もうひとつのあとがき

■虎徹の気概にあやかりたい

 上野には、何度足を運んだことだろう。パンダ目当てではない。春夏秋冬の不忍池のたたずまいを眺めに通っていた。350年ほどの昔、この時代小説の主人公・長曽祢虎徹が篠輪津の池(当時の呼称)の畔の工房で刀を鍛えていたと伝えられる。

 訪ねた回数がおぼろげなのは、今から七年以上前のことになるからだ。

 実を言うと既に六年前、本書は八割方まで完成していた。残り二割に、その後の年数を要することになってしまった。

 なぜか──。

 3・11の巨大津波による東京電力福島第一原子力発電所の事故のあおりをまともに受けた結果に他ならない。私の本業は新聞社の論説委員で、科学技術分野の社説を書くことを主な仕事としている。

 チェルノブイリ級の大事故で、それまでも暇ではなかった仕事が極限まで増えた。帰宅はほぼ毎日午前零時を過ぎ、土日もほとんど休めない。原子力規制委員会の動きや地裁による原発停止の仮処分にまで対応しなければならないので、小説執筆に使える未明の時間は、数ヵ月置きに数日あるかなしか、という悲惨な状態に陥った。ストーリーの細部は記憶から蒸発してしまう。

 という次第で、身と心を削る思いをしたが(実際、体重は10キロ近く減った)、『半百の白刃』の虎徹が重ねた苦労は、こんなものではなかったはずだ。

「半百」とは百の半分で50歳を意味する。北陸の甲冑師だった虎徹は、その歳になって江戸に転出して刀鍛冶を目指したのだ。当時の五十歳は、寿命が尽きる平均的な年齢だ。鉄を扱う点は共通していても、兜と刀ではまったく勝手が違う。にもかかわらず、虎徹はめきめき腕を上げ、当代一の刀鍛冶となった。見上げた先人である。

 本書はとりわけ団塊の世代の方々に、手にしていただきたい。これまでの人生経験を生かした本物の踏ん張りは、虎徹の先例のごとく、これからだ。刀には人の気組みに資する力がある。私も困憊したときには鞘を払った。刀剣小説にも何分かの力はあるはずなので、ご一読をたまわりたい。

 若い世代には日本史の教科書にはないトリビアを楽しんでいただければと思う。

 虎徹については小笠原信夫さん、試斬については氏家幹人さんの著作からご教示を得た。厚くお礼を申し上げます。

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