もうひとつのあとがき

■今だって悪くない
秋川 滝美

 いわゆる中高年の繰り言のひとつに「あの頃は良かった」というものがある。

「あの頃」がなにを指すかは人によって違うが、たいていの場合、次に登場するのは当時の武勇伝ではないだろうか。

 他人の武勇伝ほどつまらないものはない。さらにそれが酒や食事の席で、酔ったオヤジに延々と昔語りなどされた日には興ざめもいいところ、酒や料理の味などわからなくなってしまう。おそらく語りまくっている本人以外は、心の中で「とっとと帰って寝ろ、このクソオヤジ!」と叫んでいるに違いない。

『幸腹な百貨店』の主人公・高橋伝治は物語当初、この「クソオヤジ」の典型だった。

 バブル時代を謳歌し、若い部下たちの姿に「昔の俺に引き替え、こいつらは……」などと顔をしかめていたのだ。さらに悪いことに、伝治は若者たちとわかり合うことなどできないと決めつけ、意見を交わすことすらしなかった。

『幸腹な百貨店』は、そんな伝治が、いかに自分が「クソオヤジ」だったかに気付き、若い部下たちとともに傾きかけた百貨店の建て直しに頑張る物語である。

 過去はもう動かない。過去を語られれば、人は黙って聞くしかなくなる。だが未来は不確定だ。誰もが自分の予想を語れるし、会話が生まれれば、問題解決の糸口も見つかるかもしれない。そこに旨い酒や料理があればさらに効果的だろう。

 喫茶店や馴染みの小料理屋、ときには社員食堂で吞み食いしつつ、伝治と若者たちは様々な言葉を交わす。もともと食いしん坊の伝治が飲食に夢中になり、打開策などそっちのけになる場面もあるが、それでも少しずつ伝治と若者たちは変わっていく。

 伝治に限らず、バブル景気を経験してきた人々が華やかな時代を忘れることは難しい。けれど「あの頃は良かった」のあとに「今だって悪くない」と続けることならできるかもしれない。

 未来を信じ、なんとか閉店危機を乗り切ろうと努力する伝治と、彼に感化されていく若者たち―そんな彼らの姿に共感し、「今だって悪くない」とつぶやける人がひとりでも増えることを願ってやまない。

 それによって、「クソオヤジ」が激減し、酒や料理の本来の味をしっかり味わえるようになるとしたら言うことなしである。

秋川 滝美

2012年4月よりオンラインにて作品公開開始。同年10月、『いい加減な夜食』にて出版デビュー。『居酒屋ぼったくり』のドラマ版がBS12で絶賛放映中


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