もうひとつのあとがき

■一合なのか二合なのか
津村記久子

 文章の専業になってからこの六月で五年が経つのだけれども、自分でも驚くほどしょうもない生活をしている。昼過ぎに起き出して、だいたい家でじめじめと仕事をしながら、晩ごはんのお米を一合炊くか二合にするかでずっと悩んでいる。その後、夜の八時ぐらいになったら外に買い物に行く。一日でもっとも満たされた気分になるのは、音楽を聴きながらスーパーの通路をひたすらくまなく歩いている時だ。何も買わなくていい。ただ商品が陳列されている様子を見るだけでテンションが上がる。そしてだいたい四百円以内を目安にその日の晩ごはんの材料を買う。食事を作り、スマホの小さい画面でオンデマンドの海外刑事ドラマを見ながら食べて、歯を磨いていったん寝る。そして夜中に起き出し、入浴した後、またじめじめと仕事をする。おやつを食べないと仕事をしようとしないのだけど、晩の買い物で買い忘れることも多いので、夜中の三時半とかにいきなりクレープを作り始めたりする。紅茶を淹れ、バターを塗ってグラニュー糖を振りかけただけのクレープを食べながら文章を書く。そして朝の九時に寝る。

 基本的にはこの繰り返しである。たまに打ち合わせなどで大阪駅周辺に出るとなると、うれしくて小躍りする。会社員だった頃は毎日のように通っていたのだが、今や都会は遠くなってしまった。生活の中でもっとも達成感があるのは洗濯である。洗剤の買い換えの時期には、ドラッグストアで三十分ぐらいどのメーカーのものを買うか迷って、興奮で挙動不審になりながらレジに持って行く。自宅の洗濯機の前で、新しい洗剤を電灯にかざして喜ぶ。そして二度寝は相変わらずできない。

 本書に収録されている中にも「こんなはずではなかった」という文章があるのだけれど、とにかく作家にはなったものの、自分の想像していた作家とはまったく違うので、今もときどき「あー作家になりたいなあ」と口に出して言ってしまう。どこで何を間違えたのだろう。

 本書は、まだそれほど間違えていなかった頃の、そこそこ正しい会社員だったわたしが書いている。「専業になったが二度寝はできない」ということは告げず、そっとしておいてあげたい。

津村記久子

1978年生まれ。2005年『マンイーター』で太宰治賞を受賞しデビュー。2009年『ポトスライムの舟』で芥川賞を受賞。『浮遊霊ブラジル』など著書多数


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