もうひとつのあとがき

■怖いのは本当に女だけですか?

 この本が出たばかりのとき、何人かの男性にこんな感想を言われた。

「いやあ、女の人って怖いですね」

 あれれ? と思った。わたしはそんな話を書いたっけ。

 もちろん、読者の読みが、わたしの意図と違ったって、そんなのはたいしたことではない。どんなふうに読んでくれたってかまわない。

 小説を書くという行為は、弦楽器の弦を張るようなもので、読者の指がその弦を鳴らすのだと思っている。

 だが、それにしたってわたしにとっては、あまりにも不思議な反応だった。

 わたしは、恐ろしいものに翻弄される少女を書いたつもりだった。その恐ろしいものはひとつではないし、そこに女性が加担していないということではない。だが、女性だけが加担しているわけでもない。

 そこからしばらくして、「マジカル・ガール」というスペイン映画を見た。

 日本の魔法少女アニメ(「魔法少女まどか☆マギカ」らしい)に影響を受けたという映画で、ドライでシニカルな、それでいて紛れもない愛の物語でとてもおもしろかったのだが、それに関する映画評の多くが、「魔性の女」「男を惑わせる女」という視点で語られていた。

 実際には、女が男を操り、そして男も女を操り、その連鎖がめぐりめぐって地獄絵図を描くという映画だったのに。

 そこで気づいた。

 男性から女性への攻撃やコントロールも、世間から女性への抑圧もなかったことにされ、ただ反撃する女性だけが「怖い」と思われるのだ、と。

 よく考えれば、「女の敵は女」ということばも似たような構造だ。

 男同士が敵対しているときや、男と女が敵対しているときにはなにも語られない。女同士が敵対したときだけ、「女の敵は女だ」としたり顔で言われるのだ。

 まるで、女同士の連携など、この世界にはありえないとでも言うように。

「女って怖い」と言われないためには、礼儀正しく抗議だけするか、悲しむだけで反撃しない女性を描かなくてはならないのかもしれない。ありえない。そんな選択肢はわたしには存在しない。

 だから、わたしはこの先も「怖い女」を描く。

 これを読んだ人は、「女って怖い」と思ったときに、ふと立ち止まって欲しい。

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