■古書店の手水鉢
三木笙子
少し売りに出そうと思って、とその人は言った。
が、いかにも未練たっぷりで、本を手に取っては箱の中に戻すといった仕草を際限なく繰り返している。
石好きというだけあって、持ちこんでいるのは鉱物図鑑から鉱石ラジオの作り方まで石一色である。
行きつけの古書店では常に様々な催しを開いており、その日は店の得意客にみかん箱ひとつ分のスペースを貸し与え、好きなように手持ちの本を売らせていた。
本に触れるときは美しい手で、というこの店の作法に従って、私は店先の小体な庭に置かれた手水鉢で手を洗った。
その際、鉢を撫でることも忘れない。
これはさる蔵書家の屋敷にあったものだそうで、撫でると良い本にめぐりあうことができるという。
──石がお好きですか。
訪ねられたが、私は黙って頁を繰った。
写真は美しいが、石好きの彼には無限の言葉で語りかけているだろう石も、私には文字通り石の沈黙を守っている。
できることなら、とその人は言った。
──まとめて買っていただける方にお譲りしたいのです。
ふいに鹿威しのカンという硬い音が響いて、振り向くと手水鉢から水が溢れ出していた。
本を愛する人間の祈るような想いをこめて撫でられ続けてきた石を濡らして、水がしたたり落ちている。
──あの手水鉢もいい石だ。
その人は目を細めて言った。
──珍しくても珍しくなくても、石なら何でも好きなのです。
そのとき無言の行を続けていた石が、かすかに唇を動かしたように感じた。
私は箱ごと本を買った。
文庫化にあたって『百年の記憶』と改めたが、当初は『決壊石奇譚』というタイトルであった。
「決壊石」とは私の造語である。
石を器と考え、その持ち主の想いがあまりに強かったとき、溢れ出した想いが石のありようを変質させ、特異な力を持つようになるとした。
古書店で譲り受けた一抱えの本が、この不思議な石をめぐる三代の物語となった。
うつろいやすい心を抱えた私たちと永遠の石の物語を楽しんでいただけたらと願う。
三木笙子
二〇〇八年『人魚は空に還る』でデビュー。美しく透明で切ない文体で、独自のミステリー&ファンタジー世界を構築し、今後一層の活躍を期待されている。