もうひとつのあとがき

■千鳥足のひよっこ
中澤日菜子

 いまから考えると無謀すぎるほど無謀な試みだったと思う。デビュー二作目の書き下ろし長編『おまめごとの島』の話である。

「次はなにを書きましょうか」

 当時担当だったО氏とわたしはデビュー作『お父さんと伊藤さん』の改稿作業が終わるやいなやこの難題に取りかかった。

「ナカザワさん、なにか書き溜めてある作品はないですか」О氏に問われたわたしは、ちからなく俯く。もともと劇作家として活動し、あまりに売れないので小説に転向したのだ。書き溜めたものがあるどころか『お父さんと伊藤さん』が生まれて初めて書いた長編小説なぐらいだ。

「そうですか。では書きたいものを書きましょう」О氏が細い目をさらに細めて励ましてくれる。書きたいもの。そのときわたしの脳裏に閃いたのは、その年の夏、家族で旅した瀬戸内海と小豆島の風景だった。緑の穂がなびく美しい棚田。美味しい瀬戸内の食べもの。なにより七百以上あるというちいさな島々──

「瀬戸内、それも小豆島の話が書いてみたいです。この夏三日行っただけですが」

「ほう」

「できれば初めてのスタイル、三人称視点で」

「ほう」

「男性の主人公にしたいです。これも初めての挑戦なので」
「……ほう」О氏の目がふたたび細まる。だが今度はその目に「励まし」ではなく「不安」がはっきりと宿っていた。О氏が目を瞑った。なにごとか思案に暮れているようすである。固唾を呑んで見守るわたし。やがてО氏が瞼を上げた。「……やってみましょう。なにせナカザワさんには失うものなどなにもないですから」きっぱりとした、それは口調だった。

 こうしてわたしは初めて尽くしの二作目に取りかかった。書き始めてすぐ「無謀だった」と後悔した。だがわたしは新人中の新人、ぴよぴよのひよっこである。思い知るがいい、怖いものを知らぬひよっこの恐ろしさを!

 いま読み返すとその無謀さに冷や汗が出る。でもおかげで書くものの幅は確実に広がったと思う。千鳥足のひよっこに我慢強く付き合ってくれたО氏に、いまとなってはただただ感謝するばかりである。

中澤日菜子

1969年、東京都生まれ。劇作家、作家。『お父さんと伊藤さん』で第8回小説現代長編新人賞を受賞。著書に『星球』『ニュータウンクロニクル』など


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