していた『華鬼』が書籍化され、映画やゲーム、舞台にもなる。現在も精力的に小説を発表し続ける人気作家


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