『眼球堂の殺人 ~The Book~』周木律

新たな館&理系ミステリ。シリーズ第一作

“堂”シリーズ、文庫刊行開始! 放浪の数学者探偵、降臨!

周木律“堂”シリーズ、講談社文庫より続々刊行予定!

  • 眼球堂の殺人 ~The Book~眼球堂の殺人~The Book~
  • 双孔堂の殺人 ~Double Torus~双孔堂の殺人~Double Torus~
  • 五覚堂の殺人 ~Burning Ship~五覚堂の殺人~Burning Ship~

web版「もうひとつのあとがき」

眼球堂の殺人 ~The Book~

 建築物は、二つの主役を意識して作られる。ひとつは人間、もうひとつは建物だ。

 人間を主役とするとき、建築物はいかに人間にとって便利であるかという観点から作られる。暮らしやすさ、過ごしやすさ、使いやすさ、耐久性、経済性、こういった要素に重きが置かれる。一般的な建売住宅やオフィスビルはおおよそ、人間が主役の建物である。

 一方、建物を主役とするとき、建築物はその存在自体が意味あるように作られる。意匠、芸術性、存在意義、あるいはそれ自体の意味といった要素に重きが置かれる。一部のデザイナーズ住宅やモニュメントは、おおむね建物が主役であると言っていいだろう。

 これらは、人間主義と建物主義と言い換えてもいいかもしれない。人間主義においては、まず人間側の目的があって、その目的地点に向けて設計がなされるが、建物主義においては、まず建物ありきで話が始まる。その建物自体が存在することが、建物主義の目的だからである。

 世の建築物は、ほとんど人間主義に基づいて建てられている。理由は明白で、世の中を便利にしないものにはなかなか金が出ないからである。だが、建物だらけの都会を見回してみればわかるように、人間主義の建物はあまり面白くない。どれもこれも同じ色、形、素材、感触、単価で作られていて、代わり映えがしない。

 要するに人間主義というのは、鉛筆を削るように、突き詰めれば一点に収束してしまうものなのだろう。それは機能的という縦軸と経済的という横軸が交わる場所にあり、人にとっては最適化された点である。だが、建築物の本当の面白さは、得てして削りかすのほうにあるように思えてならない。

 眼球堂という建物は、まさに、人間主義の削りかすで作られている。

 人のことを考えたら絶対にあり得ないこと、やってはいけないこと、タブー、そんな要素だけで構成されている。ある種の合目的的な要素もあるが、それとて非人間的だ。

 そんな建物を、僕は空想の世界でデザインした。

 いや、デザインいうほど高尚なことは何もしていない。作ったのはおおまかな平面図と立体図だけで、それ以外の細かい部分は、実は、読者が自ら脳内で──この建物で次々と発生する殺人事件のイメージとともに──補っているのだが、だからこそこの建物からは、図面から得られる情報以上に強烈な不気味さを感じられるのではないか。

 そして、このデザインの不気味さが舞台を生み、登場人物を生み、事件を生み、数百枚の原稿用紙に変わり、メフィスト賞を受賞し──おそらくメフィスト賞でなければこんなものは引っ掛からなかったと思うが、ともかく──出版された。「堂シリーズ」と称しシリーズ化までされた。まったく、ありがたいことだ。

 シリーズを通してのテーマはいくつかあるが、「建物主義の建築物がある」ということが、まずは第一だと考えている。建物主義こそ、本作中の登場人物が謳う思想「アーキテクチュアリズム」そのものであって、実は、僕がシリーズの最も面白い部分だと自負する部分でもあるからだ

 ところで、『眼球堂の殺人』の文庫化に続き、12月には第2作である『双孔堂の殺人』が、来年の3月には第3作である『五覚堂の殺人』が相次いで文庫化される。にもかかわらず、堂シリーズとしては、佳境に入ったところだが、まだ道半ばである。スピーディな文庫化に追いつかれないよう、全7作構想のシリーズをきっちりと閉じていきたいと考えているので、読者の皆様方には、引き続き本シリーズにお付き合いいただければ幸甚である。

著者紹介|PROFILE
周木律(しゅうき・りつ)

某国立大学建築学科卒業。『眼球堂の殺人~The Book~』(講談社ノベルス、のち講談社文庫)で第47回メフィスト賞を受賞しデビュー。同書に始まる堂″シリーズの他、著書に『アールダーの方舟』(新潮社)、『災厄』『暴走』(KADOKAWA)、『猫又お双と消えた令嬢』『猫又お双と教授の遺言』『猫又お双と一本足の館』(角川文庫)、『不死症』(実業之日本社文庫)などがある。

キャラクター紹介

十和田とわだ只人ただひととは……!?

38歳。「只の人」という名前とは真逆の、
どこをどう切っても只者ではない人間だ。

「ぼさぼさの髪。あご一面の無精髭」 「べっこう縁の眼鏡の奥には色素の薄い大きな瞳」 「学生だった20歳の頃、当時知られていたある未解決問題を証明」 「今後の日本を背負う数学者だ、とまで言われていた」 「28歳の時、彼はなぜか、突如失踪」 「どこへ消えたのか、親しい友人も、家族でさえも、知らなかった」 「心を病み、死を選んでしまったのではないか?」

だが、幸いなことに、その心配は杞憂だった。
すぐに、十和田の噂が……

「ニュージーランドの学会で共同研究発表」 「モンゴルの学者の論文に共著者として彼の名があった」 「オーストリアの社会福祉施設に彼から寄付があった」

そんな噂が、世界中から聞こえてきたのである。
やがて現在、何をしているのかが明らかに……

「鞄一つで世界中を旅し、訪れた先で各地の数学者の家に
無理矢理押し掛けては、共同研究をしているらしい」

いつしか世界の数学者たちは、
十和田のことをこう呼ぶようになっていた。

「放浪の数学者」

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