もうひとつのあとがき

■分かりにくいスピンオフ
田牧大和

『錠前破り、銀太』はスピンオフである。

 筆者の他シリーズ「女錠前師 謎とき帖」主人公の緋名とその飼い猫が本作には登場するが、そのことではない。緋名は脇役だ。

 実は本作主人公、銀太の営む『恵比寿蕎麦』が、大部屋女形の奮闘する物語「濱次お役者双六」シリーズに顔を出している。つまり「濱次」のスピンオフの物語なのだ。

 とはいえ、「濱次」を読んで頂いている多くの方は、首を傾げられると思う。『恵比寿蕎麦』の主、銀太は、ちょい役としてさえ、登場していない。

 種明かしをすると、「濱次」第三作『翔ぶ梅』内収録の「とちり蕎麦」で、女形達が『恵比寿蕎麦』の話題で騒いでいるのだ。「不味い蕎麦屋」として。

 自分で登場させておいて妙なものだが、「とちり蕎麦」を書いた時、「不味い蕎麦屋」とはどんな店なのだろう、と興味が湧いた。そして、本作主人公の銀太が生まれた。

 本作の企画時、担当編集氏からは、どうせなら、「旨い蕎麦屋」の方がいいと言われたのだが、スピンオフであることは伏せて、我儘を通させてもらった。『恵比寿蕎麦』は「不味い蕎麦屋」でなければならない。「濱次」の女形達が「不味い」と文句を言っているのだから。

 我儘を押し通した甲斐あって、『恵比寿蕎麦』は、「菜や肴が旨い、うどんはまあまあ、そして、蕎麦が不味い」というおかしな蕎麦屋として、表舞台に立つことになった。

 本作には、「とちり蕎麦」で話題になる「蕎麦札」の記述や、かしましい大部屋女形達、気の小さい天才立作者(劇作家)の気配を、ほんの少しずつちりばめた。「濱次」をご存じの方は、探してみて頂きたい。そして、喧しくも愉快な連中が『恵比寿蕎麦』にいる風景を思い浮かべて頂けたら幸いである。

 勿論「濱次」をご存じなくても、『錠前破り、銀太』は、お楽しみいただけると思う。

 なにしろ、「濱次」を手掛けた関係者が誰一人気付かなかった(多分)、飛び切り分かりにくいスピンオフなのだから。

 これは、筆者が一人でこっそり楽しむだけにしておこうと思った裏話だ。けれど、賑やかな「濱次」や「銀太」の登場人物達が「それは、寂しい」と文句を言っているような気がしたので、打ち明けさせて頂いた次第である。

書下ろし、傑作時代ミステリー

田牧大和

1966年、東京都生まれ。2007年、「色には出でじ風に牽牛」(『花合せ 濱次お役者双六』に改題)で、小説現代長編新人賞を受賞しデビュー。著書多数

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