もうひとつのあとがき

■5つの剝製と5人の主人公
黒木渚

『壁の鹿』を書く前、剝製工房に行きました。剝製には奇妙な魅力があります。姿形は生前のまま、中身はそっくり作り物になってしまっているのに、その表情には個性があり、まるでこちらに語りかけてきそうな。

 工房で、鹿やタヌキやキジの剝製に囲まれながら、剝製師の方がどのように生き物を剝製に変えてゆくのかを聞きました。壁に掛けられた鹿も一緒にその話を聞いているようでした。聞き終えた後に鹿の剝製を見てみると、それは死の生き写しでした。

『壁の鹿』には、5つの剝製と5人の主人公が登場します。それぞれ性別も年齢も置かれた状況も違いますが、全ての章に「剝製との対話」という構造が共通している。声を持たない剝製が、何故5人の前でだけ言葉を発するようになったのか。それは、彼らが平穏な日常を失いつつあったからです。

 私達は、ゆっくりと死に向かって歩いていることをしょっちゅう忘れてしまいます。それは安定した心には捉えがたい危機感なのかも知れません。しかし、平和ボケした日常の中で、突然ぬかるみに足を取られることがあるのです。それは予想以上に深く、みるみるうちにタールの沼へと変化してゆきます。粘度のある絶望に飲み込まれまいともがいている時、私達はようやく繊細に死を感じ取ることができます。

 5人の主人公達はその不安定なゾーンでそれぞれの人生を展開させていました。バランスを欠いた彼らは自分のことに一生懸命なあまり、客観的なもう一人の自分を放り捨ててしまっていたのです。そして壁の鹿が現れます。語りかけ、苦しみや悩みを肯定し、彼らを結論へと導く存在として。

 平らで無感動に生きる「タイラ」、真っ白な噓つき「マシロ」、醜い愛憎と純粋さに揺れる「あぐり」、命のスタート地点にいる「はじめ」、恐ろしい欲望の実現に戸惑う「夢路」。私が初めて書いた小説の主人公達。私は彼らの名前に種を蒔いておきました。愛しい彼らの為にハッピーエンドを用意してあげたいとも思いました。

 けれどどうしても「めでたし」だけがハッピーエンドとは思えなかったのです。

 主人公達の前に現れた5つの壁の鹿が、人生を再生させるための救世主だったのか、それとも破滅に導く死神だったのかということについては、読者の皆様に委ねたいと思います。

黒木渚

宮崎県出身。2012年ミュージシャンデビュー。アルバム「標本箱」「自由律」、シングル「灯台」などをリリース。本書と共に単行本『本性』も刊行する

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