もうひとつのあとがき

■怪談という快味な泥濘
平山 夢明

 杉浦日向子さんの『百物語』で電流が走ったのです。雑誌のライターから始まって実録怪談と云うものを随分と散らかしてきた身としては少々、飽きがきていました。幽霊を見た、こんな不思議な体験をしたという人々の間を徘徊し、これぞというものを採話していたのですが、千を超えた辺りから、どうにもマンネリ化してしまったのです。不思議な体験に対する以前のような高揚感が失われていました。そんな折、たまたま手にしたのが『百物語』でした。江戸の隠居が見聞した話の再現という態を取っているのですが、これが抜群に面白い。現代の怪談に疲れていた自分の心に見事に染みこんできたのです。しかも杉浦さんの原話のチョイスも完璧で硬軟様々な物語を江戸前の風俗を通して描かれてましたし、更には絵が実に一話一話丁寧に工夫されていたのです。読み進むうち怪談と云うヴェールの底に横たわっている懐かしさと労りのような香りに酔っていました。そしていつかは自分もこうした時代物怪談に挑戦したいと願っていたのです。勿論、漫画と読み物という別はありますが、自分の中で、どこまで迫れるか挑戦する価値は充分にあったのです。そしてできたのがこの「どたんばたん」シリーズです。不思議なことに、江戸というノスタルジックな舞台を借りると普段は面と向かっては書きづらい人情や友情、人の哀れみや苦悩がてらいなく描けるのです。また現代とは全く異なる〈怪異に対する価値観〉というのも自分にとっては実に新鮮でした。例えば、死んだ人間の霊が現れた場合、現代ではそれ自体が怪異として成立するのに対し、当時はそれは何か深いワケのあることとして受け入れられただろうということ。驚きはしますが〈恐怖〉ではないのです。恐怖や哀しさになるのはその先に起こる出来事によってです。そうした科学的な視点がすべてではなかった当時と現代との〈怖さのギャップ〉も書いていて楽しいものでした。小さな掌に収まってしまうような怪談から刺戟の強いものまで様々に取り揃えたつもりです。お手にとって戴ければこれほど嬉しいことはありません。

平山 夢明

『独白するユニバーサル横メルカトル』で日本推理作家協会賞受賞、『このミステリーがすごい!』国内部門一位を獲得。『ダイナー』で大藪春彦賞を受賞


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