もうひとつのあとがき

■本当にあった怖い話
新野剛志

 事実は小説よりも奇なり、とはいうが、小説の世界では、現実ではあり得ないことも成り立つものだ。たとえば、隣人が宇宙人であったとしても、SF小説なら、なんの違和感もなく話は成立するだろう。

 本書は、小説を書けなくなった作家が、夜中街で女を拾い、その女から「私は子供のころスパイ学校に入れられていた記憶がある」と告白されるシーンで幕を開ける。

 女は真顔で「日本にもそういう学校が本当にあるんです」と畳みかける。

 小説のなかであれば、充分あり得る話。スパイなどいくらでもいるのだから。しかし、現実の生活ではどうだろう。あり得ないことだろうか。

 実はこれは、私自身の体験に基づいている。内容はほぼ小説通りで、偶然知り合った女性に真剣な顔で、私は子供の頃スパイ学校に―、と告白されたのだ。それ以前の会話から知的レベルの高いひとだとわかっている。ほぼ通りすがりの人間である私に、噓をつく理由など彼女にはなかった。

 子供の頃の記憶が曖昧であるということ、もしかしたら、私の親は本当の親ではなく、私を監視しているだけかもしれないと言ったのは、ほぼ本書に書かれたままだ。

 それを聞いた私は、なんだそれ、と思った。そんなことがあるはずはないと思いながらも、真剣に、詳細に話す彼女を前にして、もしや本当にスパイ学校は存在するのかと、あっけなく理性を揺さぶられた。

 私自身の驚きや戸惑いを小説にしたい。そして、彼女の告白に合理的な説明を与えたい。それが本書を書くきっかけだった。もちろん、彼女は噓をついていたわけではないし、本当にスパイ学校に入れられていたわけでもないという前提でだ。

 苦心しながら、どうにか彼女の幼少期の記憶に合理的な説明をつけることができたし、物語としても読み応えのあるものができあがったと自負している。

 ひとつ悩ましいのは小説の世界ではなんでも成立してしまうことだ。ああ、これはスパイ小説なのね、で片付けられてしまったら、私の驚きや戸惑いは伝わらない。

 この拙文を読んでくださったかたは、本書の幕開けが現実に起きたことだと知っている。もれなく私の理性の揺らぎを追体験できるはずです。ぜひ、本書を手に取り、驚き、戸惑い、楽しんでください。

あらゆる予測を拒絶する衝撃のミステリー

新野剛志

1965年、東京都生まれ。立教大学社会学部卒。1999年『八月のマルクス』で江戸川乱歩賞を受賞。他の著書に『あぽやん』『キングダム』等。

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